向こう側の世界

作品集: 最新 投稿日時: 2014/06/07 15:53:48 更新日時: 2014/06/07 15:53:48 評価: 11/11 POINT: 86 Rate: 1.85
 ―――そして、熱い雫を零してその瞬間を待ちわびる私の蜜壷を、内側から緩く愛撫しながら。名も知らぬ彼女は、蟲惑的に囁く。

『どうじゃ?どうして欲しいのか、ちゃんと聞かせてみぃ』

 少女のような悪戯っぽさと、男と女の世界を知り尽くした娼婦にも似た艶っぽさを兼ね備えた声が脳髄を甘くくすぐり、熱を帯びた吐息が耳元と首筋を撫でる。
 際限無く性への欲求を昂ぶらせながらも、決して絶頂へは誘わずに生殺しを続ける彼女の指先にすっかり蹂躙され、調教され……風が吹くだけで快感に背筋を震わせるまでに研ぎ澄まされた私の未熟な体には、たったそれだけの微細な刺激でさえ、甘く甲高い悲鳴を生み出す引き鉄となる。

『お、お願いします……早く……早く、い、イかせて、ぇ……っ!』
『ほっほ……少しばかり前までは、接吻だけで卒倒するほど初心だったくせにのう、すっかりはしたない娘になりおったわ』

 どこか嘲りにも通じる響きを持つ声が愉快そうにそう笑った後……歪んだ唇から、ほんに愛い娘じゃ、というごくごく小さな呟きが漏れたが。視界が明滅するように思えるほどの快楽に責め苛まれ、前後不覚にまで陥ったそのときの私は、その言葉にまるで気が付くことが出来なかった。

『よかろう、可愛らしい声で鳴いてくれた礼じゃ……最後に、天国を見せてやろう』

 そう言って彼女は丸い眼鏡の奥で、人間のそれとは思えないくらい怪しい魅力を湛えた両の眼を細める。直後……私の身体の内側で業火のごとく燃え盛る欲情を維持するだけに留まっていたその細くしなやかな指が、その秘めたる凶暴性を露わにした。

『ぇ、っ……っ、ぁっ、ッッッ……!?』

 浅く深く、熱く濡れそぼった内壁を撫でていただけの指先が、ぐり、と強く天井に押し付けられる。突然の鮮烈な刺激に、私は思わず釣り上げられるように激しく腰を浮かす。そして、瞬間に生じた悲鳴が私の喉を駆け上がっていくかに見えたそのとき……彼女は更に、だらしなく蜜を溢れさせる花弁の少し上に、内側に挿し込んだ指と挟み込むようにして親指を置いた。

『これで……終い、じゃっ』

 肉の壁が、内側と外側から彼女の指に圧迫される。その中心、眼には見えない快楽の芯とも言うべき場所が、容赦の無い刺激に晒される。

『あ、あっ、あ゛ああぁぁッッ!!!??』

 瞬間。全身に電流を流されたかのように、私は背中を激しく仰け反らせる。許容量の限界をとうに超えて体中に蓄積されていた快楽がにわかに溢れ出し、欠片程しか残っていなかった理性の残滓や、既に正常な働きを失っていた思考を、濁流のように容赦なく押し流していく。

『く、ひっぅ……あ、っは、ふあぁ、あぁっ……!』

 言葉としての体を為さない声を絞り出しながら、ビクン、ビクンと傍目からでもそれと解かるほど大きく全身を震わせ、引き攣らせて……信じられない程に長く続いた絶頂の波が、細い肢体から去っていった頃。
 その余韻の中に残された私は、既に頭の中を真っ白に焼き尽くされて、意識の糸を手放した後だった。

『……っぁ……』

 意識から置き去りにされた身体は、紙風船の中に僅かばかりに残された空気が何かの弾みで吐き出されるように、何の意思も伴わない最後の声を漏らして。それきり、手足をだらりと弛緩させたまま、反応らしい反応を見せなくなる。

『……ふぅ、っ』

 しばし、何も見えていない半開きの眼をしたまま純粋な生体反応の名残としての微かな震えを繰り返すだけになった私を、じっと見下ろして。彼女の口から、紫煙を吐き出すときのような吐息が漏れる。
 眼鏡の奥の瞳はいつの間にやら怪しい輝きを失って……代わりに目の前の私に向けられた、何かしらの熱を帯びた感情の色が差し始めていた。

『………』

 彼女は、それきり言葉を発することも無く、ただ静かに私の顔を覗き込んで。

 そして、その唇を―――







     ◆     ◇     ◆     ◇     ◆     ◇     ◆







「う、ぅっ……!」

 佳境も過ぎてあと残り数場面か、というところまで話が進んだとき、私の身体に限界が訪れた。
 自然と背中が丸まって、手足がぎゅっと強張る。ふるふると全身が微かな震えを起こして、ぬめった指先にそれまでよりもほんの僅かに強い圧迫感が伝わる。

「……っ……」

 ざわつくような痺れが背筋を伝わって発散していくのを待って、思わず閉じてしまった瞼を再び持ち上げると……目の前で開かれた頁からは、黒一色で描かれた絵が今まさに消失しようとしているところだった。
 しまった、と気付いた頃にはもう遅い。私の集中力が途切れたのをきっかけとして、展開していたはずの物語は何も無い虚空に溶けてゆくかのように霧散し、すっかり白紙になった見開きだけが残された。

「……ふぅ」

 漫画の中の私ほど激しくないささやかな絶頂を迎え、漫画の中の彼女のように何か含みがあるわけでもない気だるい吐息を漏らして。
 私は手にした白紙の本を机に伏せながら、漫画の中ほど大袈裟に濡れているわけではない自分の中に浅く挿し込んでいた指を静かに引き抜いて、てらてらと光る蜜を手近に置いておいたちり紙で拭き取った。
 微かな倦怠感の中、私はもう客を受け入れる時間を終えて戸口を締め切った店内で、小さな灯りに照らされながら背もたれに大きく体重を預けた。



 ……そう、漫画。
 私は、ほんの一瞬前まで……たった今机に伏せたこの本で、漫画というものを嗜んでいたのだ。






 私がそれと出会ったのは確かひと月程前、商品の整理をしていたことだっただろうか。

 名も無きそれはいつの間に本棚に紛れ込んでいたのか、あるいは私がずっと気付かずにいただけなのか。気が付いたときには店の奥の奥、立ち並ぶ本棚達の中でも頭ひとつ低いそれの、どの本よりも目立たない場所に、まるで誰の手にも取られまいと隠れ潜むようにしてひっそりと収められていた。
 ……そんな本を何故わざわざ手に取ったのか、と問われれば、残念ながら答えを用意することは出来ない。返せるとすれば、ただなんとなくだったので深い意味は無かったのではないだろうか、という推測だけだ。

 ともかく。余り商品としての出番が無い他の雑多な本達と一緒に束ねて棚から持ち出したどれを、その束の中で何番目かに確認し始めてすぐ、私はその異様さに気が付いた―――と、言ってもそのときに気付いたのは、本の中には何も書かれていなければ描かれてもいない、ということだけで、真の異様さに気付くのはあとほんの少し後のことになるのだが。
 念の為に最初から最後まで確認してみても、あるのは文字や絵どころか墨の染みひとつ見当たらないまっさらな白紙ばかり。それは書物としての価値などまるで無い、覚書程度にしか使えないただの紙束だった。

 なんだこれは、どうしてこんなものがウチの本棚に?

 ほんの一瞬、また何か怪しげな事態に巻き込まれるのではないかという予感が―――結果的に現実のものとなる予感が―――脳裏を過ぎったものの。
 謎の呪文や図形や挿絵が記されているならともかく、考えてみればただの白い紙束相手では何をどう不安がっていいのかも解からないではないかと、すぐに思い直し……私は積み重ねられたまま次の順番を待つ本の背表紙に眼をやりながら、さてこの紙束はどう処分したものかな、などということを考え始めた。

 覚書程度にしか使えないならその通り覚書にしてしまうか、しかし一応は書物として扱われていたのだからそれなりの供養くらいはしてやるべきか。
 それとも、表紙だけはそれなりに見られるものが付いているし、いっそ私が中身を書いてやってもいいかも知れない。拙い筆でも本として生まれ変われるならこの本、いや紙束も本望ではなかろうか。
 冗談半分に頭の中でそんな思案を巡らせながら、何気なく開かれたままの白紙の見開きに視線を戻して。



 そこで……私の思考は、しばし凍り付いたように停止した。



 そこにあったのは、ほんの数秒前まで目の前にあったはずの白紙の束ではなかった。
 そこには、ごくごく細い筆で描いたような精密な絵柄で、見覚えのある少女の姿が描かれていた。
 その姿は、見紛うことなく……いつも鏡の中で見慣れた、私の、姿だった。

 声を上げることも、ひょっとすると呼吸をすることすら忘れて。私は、突如として目の前に現れた何人もの自分自身の分身達の姿を、食い入るように見つめる。
 ある者は客と話をしながら手元で小さな紙に何かを走り書きしており、またある者は古い書物を供養する儀式に参列している。そしてたくさんの私の中には、難しい顔で何事かを考えながら、さきほどまでの姿を保った白紙の束に長々と何かを書き記している者もいた。
 目の前で起きていることを理解するのに数秒、さらにそれが異常な出来事であると正しく認識するのに十と数秒。それからさらに数秒を経てようやく……私は、そこに描かれている私の姿が、たった今頭の中で思い浮かべた行動を取っているものだということに気が付いた。

 異変、妖魔本、妖怪退治。そんな言葉達が、取り留めも無く頭の中に浮かぶ。
 すると紙の上で様々な場面を見せていた私達の姿が、すうっと薄らぎ、やがて消える。代わりに今度は、一冊の本を相手に御祓い棒を震う霊夢さんの姿が大きく浮かび上がった。

 そこではっと我に返り、私は両の掌を叩き付けるようにして、また変化を始めようとしたその本を……もはや白紙の束などとは呼べなくなったそれを閉じた。ぱん、と小気味の良い音が狭い店内に響いて、それきり何か別の異常が生じるような気配は無い。
 眼を凝らし、耳を済ませ。今のところは何事も無いようだ、ということを確認して、私はひとまずほっと胸を撫で下ろした。



 さてこれからどうしたものか……という不安と、もう1つ。

 目の前で起きた不可解な出来事に対する……とある、暗い期待を胸に抱きながら。






 ……その暗い期待とは何だったのか、ということについては、今さっき私が終えた行為を思い出してもらえれば―――思い出される、と思うと顔から火が出そうだが―――まぁ、想像には難くないところだと思う。



 本と接する機会の多い家の仕事柄か、はたまた単純に私個人の趣味の問題か。私は昔から、頭の中で架空の物語を組み立てるのが好きだった。
 もしも空が飛べたら、もしも動物達と話ができたら、もしもあの博麗の巫女のように妖怪退治をするような力があったら。子供の頃の私はいつも、そんな架空の世界の自分の姿を頭と心で思い描き、その物語を楽しんでいた。
 最近はご無沙汰しているけれど、少し成長してからはそれを実際に文章として書き綴る趣味に興じることもあったりして。ともかく、何かを妄想したり空想する能力については、小さい頃から他人よりも少しは秀でているのではないだろうか。

 そして、そんな想像力豊かなお子様だった私も、時を経て年頃の乙女になったわけで。幼気な子供だった頃には知らなかったいろいろな知識を得るにつれて、興味の方向性というものも、当然ながら少しずつ変化していこうというものだ。
 ただただ荒唐無稽で辻褄が合わない、どこまでも無邪気なだけだった夢の世界は……私の成長に伴って少しずつ現実的な姿を取るようになり、かつ、子供には理解の出来ない種類の生々しさを孕むようになる。



 ……まぁ、遠まわしな言い方をしているが。
 要するに、愛だとか恋だとか……その先の、もっと直接的に性的で下世話な行為だとか。そういうものにも、興味の幅が広がっていったということだ。
 わざわざ自分で説明するのは恥ずかしいが、別にそれ自体は人間として至極真っ当なことだろう。と、思う。
 よって、必然的にそういった方向性の空想に耽ることが少しずつ増えていったのも、年頃の少女としてごくごく健全なことだった……はず、だ。



 で。そんな折にこの、頭の中の場面を視覚的な情報へとすぐさま変換してくれる、不思議な本と出会ったわけで。
 そりゃあ、その……こんな、浅ましい使い方のひとつも、してみたくなるというものだろう。きっと誰だって、他人には口外せずとも少しは似たようなことを考えるはずだ。そう思いたい。





 まぁしかし、そういう性的な側面を抜きにして考えたとしても。自分の頭の中で紡いだ空想の世界が、あるいは物語が目の前で形を成すという『空想』は、人間誰しも、いやきっと妖怪や妖精も、もしかすると神様だって1度くらいは抱くものではないだろうか。

 もしも、空が飛べたなら。自分が別の誰かだったなら。あんなものやこんなものが全部手に入ったなら。
 もしも、大嫌いなあいつが酷い目にあったなら。恋焦がれるあの人が振り向いてくれたなら。その他、諸々。
 そんな些細な空想、他愛も無い妄想で、泡沫のような一時を味わう。それは、意思ある全てのものに許された楽しみだと私は思う。



 と、同時に。私は、こうも思うのだ。
 もしも本当に、自分の空想が全て現実のものになってしまうとしたら……それほど恐ろしいことも無いのではないか、と。

 頭の中で思い描くだけで、世界の何もかもが文字通り思うがまま。
 自分の空想で簡単に誰かが心変わりし、誰かが苦しみ、もしかすると死んでしまうかもしれない。
 そして、他の誰かの空想の所為で、自分や周囲の人間が簡単に滅茶苦茶にされてしまうかも知れない。
 そんな、空想の力が暴走する世界の姿を『空想』すると、私は背筋が寒くなるような気がするのだ。





 で、結局は何が言いたいのかというと。

 頭の中の空想が、すぐさま明確な場面として目の前に現れる。しかしそれはあくまで本の中の出来事であって、どんなに臨場感があっても現実にはなんの不都合も生じさせない。
 手軽に、そして自由自在にある程度の欲求を満たし、かつ誰にも迷惑をかけない。空想を楽しむ趣味のある人間にとっては、希有なほど優秀な遊び道具だということだ。

 もちろん、現実と空想の区別が付く人間にとっては、という前提があるが。流石に、現実の世界に空想を持ち込むほど人としての道を踏み外しているつもりは無い。





「……さて、と」

 気だるさの中で徒然なるままに思考を巡らすのにも、一息吐いて。少しだけ部屋を離れ、ほんのちょっとだけ何某の後始末をした後。私は再び、いつも店番がてら商品を読み耽っている愛用の椅子に腰掛けて、再び白紙の本を手に取る。
 別に私も、これを性的な欲求を満たす為だけに使っているというわけではない。まぁ、そうは言っても本を相手に独り遊びをしているという点では変わらないが。

 前述の通り、これはそういう使い方を抜きにしても十分に面白い遊び道具である。
 なにせ、自分の考えた自分の為の物語が、目の前で勝手に展開していく生きた本なのだ。好みや巧拙で当たり外れのあるそこらの読み物よりも、娯楽としてよほど信頼出来る。
 加えて、本を開く度に何度でも何度でも、違う世界の違う物語が楽しめる。敢えて難点を挙げるとすれば、物語がその場限りで消えてしまい、後から読み返せないというところくらいだろう。

 眠る前にもう少し、今度はもっと健全な世界で遊んでいこう。そう思い立って、私は頭の中でもやもやと形の定まらない思考を、捏ね回し始める。





 さて、今度の物語はどうしようか。恋愛はついさっき似たようなものを読んだばかりだし、推理小説もどきや、もっと子供染みた御伽の国なんてのも最近空想した気がする。

 ……ああ、そうだ。次は、戦いを主題とした話はどうだろうか。武道や闘争とは縁遠い私だからこそ、空想のし甲斐があるかも知れない。
 せっかくなら話は大きく、異変解決に挑む自分なんてのもいいかも知れない。実際にやれと言われたら、もし自分にその力があったとしても御免被りたいところだが。

 異変解決には、霊夢さんの巫女の力や魔理沙さんの魔法のような、特徴的な力があると面白いだろう。そうだな、どうせなら戦い方も私らしく、本にまつわるものだと面白いかもしれない。
 数多の本に宿る妖魔や精霊の力を引き出して戦う、人里の貸本屋の娘にして博麗の巫女に肩を並べる異変解決の専門家。その名は、本居小鈴。うん、なるほど悪くない。

「それじゃ……いきましょうか」

 そんな風に架空の私の姿を作り上げて、それを空想の世界に放り込む。舞台は……そうだな、いつだかの紅い霧の異変の頃にしようか。
 細かいところは、話が進むうちに次第に固まっていくものだ。これくらいで、早速、ここではないどこかで繰り広げられる物語を、紡ぎ始めるとしよう。

 設定が固まったところで、私は頭の中に空想の世界を構築していく。
 それに呼応するようにして、目の前の紙面に、ひとりでに動き回る白と黒が緻密な情景を描いてゆく。







     ◆     ◇     ◆     ◇     ◆     ◇     ◆







 濃淡のある灰色で塗られた薄暗い空を背景に聳える、影だけの姿で真っ黒に描かれた悪魔の館。その景観を遮る、禍々しい意匠の施された堅牢な門扉。
 そして、それを守護するように立ちはだかるのは……異国風の戦装束に身を包んだ、長髪長身の美しい番人だ。
 射殺すような鋭い眼光が無言で投げ掛けられ、声の変わりに、空気が震える音が静寂を破る。

 相対するは私、そして霊夢さんに魔理沙さん―――まぁ一対一の息詰まる攻防も悪くないが、個人的には、圧倒的強者に力を合わせて立ち向かう構図も捨てがたい。今回の相手には、実物よりも少しだけ強くなって貰うとしよう。



 しばし、互いに声を発することもなく、微かな風の中で視線が交錯し火花を散らす。
 そして、何の前触れもなく先制攻撃を繰り出すのは、門番の方だ。

『ッ!?』

 三人分の油断無い視線に晒されているにも関わらず、門番の姿がまるで霧か幻のように掻き消える。
 突然の出来事に、思わず身体を強張らせる私達……そして、三つ並んだ驚愕の表情を正面から映す場面に、突如として黒い影が現れる。
 瞬時にそれに気が付き振り返るが、時既に遅し。門番の脚から繰り出される一撃が、その一瞬すら置き去りにする速さで三人に容赦無く襲い掛かる。

『なっ……?』
『ぅ、ぐっ!?』
『きゃあっ!』

 お祓い棒を、箒の柄を、分厚い本を使ってなんとか直撃を免れはしたものの、私達の身体は激しい衝撃に晒され、まるで重さなどあって無いものであるかのように軽々と三方に吹き飛ばされる。
 固い地面をもんどり打って転がった先で、各々なんとか体勢を立て直しながら、私達はまた、気付かぬ間にその場に現れた門番に視線を集める。

『……見えたか?』
『見えたら、避けてるわよ……』

 血混じりの唾と一緒に吐き捨てるような魔理沙さんの言葉に、霊夢さんは苦々しげな表情で返事をする。目配せした先にいる私も、悔しそうな顔で黙って頭を振る。

『今なら見逃してあげますから、命があるうちに、お引取り願います』

 さきほどの爆発にも似た衝撃を伴う一撃からは想像も出来ない、恐怖すら覚える冷たい表情を微塵も崩さぬまま、門番は私達を順番に一瞥する。単純でありきたりな脅し文句も、その口から紡がれると、圧倒的な重厚感と鋭利さを持って私達三人に突き刺さる。
 実際よりも数倍も大きく見える、覇気を纏った門番の修羅にも似た姿に、私達は一瞬も視線を外すことができないまま身震いする。



 しかし……そこで臆病風に吹かれるような者は、私達の中には存在しなかった。

『ご忠告、わざわざ有難う』

 霊夢さんの周りに白と黒が混ざり合うような渦が生じ、いくつもの陰陽玉が巫力を纏って空中に浮かび上がる。

『だが、帰れと言われて帰るようなら……』

 魔理沙さんが軽やかに箒の柄に飛び乗り、懐から取り出した八卦炉を手にして不敵に微笑む。

『最初から、ここには立っていませんよ!』

 そして、私が手にした本の表紙を弾くように捲ると、そこから形の定まらない黒い影が、檻から解き放たれたように飛び出して私の周囲を取り囲む。



 退く素振りなど微塵も見せずに臨戦態勢に入る私達を順に睨み付けて……門番は一度、小さく嘆息した。

『……言って解からないなら、仕方がありませんね』

 私達を順番に睨み付けて、門番は大きく肩を回し、首を巡らせる。先程の一撃が準備運動ですらなかったことに改めて驚愕しながら……私達は正面から、それを迎え撃つ。

『ここからの「仕事」は……命の保障は、しませんので』

 それまでよりもほんの少しだけ、感情の熱が篭った声で告げたそんな言葉を最後に……門を守護する者は、主に仇成す敵の命を刈取る狩猟者へとその姿を変えた。








     ◆     ◇     ◆     ◇     ◆     ◇     ◆







 ふむ、走り出しは上々か。こういう戦いの物語というのは、主人公側が余り強過ぎても面白味が無くていけない。
 強者と鎬を削り、時には敗北し。それでも諦めずに立ち向かって、やがては圧倒的強者に打ち勝っていく。そういう物語の起伏があるからこそ、戦いには真実味と興奮が伴い、その果ての勝利に充足感も生まれるというものだ。

「さて、どうしようかしら……一度ここは負ける?それとも……」

 私は独り言を漏らしながら、まるで実際に筆を取って漫画を描いているかのような気分で自分自身の頭と心が生み出す世界にのめり込んでいく。
 自分自身で物語の展開を組み立てていながら、同時に観客としてその世界に没頭出来るというのは、なんというか、不思議な感覚だと思う。自分で言うのもなんだが、人間というのは案外器用な頭をしているんだな、と感心する。

「……でも、今日はそこまで大長編にしなくてもいいかしらね」

 目の前で繰り広げられる物語が行き着く先にある、大まかな着地点を思い描きながら。私は再び、紙の上で躍動するもう一人の私に、自分の姿を重ね合わせる。







     ◆     ◇     ◆     ◇     ◆     ◇     ◆







 私達と息も吐かせぬような死闘を繰り広げた門番が、遂に、その両膝を地に着く。気高き狩猟者は、己が限界を超え意識を手放すその瞬間まで、一歩も退くことなく私達に喰らい付き続けた。
 数の不利を補って余りある強さと速さを兼ね備えた強敵を、辛くも打ち倒し。その倒れ伏した姿を顧みながら……傷付いた身体のまま、それでも前に進む。

 門を潜り攻め込んだ先で待ち受けていたのは、館を守る妖精達だった。
 先程の精鋭中の精鋭であろう門番との戦いとは一転、今度は圧倒的な数の暴力に翻弄されながら、雨霰のごとく降り注ぐ弾幕を躱し、薙ぎ払って私達は突き進む。



 がむしゃらに走り抜けるうちにいつしか辿り着いたのは、地価へと続く薄暗い石造りの階段。背後から迫り来る脅威の気配を振り切るように駆け下りた先で、私達を待っていたのは……うちの貸本屋などとは、月と鼈よりも掛け離れているのではないかという程に広大な、地下図書館だ。
 迷路のように立ち塞がる、文字と情報が積み重なった壁。林立するその隙間を縫うようにして、私達は慎重に先を目指す。

 私達の前には時折、悪魔の翼を持つ少女や意志を持つように動く魔導書、虚空に浮かぶ魔法陣が現れて行く手を阻む。
 妖精達の闇雲な攻撃とは対照的に、まるで指揮者に忠実に従う楽団のように統率が取れて幾何学的な、しかし妖精達のそれと同程度かそれ以上に苛烈な猛攻が襲い来る。
 悪魔と、命を持たない者達による容赦無い攻撃。放たれた光弾が直撃した本棚から零れた本はそれ自体が追跡者となり、物理法則の外で動く魔法陣は際限なくその数と多様性を増していく。



 そして……そんな、死の瀬戸際で綱渡りをするように一時も気の抜けないぎりぎりの攻防を、なんとか乗り切って。
 私達はついに……この、知識の坩堝に居を構える主と、対峙する。



 道中で何度か姿を見せた悪魔の少女を傍らに従え、何も無い空中にゆったりと深く腰掛けるような格好で、紫の髪をした魔女が視線を持ち上げる。
 眠たげに薄く開かれた瞼の奥には、光の欠片すら届かない深遠なる闇を思わせる、深い深い紫色をした瞳があった。

『五月蝿いと思ったら、汚らしい鼠が三匹も……うちの門番は何をしてるのかしら』

 病の床で死を待つばかりの重篤な患者のような生気の無い声が、敵意よりも煩わしさに満ちた口調で呟く。

『ここの門番なら、外で気持ち良くお寝んねしてるぜ』

 先頭を切って、魔理沙さんが挑発するように軽口を叩く。しかし、その表情や素振りには微塵の油断も感じられない。

『鼠はともかく、汚いのはここの連中がしつこく襲って来るから……』
『……霊夢さん』

 それに次いで、霊夢さんが文句を漏らすが……その言葉を、私が言葉と手で制する。
 霊夢さんは私の口調に何かを察して、それ以上何も言わずに素直に引き下がった。



『ここは、私が』

 手にした本を開きながら、私は短くそう告げる。
 それで全てを理解し、霊夢さんと魔理沙さんは互いに顔を見合わせて、微笑んだ。



『……そうだったわね』
『ああ、本の虫が相手なら、こっちにも専門家がいるからな』

 そして私達は互いに背を向けて、身構える。霊夢さんと魔理沙さんは周りを取り囲み飛び回る何十冊もの魔導書に、そして私は図書館の魔女に、各々が対峙する。

『周りの五月蝿い羽虫は、私達に任せなさい』
『おう、なんなら籠に捕まえて何匹か持って帰ってやるよ』

 一見したところ絶望的にしか見えない状況に置かれてなお余裕の表情を見せる私達を、高い位置から見下ろす魔女の顔に、それまで欠片程も感じることの出来なかった表情らしきものが浮かぶ。

『……門番如きに苦戦していた程度の連中が、調子に乗らないことね』

 忌々しい塵共め、と、その顔は言外にそう告げていた。

『あの生意気な小娘は私が仕留めるわ、あんたはその間ほんの少しだけ、残りの二匹を足留めしなさい』
『……足留め、でよろしいですか?』
『別に殺してしまっても構わないけれど』
『畏まりました、ではそのように』

 丁寧な言葉で了解の意思を伝えて、悪魔の少女がこの世界のものではない言葉で何事かを呟く。キィン、という硬質な音が響き、空中にいくつもの魔法陣が連続して展開されてゆく。
 そしてその直後……魔女が私達を見下ろしながら言葉も無くその手を振りかざすと、更にその数倍はあろうかという数の魔法陣が、一瞬で私達を取り囲む壁を形成した。







     ◆     ◇     ◆     ◇     ◆     ◇     ◆







 あの魔女の話は、霊夢さん達から話に聞かされたときからなんとなく気にはなっていた。同じ本が好きな乙女として―――などと言ってしまうのは、相手にとっては少し気軽過ぎるかも知れないが―――是非、一度くらいは言葉を交わしてみたいものだ。

「……地下図書館の、魔女かぁ……」

 格好良いなぁ、と頭の中で呟く。
 本を携え、己が知識を武器に華麗に戦う智恵の戦士……自分が身体を動かすのが苦手な性質だから、そういう主人公像にはとても憧れる。
 となれば当然、そんな妄想ならお手の物というわけだが。

「よーし、せっかくだから私も見せ場を作らなきゃね……っと」

 そう思い付くが早いか、私は再び激戦迫るの地下図書館の情景を頭の中に描いて行く。
 図書館の主と貸本屋の娘の、息詰まる攻防。ふむ、考えてみれば、世に数ある物語を探してみてもなかなか見つからない面白い場面ではなかろうか。

「ふふ……行くわよ、小鈴!」

 自分ではない自分にそう語り掛けて、私はまた、空想が織り成す戦いの最中へと意識を飛び込ませる。







     ◆     ◇     ◆     ◇     ◆     ◇     ◆







 自らの忠実な僕であるはずの魔導書からの、完全な不意打ちの一斉射撃を喰らって。
 焼け焦げたような身体から、漏れ出す魔力が可視化した煙を上げながら、魔女は乱れきった呼吸と共に驚愕の声を漏らす。

『そんな……げ、ほっ……何故、里の人間如きが、私の魔法を……っ!?』

 それまでで最も大きく見開かれた、それでも常人からは眠たげにも見えるその眼に写るのは……手にした本を今まさに閉じて、その能力を解除したばかりの私の姿だった。



 そう、私の能力―――もちろん、物語の中の私だけが持っている能力だが―――それは、本の中身を自分の力にする程度の能力だ。
 自分が読んだあらゆる書物に記された知識、そして技術までもを手にした一冊の本に百科事典のように編纂し、そしてそこに蓄えられた力を自分のものとして自在に引き出す力。
 本から呼び出す妖魔の類も、妖魔本を読んで得た知識を己が力として発現させた結果なのである。

『……本を本のまま使役していたのが、まずかったですね』

 つまり……例えば相手が魔導書をそのまま攻撃手段として使ってくるような相手で、その魔導書の中にそれ自体を操る術式についての記述があったなら、私はそれを読めば同じように魔導書を自在に操る力を会得するということだ。
 もちろんその場で覚えた付け焼刃の技術や知識など、熟練度という意味では本家には遠く及ばないが。それでも、一瞬の隙と意表を突いて完全な不意打ちを喰らわせれば、その効果は十分に期待出来る。



『全てとはいきませんが、だいたいの内容は把握させて貰いました』

 傷付き血を流し、酷く呼吸を荒げながら、それでも不敵に笑ってそう告げる私の言葉に、魔女は息を呑む。

『まさか……読んでいたというの?私と戦いながら、私の、魔導書達を……!?』
『さすがに弾幕を張るだけの魔力は持っていないので、あなたが込めたものをそのまま流用させて貰いましたけどね』

 私が何をしたのか、何が自分を敗北へと導いたのか……その全てを理解した魔女は、それまで無表情の仮面が張り付いたかのように感情らしい感情など読み取れなかったその顔に、引き攣った笑みを浮かべた。

『里の人間如き、と言ったのは撤回するわ……とんだ化け物よ、貴女……!』

 そう呟いた直後、宙に浮いた彼女の身体がぐらりと傾ぐ。まるで最後の最後に残っていた雫のように微かな余力を使い切ったかのように、物理法則に逆らっていた身体が、重力に引かれるままに落下を始める。
 その細い身体は加速度を付けて、彼女の魔力という糧を失いただの本に戻った魔導書が降り積もった床に叩き付けられる……かに、思えたが。

『っ!』

 肉体と木の床が衝突する衝撃音が、淀んだ黴臭い空気を震わせることはなく……その身体はほとんど音も無く、真下で待ち構えていた少女の腕の中に収まった。



 戦いの中で私を除く二人を相手に渡り合いながら、主を護る為に死力を尽くし、今一歩のところで力及ばずに脱落していったはずのもう一人の少女……黒い悪魔の翼を供えた彼女は、おそらくほとんど体力など残っていないであろうそのぼろぼろの身体を気力だけでなんとか突き動かして、最後の瞬間にもう一度、己が主を身を呈して護り抜いた。
 生気を失いかけた瞳が、それでも挑みかかるような視線をこちらに投げ掛けて……それを最後に悪魔の少女は、自分が魔女の下敷きになるようにして、本の絨毯に崩れ落ちた。



 後には静寂と、再びの激闘の中で更に傷付いた私達三人だけが残される。
 私達は言葉も無く互いに顔を見合わせ、小さく頷いて……地下図書館を抜け、この紅い館の主が待つ場所へ続く道を探す為、再び宙を駆ける。







     ◆     ◇     ◆     ◇     ◆     ◇     ◆







 ふぅ。これはなかなか……自分で言うのもなんだが、良い場面が描けたのではなかろうか。
 知識と知識、頭脳と頭脳のぶつかり合いの果てに辛くも掴んだ勝利。壮絶な殴り合いにも負けない、熱い展開だった……そんな素晴らしい戦いをした相手には、きちんと良い散り様を描いてやる、それが私の流儀だ。

「なんちゃって、ね」

 と、そんなことを考えているのも、なんだか自分が女流作家になったような気分で面白い。どうせ気ままな一人遊びだ、その間くらいは多少思い上がったところで誰にも文句は言われないだろう。
 そうだ、今度はそんな空想を描くのも面白いかも知れない。空想を描くことを生業とする少女作家の物語……なかなか、興味深い題材だ。

「さて、と」

 そうして、一頻り他愛も無い想いをつらつらと巡らせて。私は、僅かに回転速度の落ちてきた思考で……眼の前で進む物語の、幕引きについて考え始める。
 何だかんだと思い付いたことを好き勝手に放り込んでいるうちに、思わぬ大作になってしまったような気もするが……今回の物語も、もう十分楽しんだ。ここらでそろそろ、終着点へ向けて歩き始めようじゃないか。

 私は少しだけ凝った肩を解すように何度か首を巡らせて、改めて、もう一人の私と仲間達が飛び回る物語の世界に向き直る。

「よーし、それじゃ、最後の戦いといきましょうか……!」

 今夜も良い夢が見れそうだ。そんなことを、考えながら。
 私は、物語の中で待ち受ける最後の敵へ挑むべく、一度瞑目して意識を集中させる。







     ◆     ◇     ◆     ◇     ◆     ◇     ◆







 幾度もの激闘、死闘を潜り抜けて。遂に私達は、紅い霧に覆われた幻想郷を見下ろす、紅い館の主の間へと辿り着く。

 聳え立つステンドグラス越しに歪んで見える月を背景に。絢爛豪華な装飾の施された、身の丈に対して大き過ぎる程の椅子に優雅に腰掛けていたのは……私達よりも幾分か幼い姿をした、一人の少女だった。



『ようこそ侵入者さん、我が紅魔館へ』

 外見相応の幼さが残る声が、どこか愉快そうに歓迎の言葉を述べる。
 戦意を迸らせる私達を目の前にしても身構えることもせず、柔らかそうな背もたれに深々と身体を沈めながら私達を眺めるその姿には……しかし、今すぐに挑み掛かるのを躊躇わせる、圧力のようなものが感じられた。

『美鈴はともかくパチェの奴まで負かすなんて、人間の割には随分腕が立つみたいね』
『……どうも、お褒めに預かって光栄だわ』

 霊夢さんの嫌味っぽい返事にもまるで機嫌を損ねるような様子は見せず、紅い館の主は、ああ、と何かに気付いて暢気な声を上げる。

『そうそう、自己紹介がまだだったわね……私はレミリア・スカーレット、この紅魔館の主よ』

 肘掛に頬杖を突いたままで、館の主はそう名乗る。油断ではない、圧倒的強者の余裕に裏打ちされたその態度に、油断無く対峙しながら、私達もまた各々にそれに応える。

『……博麗霊夢よ』
『霧雨魔理沙だ、ただのしがない魔法使いだぜ』
『里の貸本屋、本居小鈴と申します』

 順に名乗りを上げる私達を、血よりも紅い瞳で順に見つめてから。レミリアと名乗った彼女は、ゆっくりとこちらを指差す。

『それから、そこに居るのが……』

 その指先が何を意味するのか、既に戦いは始まっているのか……と、気を張り詰めさせた私達の、すぐ後ろから。



『メイド長としてレミリア様にお仕えしております、十六夜咲夜と申します』
『ッ!?』



 何も無い空間に突如として降って湧いたようなその声と気配に、私達は思わず弾かれたように振り返って大きく飛び退く。

『以後、お見知り置きを……』

 恭しくお辞儀をする、見た目の上では自分達と同じ年の頃らしいもう一人の少女を見つめながら……私達は、激しい困惑に精神が掻き乱されるのを感じる。
 今確かに、私達に油断など無かったはずだ。目の前で微笑む館の主に注意を向けていたとはいえ……すぐ背後に歩み寄る誰かに気が付かないなどということが、有り得るだろうか。
 顔を上げ、姿勢正しく背筋を伸ばす従者の姿に、私達は得体の知れない怖れを抱き……そして。

『さて、挨拶はこの辺にして……早速、始めるわよ』
『……え、っ……!?』

 再び幼い声がそう告げるのと同時に、現われたときと同じ唐突さで目の前から掻き消えた従者の姿に、唖然とする。

『畏まりました、お嬢様』

 声がした方を振り替えると、館の主が重い腰を上げて椅子から立ち上がり、黒い蝙蝠の翼を広げるその傍らで……たった今まで私達の目の前に居たはずの従者が、いつの間にか両手に幾本もの刃を構えて佇んでいた。

『……マジかよ』
『こいつは、また……』
『一筋縄では、いかないようですね……!』

 想像を遥かに超えた静かなる怪物の出現に、思わず息を呑み……そして、その怪物を僕として従えるあの幼い少女は果たしてどれほどの力を持っているのか、ということを思い、身震いして。



 私達は……思わず、顔を見合わせて、笑った。



『さぁ……こんなにも、月が紅いから』

 ばさ、と翼が翻り、噎せ返る瘴気のような赤い霧を孕んだ空気が渦巻き、掻き混ざる。
 小さな、しかし計り知れない力と凶暴さを内に秘めた少女の身体が真っ直ぐに宙に舞い上がる。



 そして。

『楽しい夜に、しましょうね!』

 愉悦を孕んだ声が、嬉しそうにそう叫ぶのと同時に……巨大なステンドグラスが粉々に砕け散る。

 満月の浮かんだ、霧煙る夜空を背景に。
 蝙蝠の翼を備えた少女の影が……紅い館の、紅い吸血鬼の影が、禍々しく浮かんだ。





 灰色で塗られた月の浮かぶ夜空を背景に、並んだ三人の戦士の背中が映し出される。
 その背中は、この幻想郷を背負って立つ者の覚悟と力強さが滲み出るようで……うら若き乙女達のそれとは思えないほど、広く、大きなものに見えるのだった。




















 そして。





 その、真ん中に立っていた一人が……つまり、物語の中のもう一人の私が。
 不意に、ふらりと右に動き出す。







     ◆     ◇     ◆     ◇     ◆     ◇     ◆







「……えっ」



 ほんの一瞬、その異変に気付かずに私は呆然とする。
 私が、思い描いていない……本来なら取るはずの無い行動を取る登場人物の姿に、私の思考が固まる。

「え……あれ?な、何……?」

 そして……私が困惑し、物語の中で動き回る登場人物達の姿を思い描く余裕すら無くなっているにも関わらず。紙の上に描かれた私は、動くことを止めない。
 おかしい。いつもなら、物語を先に進める集中力が途切れた所で、描かれる世界は消え去ってしまうはずなのに。



 得体の知れない事態に微かな怖気を感じながら、止まれ、戻れ、言う事を聞けと念じ続ける私を嘲笑うかのように。
 物語の中の私は、本来なら絶対的な私の意識の制御を離れ、ゆっくりと、散歩でもするような足取りで歩き続け……私から見て右に立っていた、霊夢さんの背後に辿り着く。

 待って。一体何をするつもりなの。

 不穏な気配を感じ心の中でそう問い掛ける私の声など、まるで届いていないかのように……あちらの世界の私は、その手に携えた分厚い本を振り上げる。
 そして、私がその挙動の意味を推測するよりも、早く。



 大きく振り上げた、知識の塊を……微塵も躊躇することなく、霊夢さんの後頭部に、思い切り叩き付けた。



 ゴッ、と鈍い音がこちらまで響いてきそうな音が、書き文字となって一瞬だけ場面を覆い隠す。
 そうして、次に描かれた場面の中ではもう……物語の中で私の戦友だった霊夢さんは、ばっくりと割れた頭から真っ黒な染みを広げながら、力無く地面に突っ伏していた。
 しかし。あちらの世界に……他ならぬ私の頭と心が生み出したはずのその世界に、私自身にとって異常極まり無いとしか思えないそんな出来事に対して驚きを見せる者は、何故か、存在しない。

 私の思考に沿い、私の常識に付き従っていたはずの世界が、私の全く意図しない表情を浮かべ始めている。
 ぞわ、と背筋に蟲が這うような寒気がした。

「……ぁ……っ、ぇ……?」

 私が意味のある言葉を発することすら出来ずに見つめる先で、霊夢さんを叩き伏せた私が、再び勝手に左に向かって歩き出す。
 今度の足取りは、先程のそれよりもうんと軽く……ああ、危ない、と思った次の瞬間にはもう、魔理沙さんは何の抵抗もしないまま、霊夢さんと全く同じ目に遭った後だった。



 倒れ伏した、巫女と魔法使いの間。一切動くことも語ることもしなくなった吸血鬼と従者の、固まった視線が見つめるその先で。
 自分以外に動く者の居なくなった世界の、私ではない私は……こちらを振り向き。

 そして……この私の顔を、眼を、真っ直ぐにじっと見つめ始める。



 音も言葉も無くじっと投げ掛けられる視線から逃げ出したい衝動に駆られながらも、私は恐怖の鎖に縛られ、指一本すら動かすことが出来ずにいた。

「ぁ……や、嫌っ……な、何、何よこれ、っ……!?」

 描かれた二人分の死体はやがて、それが何だったのかも解からないようなぐずぐずの黒い染みになって、紙面を徐々に侵食するようにしてその支配領域を広げていく。
 倒すべき敵の姿も、精密に描き込まれた背景も、何も描かれていない余白さえも。もう一つの世界を構成していた何もかもが黒に喰われ、塗り潰されて……後にはただ独り、こちらを見つめる、私ではない私の姿だけが残った。



 眼の前で起きている現象の何一つとして理解が出来ない中、ただ、確固たる恐怖だけが私の頭と胸の中に流れ込んで暴れ始める。。
 それでも……何故か私の手は相変わらず、その本を閉じようとはしてくれない。瞼は、紙の上の私が投げ付けるおぞましい視線を遮ってはくれない。

「……は、ぁっ……ッ……あ、ぁ……!」

 やがて、浅い呼吸の音がやたらと五月蝿く響く中、私の視線から視線を外せずにいる私の、視界の隅で。
 白と黒で描かれた私を姿を取り囲む、全てを呑み込む漆黒の中に……白く丸い何かが、しゃぼん玉のように浮かぶのが見て取れる。
 何事か、と僅かばかりに動かした視線の先で、その白い丸の中に少しずつ、小さな黒い染みが浮かび上がる。





『有難う、本居小鈴』





 その中にじわりと現れた、短い文章を読んで……私はようやくそれが、今までも散々眼にしてきた、漫画の中の登場人物が発する言葉を囲うための枠だということに気が付き。
 そして一拍の間をおいて、眼の前にある言葉の異様さを、ようやく認識した。

「え……えっ?」

 有り得るはずの無い突然の呼び掛けに、私は思わず裏返った声を上げる。

 何だ。今、何が起きたというのだ。
 今……眼の前に居るもう一人の私は、誰に対して、感謝の言葉を述べたのだろうか。





『誰ってそりゃあ、君に決まってるだろう?』





 私が決して使わないであろう口調で、再び紙の上の私が音の無い言葉を紡ぐ。
 それは紛れも無く、たった今私が心の中だけで抱いた強烈な困惑と疑問に対する、私ではない他者からの回答としての意味を持った言葉だった。

 そんなまさか、と。頭の中でぽつりと浮かんだ突拍子も無い推論が、私の中でにわかに説得力と現実味を持ち始める。

「……あ、あなた、っ……」

 自分がしようとしていることが余りに馬鹿げていることに、しばし逡巡して……しかし私は意を決し、本の中の登場人物に向かって、大真面目に語り掛ける。

『誰か……と言われると、説明が難しいね』

 そして、私がその問いを言い終えるよりも先に、相手はさも当たり前のように曖昧な答えを返した。



 やはり、間違いない。これは、ただ私の空想を具現化するだけの道具ではない。
 この本の中には……私の頭の中を覗き見て、それを現実の物とするような何者かが、棲んでいたのだ



 知らず知らずのうちに自分がそんな正体不明の何かと関わっていた事に薄ら寒い思いをしながら、私はなお、眼の前で私の姿をしているそれに向けて、おそらく相手にとっては無用なのであろう声に出した問い掛けを続ける。
 眼の前に居るのが何者であれ、ここまで何度も深く関わってしまったのだ、せめてどんな相手なのかは見極めておかなければいけない。

 ……というのは建前で、本当は、単純に好奇心に負けただけのような気もするが。

「妖怪……なの?」

 と、そんな風に訝しさ半分、物珍しさ半分で恐る恐る接触を図る私の胸中などお構い無しとでも言うように、眼の前の私は緊張感の無い顔と声で笑う。
 もちろん、紙の上に記されているだけの文字に、声も何もあったものではないのだけれど……それでも私には、文字だけで表現されるその笑い声が、何故かとても明るく友好的な響きを持ったもののように感じられたのだった。

『君達が言う所の妖怪の類であることは、確かなんだけれどねぇ』
「……なんだか、曖昧な言い方ね」
『妖怪の定義にもよるけど、人間でも幽霊でも神様でも宇宙人でもないことは確かかなぁ』

 妖怪にあるべき妖しさも怪しさもまるで感じさせないのは、自分と同じ見た目をしているからか、それとも世間話をするようなその口調のせいか。
 何度か言葉を交わしただけだが、私はだんだんと、意識の半分で警戒していることすら馬鹿馬鹿しい気分になってくる。

「いつからそこに居るの?いつの間に、その……この店に、入り込んだの?」
『この本の中には、随分昔から住んでるね……けど、実は長いこと眠っていたから、どうしてここに居るのかは僕にもさっぱりなんだ』
「そう、なんだ……」
『悪かったね、君の店の本棚を勝手に寝床にしちゃってたみたいで』
「ああ、ううん、そんな別に……気にしないで」

 どこか寂しげな表情を浮かべてそう詫びるもう一人の私に不意を突かれ、何故かほんの少しだけ慌てながら、私はさり気なく話題を別の方向へと軌道修正する。

「ところで、さっきの有難うってどういう意味?ええと……妖怪、さん?」

 そこで初めて私は、目の前のそれを何と呼べばいいのか、その名前に思い当たる物が無いということに気が付いた。

『妖怪さん、かぁ……便宜上、呼び名はあった方がいいんだろうけど、生憎僕は自分の名前って物を持っていなくてね』

 そのまま妖怪さんというのも少し味気無いなぁ、と頭の隅で考えてた私の思考を読み取ったのか、本の中の私は頭に仕舞われた記憶の箱の中で何かを探すようにしばし瞑目して……やがて、ああ、と何かを思い出したように手を叩く。

『そうだった……自分で名乗ったことはないけれど、壁抜け、なんて呼ばれてたこともあったっけなぁ』
「壁抜け……?」

 壁抜け……確か、そんなことをする仙人が割と最近になって現れたと聞いた記憶もあるが。そんなことを考えると眼の前の私は、そうなんだ、是非お会いしてみたいね、と笑いながら軽口を叩く。



 その頃には私は、思ったよりもうんと毒気の薄いその態度に拍子抜けし、自分でも意識しない内に心の警戒を薄れさせ始めていた。
 目の前のもう一人の私が、得体の知れない恐怖や不安の対象としてではなく、突然眼の前に沸いて出た妙ちくりんな生き物、程度のものに見え始める。

『大昔のことだから、誰に呼ばれたかは忘れたけど……なんだか、おかしな名前だろう?』
「え……えぇ、まぁ、その……」
『けれど、僕自身は結構気に入ってるんだ。その名前は僕の事を、性質を、よく言い表してる言葉だからね』

 壁抜けという言葉が、その性質をよく言い表している、とは。いまいち、ぴんと来ない。
 そもそも、本の中にしか居ない妖怪に壁を抜けるも何もあるのだろうか。頁の端と端を通り抜けるとか、髪の裏側へ通り抜けるとか、そんな下らない妖怪なんて居るはずが……いや、無いとは言い切れないか。

『はは、流石にそんな理由じゃないよ……尤も、こんな本の中でずっと何も出来ずに眠っていた下らない妖怪だというのは、事実だけれど』

 私の無礼な想像に、自嘲気味な台詞と共に苦笑して。壁抜けと名乗った彼は―――今は私と々女性の姿をしているが、一人称や口調から推察して仮に「彼」としておこう―――紙の上で、言葉を続ける。

『けれどね……僕は君のおかげで、本来の自分を取り戻すことが出来た』
「ああ、そうだったわ……だから、さっきのお礼はどういう意味なの?」

 そこまで来て、ついさっき心の中に浮かんだ疑問のことを思い出す。そうだ、私は何故この妖怪から、有難う、などと礼の言葉を告げられたのだろう。



 その質問に答える為か、しばしの間顎に指を当てて言葉を捜すように視線をあちこちに動かして……彼の背後に浮かぶ空白の中に、私の知らないその物語が語られ始める。

『さっき、僕は長いこと眠っていたって言ったろう?あれは実は、簡単に言えば、お腹が空いていた所為でね』
「お腹が?」
『そう、世の中には色んな物を食べる妖怪が居るだろう?』

 そう言った彼の背後、真っ黒に塗り潰されていた背景の闇の中に、いくつかの絵が浮かび上がる。それはどこかで見たような、でも実際に眼にしたことはないような、記号のように簡略化された姿の妖怪がいろいろな物を食べている場面だ。

『木や草花、虫や魚や獣、同じ妖怪、人の肉や魂、それに感情……そして僕が食べるのは、誰かの「想像する力」なんだ』
「想像する……力……」

 漠然としていて、あまり具体的に想像が出来ないが……ともかく、人間が頭の中で何かを想像することが、その生きる糧になっているらしいということは解かった。
 自身が生み出したのであろうそれらの絵に囲まれた彼は、本の外からその様子を眺める私を指差して、続ける。



『君はこの本を手にとって、いろんな世界を想像し、描いていたよね?』



 その言葉を眼にした瞬間、ぴし、と自分の中で何かが罅割れるような錯覚に陥る。

「……え、あ……えぇ、まぁ、その……」

 いろいろな世界……ああ、確かに私は、この本の頁にいろいろな世界を描いてきた。
 心躍る冒険活劇の世界から、甘く切ない恋物語の世界、そして……あまり大きな声では言えないような、恥ずかしい空想の世界まで。
 眼の前の本に彼のような者が棲んでいるとも知らず、良からぬ物語を思い描いて浅ましい行為に耽っていたことを思い出すと……なんだか、恥ずかし過ぎてそのまますぐにでも消えて無くなりたいような気分になった。

 しかし彼は、別にそのことに言及するでもなく冗談めかして笑う程度に留めて、そのまま話を続ける。
 ……正直、過剰に反応するわけでも忌避するわけでもない、その程度の受け流すような反応が一番有難いものだ。

『まぁ……ともかく、僕を見て色んな空想を膨らませてくれる他の誰かの想像の力を、糧として分けて貰いながら、僕は生きてきたんだ』
「え、えぇ」
『けれど、ちょっとした不運があって……他の誰かの想像力に触れる機会を失ってしまってね』

 ばつが悪そうにぽりぽりと頬を掻きながら、彼は何か重要そうなことをさらりと言ってのける。

「機会を失ったって、そんなの……生きる為の糧を、失ったってこと?」
『そうだね。そうして、誰も居ないこの本の中で、飢えて、意識も失って……次に気が付いた時には、君が空想した世界の中に居たんだ』

 しかし、おそらく彼にとってはまさに生きるか死ぬかの瀬戸際だったであろう重大な出来事のことは、簡単に流して……彼はまた私に向き直り、その胸に手を当てて、改めて私に向けた感謝の言葉を綴る。

『本当に、有難う……大袈裟じゃなく、君は僕にとっての救世主だったんだ』

 救世主、だなんて大仰な言葉を使われてしまうと、こそばゆいような気がするが。まぁなんというか、知らず知らずの内にとはいえ、自分が彼の命の危機を救ったのだなぁと考えると、不思議と悪い気はしなかった。
 あまり自覚が無いのと、なんだか気恥ずかしいのとで私が言葉を返しあぐねていると……彼は何かを成し遂げたように満足げに笑って、言う。





『それでね。お返し、になるかどうかは解からないけど……君には特別に、僕の力のことを教えてあげようと思うんだ』
「っ!」





 その台詞を眼にした瞬間。彼の話に耳を、もとい眼を傾けながら、心の中でずっと燻っていた好奇心が、にわかに勢いを増して燃え上がる。
 本の中に棲み、それを手にした者の空想の世界を紙の上に具現化する妖怪。人呼んで、壁抜け。

 今まで見たことも聞いたことも無い、謎と不思議だらけの存在の秘密が、眼の前で明らかになる。我ながら危なっかしいとは思いつつも、やはり冷静ではいられない。

 無意識のうちに姿勢を正す私に向かって、彼は語り始める。



『君は……「第四の壁」という概念のことを、知っているかな?』
「……第四の、壁?」



 まったく聞き覚えの無いその言葉を、思わず復唱する。
 壁抜け、というその名前に関係があることは明白なのだが、それが何なのかは全く想像も出来ない。概念というからには、例えばこの部屋を囲んでいる物理的な壁とはまた別のものなのだろうが。

『例えば、君が今漫画を読んでいるとしよう』

 私の頭の中に浮かんでいる疑問や思考を読み取りつつも、彼はそのまま言葉を続ける。彼の台詞が浮かび上がった直後、その姿を取り囲むように、普段読んでいた漫画と同じ駒割と背景が描かれる。
 いつの間にかその手には指示棒が握られて、彼は教壇に立つ教師さながらに、私に向けて講義を始めた。

『その物語の世界には、四枚の壁があるんだ。そのうち二枚は場面の左右を仕切る絵や舞台の端にある境界線、そして一枚は登場人物たちの奥にある背景……』

 彼は自分の左右を、そして背後を指差してそう説明を加える。その度に指揮棒の先から、弾幕ごっこの弾のような物が飛び出して、彼が言う壁に当たる部分にぶつかって弾けた。
 そして彼は最後に、手にした指示棒の先をこちらに向ける。

『そして最後の一枚、第四の壁というのは……今君の目の前にある、この壁のことだ』

 やはりその先からは弾が飛び出して、徐々に駒の中でその面積を広げた後、全てを覆い尽くすかに見えた瞬間に同じ様に弾けて消える。

「……この、壁……?」

 何を言わんとしているのかが今ひとつ理解できずに首を傾げる私を見て、私の顔をした何かが笑う。

『つまり、この場合は……僕がこうして動いている漫画の中の世界と、実際に君が存在する世界を隔てる、この紙面のことだよ』
「うーん……紙面が、壁……?」
『そうさ。漫画の登場人物と読者、あるいは、芝居の登場人物と観客……そういう両者を隔てる、絶対的な壁だ』

 彼がこちらに向けて指揮棒を軽く振ると、こんこん、とまるで窓硝子を叩くような擬音が小さく飛び出す。視覚的な説明が加わることで、私はようやく、漠然とではあるが彼が言う壁のことを意識出来るようになった気がした。

『壁の中の人物は「第四の壁」の向こうが見えない、それどころか壁があることにも気付かない』
「そう……いう、物なのかしら」
『そういう物だよ。そして一方、壁の外の人物は、壁があることには気付けてもやはりその向こうの世界には干渉出来ない』
「……うーん……」
『君が物語の外で何を考えても、仮に呼び掛けたりしても……物語の中の住人はお構い無しに、自分達だけでお話を進めてしまうのさ』

 そう説明する彼の言葉に伴って、描かれた場面が彼の横に回りこむように動く。必然的に横顔を見せるようになった彼の眼の前には縦一本の線で表された壁が、それを挟んで反対側にはそれと全く同じ姿をした少女、つまり私の横顔が大写しになる。
 なるほど、つまり私の眼からはこの壁の向こうが見えるけれど、その反対側からは見えない、という仕組みになっているわけか。そして見える見えないに関わらず、お互いの世界の住人は壁の向こうに干渉することは出来ない、と。



「……あれ……?」

 いや、しかし……それは、おかしいんじゃないか。
 彼が言っていることはなんとなく解かってきたような気がする。実際に、私が今までの人生で触れてきた数多くの物語ではそういう概念が成立するんだろう、ということは納得出来る。

 けれど、今、私の目の前では……。



『でも、お前は壁のことを知っているし、壁の向こうが見えているじゃないか。私は、物語に干渉出来ているじゃないか』

 私の頭に浮かんだ当然の疑問を、私の物とは違う言葉で彼が先回りする。
 よくぞそこに気付いてくれた、とでも言いたげな満足そうな顔で、彼はわざとらしく胸を張って見せた。

『そうさ、その通りだよ。それが僕の能力……僕がこんなところに幽閉される原因になった、僕の力さ』

 つまり……それが、壁抜けという名前の由来というわけなのだ。
 本来なら越える事が出来ないはずの壁を越えて、こうして干渉することが出来る。それこそが、彼の持つ能力ということか。





 ……いや、待て。それよりも。

「え、今……幽閉?それって……」

 さっきは……本の中で身動きが取れなくなったのは、何か不運があった所為と言っていた気がするが。

『第四の壁を越えて、物語に入り込み、干渉し……そして物語の中から、現実の世界に干渉する……』

 そんな、幽閉だなんて言い方をしてはまるで、本の中に封印でもされていたみたいじゃないか。

『架空の世界にあらゆるものを持ち込み、架空の世界からあらゆるものを持ち帰る、そんな夢のような力だよ』

 例えば、そう……。

『例えば、そう……』

 この世に存在することが許されない類の、邪悪で危険な妖怪達が、時としてそのような方法で退治されてきたのと同じように。







『君の頭が空想して作り出したこの世界から、逆に君の頭の中へ……僕が危険な妖怪じゃない、って空想を押し付けることも出来るんだ』







 その言葉と共に彼は、ぱちん、と指を鳴らすような仕草をする。

 小さな書き文字でその音が表現されるのを眼にした、瞬間。
 私は頭の中に、きっとそれと同じであろう音が鳴り響くような錯覚に陥り……同時に、ほんの数分前までは私の中に確かにあった、しかし不自然な程の急速さで失われていった感情が、爆発的に再燃する。







「……っ……!?」

 驚愕。困惑。疑念。危機感。
 思わず身を震わす程の……得体の知れない、恐怖。

 滅多なことでは拭い去れないであろう鮮烈な感覚、感情の波が、気付かぬ内に凪いでいた心の湖面を激しく荒れ狂わせ始める。



「え……な、なんで……なんで私……っ、えっ……!!?」

 一瞬で、自分で自分が信じられなくなる。

 何故、何故私は忘れていたのだろう。
 この恐ろしい妖怪が、私の目の前で物語の中の霊夢さんや魔理沙さんを殴り殺したことを。それを見て、全身が粟立つような怖気を感じたことを。

『はは、びっくりさせちゃったかな……気持ち悪いもんだろう、急に夢から醒めたみたいでさ?』

 私と同じ顔に邪気の無い笑みを浮かべながら、彼は……壁抜けは、愉快そうにおぞましい台詞を吐く。その背景がまたぐずぐずに崩れて、黒と濃い灰色が泥のように混ざり合った模様を描く。
 それまでと何ら変わらない、その表情や口調に……私は、もはや心の緊張を和らげられるようなことは有り得ないだろうな、と思った。





 現実の世界と、空想の世界。その境界線を曖昧にし、簡単に乗り越えて渡り歩き……その気になれば、滅茶苦茶に混ぜ合わせることすら出来る能力。

 この妖怪はそれを、夢のような力だ、と言う。
 夢と呼ぶなら確かにその通り、そんなことが現実に起きるのだとすればそれは……悪夢、そのものではないか。

 なんて恐ろしい、力だろう。
 なんて……おぞましい、忌々しい、禍々しい、存在だろうか。





 今の今まで、自分が確かに抱いていたはずの恐怖や猜疑心を忘れて目の前の化け物と暢気にお喋りしていたことに、改めて戦慄する。
 人が空想した架空の世界で自在に動き回り、あまつさえその世界を生み出した意識そのものにまで干渉し……頑なな心の障壁すら溶かすように無に帰して、難なく歩み寄ってくる笑顔の怪物。

『けれど……君の類稀なる想像力を糧にして、僕は自分の力を取り戻すことが出来た』

 そんな相手に私は……想像の世界を、際限なく提供して。何の疑問も抱かずに、餌を与え続けていたというのか。

 いや、もしかするとそれを疑問に感じること自体が、この妖怪の力によって阻害されていたのかも知れない。
 きっと彼は、私の心を雁字搦めにするこの想像を絶する恐怖ですらも……いつの間にか、綺麗に忘れさせてしまえるのだから。



 やがて……私の顔で一頻り笑った妖怪の周りで、紙の上を埋め尽くしていた黒と灰色の歪な渦が、徐々にその色と形を変化させ始める。

『だからね、本居小鈴。僕は、今すぐにでも……』

 秩序無く混ざり合っていた濃淡が徐々にその形を整え、あちこちで同時多発的に様々な図形を形成していく。
 そしてその渦は、次第に何かの形を成し始めて……やがて。
 開いた二枚の頁を跨いで、私が良く知る光景が、大きく描き上げられる。





『今すぐにでも、君に、お礼を言いに行きたい気分なんだ』

 それは紛うことなく……貸本屋、鈴奈庵の外観だった。





「え……な、何、なんで……なんで、うちが……?」

 不意に、前髪で目元を隠すように俯いて。口元だけで、にぃ、と怪しく笑い。

『じゃぁ、すぐにそっちに行くからね』

 私の姿をした彼はその言葉を残して、紙の上で振り返ってこちらに背を向ける。
 そして……その足は、やはり紙の上に描かれたこの店の入り口へと、歩を進め始める。



 すぐにそっちに行くからね。



 先ほど眼にした、ごく短いその文章が、圧倒的な恐怖を伴って脳裏に蘇る。

「……い、嫌っ……!?」

 目の前に描かれたそれが、何を意味するのか。壁を越えて干渉するというのが、一体どの程度の範囲までを指すのか。
 必死で思考を巡らせた結果、ある一つの可能性に思い当たって……私は純粋な恐怖に激しく身震いする。腹の底から、ささくれ立った悲鳴が喉を駆け上がる。

「嫌、嫌、嫌嫌嫌だ嫌だいやだいやだやだやだやだ!止めて、来ないでぇッ!!」

 頭と心と言葉で必死に訴える私の願いにも聞く耳を持たず、その姿は紙の上でどんどん遠ざかって行く。
 程無くして、描かれた店の暖簾が微かに揺れ、辛うじて見えていたその背中が黒く塗り潰された闇の中へと掻き消えて。

 そして、次の瞬間……。















「小鈴?」
「うわああぁぁぁぁぁあぁぁっっっ!!?」





 不意に耳に届いた……ただの文字ではなく、確かな音を伴ったその言葉に、私は仰天して悲鳴を上げた。
 その拍子に椅子が後ろに傾いて、そのまま派手な音を立てて床に倒れ込む。弾みで蹴り上げた机の上で、積み上げられた本の山や筆立てが一斉に跳ね上がった。

 鈍い痛みが全身を襲う中、私はようやく、自分がたった今聞き覚えのある誰かの声を耳にしたということに気付いて顔を上げる。
 背の高い机越しにこちらを見下ろしていたのは……私の姿をした妖怪などではなく、胸に何冊かの本を抱えた阿求だった。

「な、何よ……そんなに驚かなくても……」
「え、っ、ぁ……あれ、あ、阿求?」

 呆気に取られてこちらを見つめる思わぬ来客に、私は素っ頓狂な声で答える。
 小さく呻きながらなんとか身体を起こし、派手に倒れた椅子を立て直し改めて腰掛ける。

「阿求?じゃないわよ……大丈夫?」
「ご、ごめん、ちょっと大変なことがあったばっかりでさ……」

 私は取り落とした本を机に置いて、苦笑混じりにそう答えて。



 ……そして、今度は忘れることなく、思い出す。脳裏に刻まれた、その恐怖を。

「うわぁっ!」
「きゃあっ!!?」

 反射的に私は、たった今自分が机に置いた本を叩き落す。私の突然の奇行に驚き飛び退く阿求の隣を掠めて、おぞましい妖怪の巣食う本は回転しながら店の隅まで飛んで行く。

「はぁ……はぁ、っ……!」
「ちょ……な、何なの?大丈夫、ホントに……?」

 息を荒げる私の様子が流石に心配になったのか、気遣うようにそう声を掛けてくれる阿求の手を、私は追い縋るように必死に掴む。
 今はとにかく、この場に自分以外の誰かが居てくれることが有難かった。

「た、大変なの……よ、妖魔本が……ほ、本から、本から妖怪がぁっ……!!」

 私は何をどう説明したものか解からず、とにかく思いつくままに言葉を垂れ流す。人に理解して貰えるような状況説明が出来る自信はまるで無かったが、それでもなんとか、今ここで恐ろしい事が起きたのだということだけでも伝わってくれればいい。

「え、何?妖怪?」

 阿求は訝しむ様を隠そうともせず眉を寄せて困惑の表情を浮かべるが……徐々にその顔に、どこか真剣さを帯びた表情が浮かび始める。

「と、とにかく……とにかく、ここを離れなきゃ!あいつが、あいつが来るかも知れない……!」

 よかった……どうにか、ただ事ではないということだけは伝わったらしい。



 だが。
 一刻も早くここを離れなければ、と、椅子を弾くように立ち上がりかけたその時……阿求が、呟く。

「あいつ、って……小鈴、まさかそれ……」
「え……?」

 どうやら、何かを知っているらしいその口振りに……私は、今にも阿求の腕を引いて逃げ出そうと伸ばし掛けた手を止める。



 そうだ、何故思い当たらなかった。

 阿求なら……この幻想郷で、その祖先達が見聞きした全てをその頭の中に記憶している彼女なら、私が存在すら知らなかったあの妖怪の正体について何か知っているかも知れない。
 例え、真っ向から立ち向かうことが現実的でなかったとしても……その力は、知識は、この状況を少なからず好転させ得るのではないだろうか。

 阿求をこんな形で巻き込んでしまったのは、忍びないけれど……大丈夫だ、二人なら、きっと切り抜けられる。





 絶望的なまでの恐怖の渦に巻き込まれ、闇に閉ざされたかに見えていた心の中に、微かな光が差す。

 大丈夫……二人なら、きっと切り抜けられる。

 そんな確信の中、まだ抑えきれない震えに絶えながら、顔を上げたその先で……阿求は、私に向けて笑い掛けながら、言った。















「こんな風に喋る、妖怪だったかしら?』

 声ではなく……音の無い、宙に浮かんだ白い楕円の中の、文字で。








 






『なぁんちゃって』

 見慣れた阿求の姿、その背後に……白い楕円と共に浮かび上がった言葉を眼にして。
 私の思考は、瞬間に時を止められたかのように、ぴたりと凍り付いた。

 阿求が……いや、阿求の姿を借りた何者かが、阿求なら決して見せることが無いであろう類の笑みを浮かべる。
 一瞬で錆付いた思考が、軋んで悲鳴を上げながらぎこちなく回転し……それが、紙の上で振り返る直前に、私の姿をした何者かが浮かべた笑みと同質のものであるということを辛うじて思い出させた。



 すぐにそっちに行くからね。

 その言葉が今まさに現実のものとなったことを、断じて理解などしたくなかったその事実を……程無く、私の頭は理解してしまった。



 阿求の姿をした何かに……彼に、無意識のうちに縋っていた震える手を、なんとか引き剥がして。私は、震える喉をなんとか鞭打って言葉を紡ぐ。

「な、なんで……」

 心の中に、様々な感情が、そして疑問が、混ざり合って渦を巻く。ひしめき合う余り言葉として外に出ることすら出来ずに、それらが喉の奥で立ち往生する中で……私は、ひゅる、ひゅると何度か空気の抜けるような声にならない音を漏らした後、辛うじて、一つの疑問を吐き出す。

「なんで、あなた……阿求のことを……!?」

 どうせ、そんな言葉を待たずとも私の問うべきことにとっくに気付いていたはずの彼は、現実世界においても相変わらず音という物を伴わない言葉で、私に語り掛ける。

『なんで、って……君が教えてくれたんだろう?この娘も何度も登場したじゃないか、君の物語の中にさ』

 紙の上の世界ではなく、第四の壁を抜けて私と同じこの世界に顕現した彼は、今度は阿求の姿で、阿求の使わない言葉を用いた台詞を吐く。

『君の想像で大体の事は教えて貰ったよ……大層沢山の思い出を持って生きている娘みたいじゃないか』

 白い楕円の中で黒く浮かび上がる文字は、心なしかうきうきと弾んでいるようにも見えて……それはまるで、久方振りに外の世界に出られた彼の晴れ晴れとした気分を、視覚的な動きで表現しようとしているかのようだった。

 まさか、こんな形で他の誰かを巻き込んでしまうことになるなんて。自分の迂闊さが情けなくて涙が出そうになる。

『良いねぇ、実に良い娘だ……経験や思い出が豊かな人間程、想像する力というのも強いものだからね』

 そして、そんな私を尻目に。
 文字通り弾むような明るい言葉で喋る、妖怪は。



『よし決めた、次はこの娘の想像力を食べさせて貰おう』
「な、っ……!?」

 そんなおぞましい言葉を……またしても、いとも簡単に紡いでみせる。



『そうすればもっと、僕は自由になれる……壁を越えて、全てを混ぜ合わせて、壁のあちらとこちらを引っくり返せるくらいに』

 想像力、というものの強さや大きさがどんなものかは、正直言ってよく解からないが。
 それでも、もしもそれが人の知性や精神に根差す力なのだとしたら……何世代にも渡る記憶をその身の内に蓄積し続ける御阿礼の子などは格好の餌になるのではないか、ということは、私にも予想が出来た。

 そして同時に……想像力を食う、という行為が具体的にどんな物なのかは私には想像すら出来ないが、そんな私にも、阿求がその標的になることが阿求にとって害にならないわけが無いということだけは、容易に確信出来た。

『想像しただけで、わくわくするなぁ……あはは、ははははっ……』
「……っ……!」

 もしもそんなことになったら、阿求が、そして幻想郷が、この現実の世界全てが危険に晒される。

「……誰が、そんなこと、っ……!」

 そうと解かって……こいつを、このまま行かせるわけにはいかない。

 私に一体何が出来るのかなんて、解からないけれど。
 どんな手を使ってもいい、この場で打ち勝てなくたっていい。
 せめて……せめてこの『異変』を、解決し得る力を持つ誰かに伝える、その方法を考えなければ。





 と……そんなことを、頭に思い浮かべてしまってから

『……邪魔をされると面倒だなぁ』

 私は、自分が取り返しの付かない過ちを犯したことに気が付いた。






「……っ、あ……!」

 それまでただ困惑し恐怖するばかりだった私が、自分に害意を抱き始めたことを敏感に感じ取って。阿求の姿をした化け物は、その表情を僅かに曇らせる。



 どうにかしてこの状況を切り抜けて、誰かにこの危険極まりない妖怪の存在を知らせて……悪夢の具現のようなこの妖怪から、阿求を、そしてこの幻想郷を守らなければ。

 頭の中で私がその筋道を、未来の物語を組み立てようとしたことは、もはや、相手に筒抜けだった。



 駄目だ。
 もう、私にはどうしようもない。

 思考が、そのことを理解してしまい……全身から、力が抜けていく。



『君が、そういうつもりなら』

 椅子の上にへたり込んだまま、絶望に身を竦めるばかりになった私を見つめながら。

『悪いけど……僕の物語からは、ここで、退場して貰うことにしよう』

 ここに来て初めて、張り付いたような笑顔の仮面ではない、その身の内に渦巻く負の感情の純然たる発露であろう表情を顔に浮かべ……阿求の姿をした妖怪は、腕を伸ばし、その掌で私の頭に触れる。



 そしてそのまま、私の命を奪うことなく、それどころか肉体に傷の一つとて付けることもなく。
 静かに触れる、たったそれだけで彼は……この世界で今日まで続いてきた私の物語に、幕を引いた。










 現実と空想を渡り歩きながら、際限無く貪り食った、想像力。
 おそらく、そのほんの一部に過ぎない小さな欠片が……少女の細くしなやかな掌を通じて、私の頭に、流し込まれる。




















     ◆     ◇     ◆     ◇     ◆     ◇     ◆




















 次の瞬間には、私は紫色の髪と瞳を持つ魔女の実験台にされていた。



 霊夢さんも魔理沙さんも、魔女と悪魔の攻撃の前にあえなく敗れ去って。傷付き倒れ、自由を奪われて囚われの身となった二人の命の保障と引き換えに……私はこの身体を魔女に差し出すことを決めたのだった。

 私は、空中に固定された光の鎖で半ば釣り下げられるように拘束され、硝子のように透明な外壁を持つ大きな箱に閉じ込められていた。



「ぅ……っ、く、ぁぁっ……」
「その程度で音を上げてるようじゃ、実験が終わる前に死ぬかも知れないわねぇ」

 箱の外でせせら笑うように告げる声が、透明な壁を通じて響く。
 私はその言葉に何も言い返すことが出来ないまま……ただひたすら、際限無く与えられる望まない快楽の責め苦に耐え続けていた。

 私の身体は、辛うじて床に付いた爪先から脚、腰を越えて胸元までを……蛇か蚓のように蠢く無数の触手に、包み込まれていた。

 今私を取り囲む、硝子のように透明な壁……実際には魔力によって構築された、物理的に存在するどんな物質にも引けを取らない程に強固な壁には、光の線で構成されたいくつもの奇怪な魔法陣が描かれている。
 そして……それが、私を箱の外で悠々と観察する魔女の持つ魔力と引き替えにこの世界に顕現させているのが、この触手達なのだ。

「は、っ、ぁあっ……ひぅ、っ……ん、っっ……」

 壁から垂れ下がり、木の蔦か血管のように床を這って箱の中心を、つまり私の下を目指すそれは、こちらに近付くに従って徐々に枝分かれして頭数と質量を増していく。
 それらは私の爪先に触れるや否や、群を成して絡み付き、足首や太股を鈍い動きで這い登り……今や、私の身体の半分以上を覆い尽くしていた。

「こんなに脆いんだったら、他の二人を実験台にした方がマシかしら?」
「……ぐ、うぅっ……」

 私は唇を噛み締めて、漏れそうになる上擦った声を必死で腹の底に押し込める。
 爪先から私を這い上がる触手達は、私の肌の上で蠢くだけでは飽き足らず……自由を奪われた私の入り口を見つけ、侵入と蹂躙を繰り返すようになっていた。

「ふ、やぁっ!?」

 他の誰にも許したことが無い場所へと容赦無く押し入り、奥深くまでその頭を埋めた、他よりも一回り太い一本が……その小さな突起の並んだ先端で、私の内側を抉る様に刺激する。思わず腰が跳ねて、堪え切れずに甲高い嬌声が響く。
 吐き気を催すような嫌悪感と……それを覆い尽くして思考を麻痺させるような、鮮烈な快感が常に意識を苛み続ける。
 心では必死に抵抗し拒絶していても身体の火照りが止まらないのは、おそらく、この触手達が身に纏うぬめった粘液の所為だろう。その揮発した蒸気を吸い込む度に、私の身体は腰が抜けるような甘い痺れに襲われ、何度も何度も繰り返し小さな絶頂を迎えていた。

「あの子達を選ぶなんて、パチュリー様も人が悪いですね……」
「ええ、けれど、貴女みたいな悪魔を従える魔女としては上出来でしょう?」
「ふふ……ご尤もですね」

 まさに悪魔の名に相応しい邪悪な笑みを浮かべる少女と語らいながら―――愉快そうに私の痴態を眺める様子や言動から察するに、どうやら淫魔の類だったか―――それに勝るとも劣らない寒気のするような冷笑を浮かべて、魔女はそっとその痩せ細った白い手を透明な壁に添える。
 触れた部分から青白い光が波紋のように広がり、それを受けた魔法陣達が、禍々しい光を放ちながら活性化する。私の肌の上でのた打ち回る全ての触手が、私の中で好き勝手に暴れ回る数多の触手が更に凶暴性を増し……当然その全てを一身に受け止める私には、許容量を超えた快楽の波が一気に流れ混む。

「ひ、っっ、あ、あっ、ああ、ッッッ……っぐ、ぁが、っっ!!?」

 今度こそ堰を切って迸るかに見えた叫び声は、しかし、急速に身体を這い上がり遂に口元にまで達した触手の群によって喉の奥へと封じ込められる。
 生臭く苦味を伴う粘液が無理矢理こじ開けられた口内に流し込まれ……それがまた、腹の底に燃えるような疼きを生じさせる。

 身体の内も外も、隅々まで調べ尽くすように……おそらく感情など持たないであろう異形たちの陵辱が、少しずつ、最後の最後に残された私の理性の糸を焼き切っていく。



 そして。

「それじゃ……そろそろ、終わりにしましょうか」
「あら、もうですか……残念ですね」
「ふふ、どうかしら……ねぇ?貴女がここで終わったら、次はあの二人の番ですもの、ちゃんと我慢するわよねぇ?」

 心の底から侮蔑し嘲笑するような口調でそう告げて……私がそれに、鋭い視線の一つ返せない程に追い込まれているのを確認してから。
 魔女は手にした魔導書を指を使わずに捲って……もう一方の手を、再び、透明な壁に添える。

 その口が、聞いたことの無い言語で何事かを呟くと……またしても、私を囲う壁に波紋が広がる。
 そして、どくん、と空気全体が脈打つような感覚の後。

「……っ、ぇ……?」

 私は……壁から生えた触手の群の中に、大きな瘤のようなもの生まれたことに気付く。
 壁面近くで生まれたそれは、重力に引かれるよに下に落ち……そして、触手の群の中を滑るようにして、こちらに近付いてくる。
 しかもそれは、一つではない。四方八方から私に迫る触手を導火線のように辿って、それは一斉に私の身体を目指して移動を続ける。

 あれは一体、何だろう。
 あれが私の元に辿り着いたとき、一体、何が起こるというのか。

 鈍った思考で、そんなことを考え始めた頃……私の中を満たした触手の群れが、何かの気配を感じて、ぶるぶると微かに震え始める。

「っく、ぁっ……?」

 身体の内から外から微細な振動に襲われて、私は思わず上擦った声を漏らす。
 その間にも生まれた瘤はどんどん触手の群の中を進み……そして、ついに重力に逆らって私の足を這い登り、私の入り口に達する。

「っ、あ、ぁあッ……!!?」

 しこりのように小さな瘤が、何本もの触手に占領された私の入り口を更に少しだけ押し開いて、体内に進入する。
 時間差でいくつもの同じような瘤が私に到達し、秘所に、尻に、口の中に入り込む。他の触手よりも少しだけ高い熱を持ったそれに、体内が微かに暖められ……。




 そして。
 想像よりも小さな見た目と緩やかな進入に、私が微かに気を緩めた、次の瞬間。

「ん、っっ……っく、ぁっっ、っ……!!?」

 いくつもの触手の先端から……ほとんど同時に、焼けるように熱い粘液が、噴出した。



 体内で弾けるようにぶち撒けられるその熱に、私は思わずびくりと全身を強張らせる。火照った身体よりもずっと熱く、絡みつくような粘度を持つ液体が、上から下から体内に注ぎ込まれる。
 そして、それからものの数秒で……私の身体は、それまでの甘い疼きとは比較にならない程の快楽に、包み込まれた。

「あ、あ゛あっ、ぁ、ああああぁっぁあ゛あぁぁぁぁあぁっぁあッッッ!!」

 触手達から染み出す、媚薬のような粘液。
 それを何十倍にも、何百倍にも凝縮したような、およそ人の心身に耐えられるはずの無い快楽を生じさせる劇薬が、容赦無く流れ込む。

 しかも……私を目指して近寄ってくる瘤は、私が自由にならない身体を痙攣させ、腹の底から全身を焼かれるような錯覚に陥っている最中にもなお、その数と勢いを衰えさせようとはしない。
 新しい瘤が侵入する度に、滾々と溢れる蜜と粘液の混ざり合った白濁した液体が秘所から押し出されてぼたぼたと滴り落ちる。尻から流し込まれるそれの所為で、腹がぱんぱんに張り始める。

「お、ぶっ……っ、うぇ、ッ、ぁがっ……っ、ぐ……!?」

 身動きもとれず、ただただ触手達が吐き出す欲望を、肉の袋のようなったかのように無抵抗に受け入れて。
 焼けるような熱と息苦しさに、意識が焼き尽くされて活動を止める直前。







 どこか、遠くで。

「安心しなさい、これで狂ってしまっても……ちゃんと丁重に扱ってあげるわよ」

 魔女の声が愉快そうに囁くのを、私は聞いた気がした。



「なにせ、貴女は……この子達の、大事な大事な、苗床ですものね」



 現実が幻聴かも解からない、その言葉の意味を考えるよりも先に……世界が、暗転する。




















     ◆     ◇     ◆     ◇     ◆     ◇     ◆




















 次の瞬間には、私は妖怪達の慰み者になっていた。



 妖怪の中でも過激な思想を持つ一部の凶暴な者達が、人間との共存などという甘い考えに反旗を翻し大挙して人里を襲ったのは、突然のことだった。

 何の前触れも無く突如として牙を剥いたそれは、異変解決に携わる多くの人妖が行動を起こすよりも早く、燃え広がる烈火のような凄まじい勢いで人里や周囲の土地をその占領下に置き……大勢の人間達が、一瞬にして命や家族や住処を奪われることとなった。
 そして……辛うじて命だけは助かった人間の何人か、その中でも特に若い娘の多くは、生きたまま妖怪達の根城へと連れ去られ、その身体を玩具のように好き放題に弄ばれていた。

 家族も、家族同然に過ごしていた使用人達も、友人も……密かに将来を誓い合っていた恋人さえも、眼の前で無残に殺されて。
 抵抗する意思も、この惨状に歯を食い縛って耐え続ける気力も、粉々に打ち砕かれて……私もそんな妖怪達に弄ばれる玩具の一つとして、苦痛と絶望に満ちた日々を送っている。






 私を連れ去ったのは、身の丈が人間の三倍はあろうかという巨体を持つ天狗が率いる一団だった。

 妖怪達はそれぞれ、もはや人の暮らす場所ではなくなった人里の成れの果てに点在する原形を留めた建物を占拠し、好き勝手に居を構えていた。私が連れて来られたこの屋敷も、元は里の人間が住んでいたのだろうが……今は、人間が生活していた頃の面影は無きに等しい。
 畳や襖、天井にまで血飛沫が撒き散らされ、そこら中に爪跡や焼け焦げた跡が残る変わり果てたこの屋敷の本来の住民達は、今頃どうしているのだろう。
 妖怪の腹の中で再会出来ていれば、まだ幸せな方だろうか。



 ……そんなことを、考えていると。

「……つまらんのぉ」

 どうにか気を逸らして自分の置かれた状況から眼を背けようとしていた私の意識は、奈落の底から響くような声によって瞬時に現実に引き戻される。
 空想に逃げることすら許さない頑強な鎖のような、全身に重く響く声で不平を漏らしたのは、胡坐を掻いてなお天井に頭をぶつけそうな程の巨大な天狗……この屋敷を根城とする妖怪の一段を統べる、頭目だ。

「え……」

 直後、天狗の声とは全く対照的な、今にも消え入りそうな声を漏らしたのは……その毛むくじゃらの身体になんとかしがみ付き、小さな身体で必死に奉仕していた髪の長い少女だった。
 かつては良い家柄の娘だっただろうとを思わせる気品のある顔立ちに、全くそぐわない疲労と絶望に満ちた悲惨な表情を浮かべ、一糸纏わぬ姿を晒したまま……少女はしばし言葉を失い、やがて火が点いたように、美しくない荒れた声を上げた。

「も、申し訳ございません!もっと、もっと心を込めてご奉仕致します、ですからどうか、お、お慈悲を…!」

 恐怖に支配され我を失った様子で、きっと麗しいはずの少女が形振り構わぬ懇願をする。その舌がまた天狗の身体をねぶり、細い手が愛撫を始めるが……どうやら、天狗の機嫌が戻る様子は無い。

「もういいわい、お前は飽きた」
「そ、そんな……お願いします、どうか!なんでもしますから、どうかお許しを……お、お慈悲、お慈悲を、ぉっ……!」

 髪を振り乱し、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、悲鳴のような声で必死に許しを請う。

「ぐ、ぇっ……!?」

 しかし、天狗は既にそんな彼女からは完全に興味を失ったような醒めた顔で、自分に張り付くその細く脆い身体を無造作に鷲掴みにして引き剥がす。全身を締め上げられ、少女が空気を搾り出されたような醜い声で呻く。



 その少女の頭目掛けて、天狗はまるでおはじきで遊ぶときのように、中指を親指の腹に引っ掛けて狙いを定める。

「や゛、止めッ……」
「じゃあの」

 そして……ぴん、と軽く弾かれた指がぶつかった瞬間、少女の頭はいとも簡単に胴体と切り離されて、宙に舞った。



 長い髪で流星の尾のような軌跡を描きながら、それは鈍い音と共に壁にぶつかって床に転がる。握った巨大な手の中で、既に命を失った身体が空しく痙攣し、汚物を垂れ流す。

「ふんっ」

 転がった頭の上にその残骸を投げ捨てて、大天狗は不機嫌そうに鼻を鳴らす。錆びた鉄のような臭気と共にじわじわと赤い染みが広がっていく様を見つめながら、私は、全身からみるみるうちに血の気が引いていくのを感じていた。
 そして、黄色く濁った天狗の眼が次なる獲物を探し始め……その視線が、私に向けられたところでぴたりと止まる。

「ひ、っ……」

 その赤黒い巨大な手がこちらへ伸び、二本の指で私の頭を捕まえる。万力で締め付けられるような痛みに顔を歪めながら、私はそのまま引き摺られるようにして、胡坐を掻いた天狗の眼の前に連れて来られた。

「……い、命だけは……命だけは、助けて、ください……」

 思わず、命乞いの言葉が口をつく。天狗は、伸び放題の雑草のような髭を蓄えた顎を摩りながら値踏みするように私を見下ろして、維持の悪そうな歪んだ笑みを口元に浮かべる。

「そりゃ、わしの機嫌次第じゃのぉ」

 その視線が、ちらり、と向けられた先では……ついさっき打ち捨てられたばかりの無残な亡骸に、知性があるのかも解からない小さな妖怪が群がって山を為していた。
 その中から響く、肉を食い千切り、血を啜り、骨を齧る生々しい音に耳を塞ぎたくなるのを必死で堪えながら……私は、奥歯が音を立てる程激しく震える細い身体に鞭を打って、立ち上がる。
 男への奉仕など、もちろん人間相手でもしたことなど無かったが……それでも、そうする以外に命を繋ぐ術は無い。何も解からなくても、とにかく、どうにかしなければ。



「さて……じゃあ、お前はこっちじゃ」
「え……っ?」



 まずは何をどうしたものか、と視線をあちこちへ彷徨わせている私の目の前で……天狗はおもむろに腰を浮かせ、人間の世界では見たことが無いくらい分厚い布で出来た腰巻を無造作に捲り上げる。
 その下から現れた物を眼にして……私は、絶句した。

「さっきの雌がどうにも中途半端でのぉ、もどかしくていかんわい」

 それは……その巨体に相応しい、まるで棍棒のように野太い、男性器だった。
 張り詰めたように丸く膨らんだその表面には幾筋もの血管が浮かび、時折それだけで一つの生き物であるかのように、脈打つような動きを見せる。
 そして、一拍の間を置いて……そこから放たれる強烈な悪臭が、私の鼻に届く。

「ぅ、えっ……」

 思わず口元を押さえてえづいてしまい……しまった、と思って天狗の顔を見上げるが、その顔に先程の不機嫌そうな表情が浮かんでいるようなことは無かった。むしろ、私が苦しんでいるその反応を面白がっているかのようだ。

「ほれ、助けて欲しいんじゃろう?だったら、さっさとやることを済ませんか」
「や、やること……って、その……っ、うぅっ……」
「決まっとろう、さっきの雌と同じじゃ。優しぃく、抱き付いて撫で摩って、舐めて奇麗にすればよい」

 抱き付いて、撫でて、舐める。
 考えただけで吐き気がするような残酷な要求に私が尻込みしていると、天狗はぴくりと眉を動かして、それまでよりもゆっくりとした、更に低い声で問う。

「ふむ、出来んのか?だったら仕方ないのぉ、お前も……」
「ぁ……っ、や、やります!言われた通りにしますから、どうか……どうか、命だけは……!」
「ほう、だったらさっさとせぇ」

 それだけで命の危険を感じさせる迫力を持つ響きに、またしても意識よりも先に口が動いて慈悲を請う。指先一つで簡単に命を摘み取ることに何の躊躇も無い、そんな相手を目の前にして、もはや私に死ぬか従うか以外の選択肢など存在しないのだということを、改めて思い知る。

「……ぅ、ぅ……」

 私は恐怖に崩れ落ちそうになる脚で何とか歩を進め、自分の腕よりも太いそれと対峙する。触れる前から、腐った魚にも似た濃い臭気にまるで全身が汚染されていくようで、呼吸をすることすら躊躇われるようになる。
 しかし、それでも……それを悦ばせるために奉仕をすることだけが、今の私に許された唯一の行為なのだ。

「……っ……」
「ほっほ、そうじゃ、そうじゃ……最初から素直にそうしておけば良い」

 私は意を決して、両腕でその熱く脈打つ肉の棒に抱き付いた。気色の悪い滑った感触と、熱病に冒された時のような高い体温が触れる部分全てから伝わり、全身が粟立つ。臭気はますます濃くなり、息を吸う度に身体が内側から腐っていくような気すらした。
 どうせ逃げることが出来ないのなら、一刻も早くこの地獄のような時を終わらせてしまいたい。その一心で私は、震えて言う事を聞かない全身になるべく力を込めて、奉仕を始めた。
 太い幹に両腕を回し、微かに膨らんだ胸の肉をそのくびれに押し付ける。どこか敏感な場所があるのだろう、私の動きに反応して、赤く腫れ上がった肉塊が時折私を振り解かんばかりの勢いで大きく跳ねた。

「おぉ、なかなか上手いじゃないか……だが、ほれ、口が休んどるようじゃぞ?えぇ?」
「ぁ、ぅ……も、申し訳、ありません……」

 このまま、口でどうこう言っていたことは忘れて満足してくれれば……などという淡い期待は、簡単に打ち砕かれる。
 嗅ぐだけで意識が遠退くような醜悪な物に、あまつさえ口を付けるなど、考えたくもなかったが……それを拒めば首を刎ね飛ばされるというのなら、やるしかない。

「……っ……ん、っ……」

 死ぬような覚悟で唇を付け、しばし逡巡してから恐る恐る舌を伸ばす。べたつく粘液の、生臭さと苦味と塩気を混ぜ合わせた醜悪な味が広がり、喉の奥にまで胃液がせり上がってくる。

「ほれ、何しとる、もっと丁寧に掃除せんか……先の、割れ目の中まできちんとな」
「……ぅ、ぶっ……は、はい……」

 咳き込み、噎せ返りながらも、私は言われるがまま唇と舌の奉仕を続ける。剥き出しになっててらてらと光る先端に舌を這わせ、その先端から次々に溢れて来る透明な粘液を掬い取る。
 始めのうちは、少しでもそれを口から追い出そうと必要以上に唾液を吐き出していたが……それも見透かされていたのだろう、飲め、と一言低い声で告げられて、私は仕方なく何度も喉を鳴らして粘つくそれを必死に飲み下した。

 身体の内側も外側も、醜い欲望に汚され尽くして。途切れそうになる意識をなんとか繋いで、自分の命を護る為の奉仕を続けていると……やがて天狗は、それまでとは違う少しだけ震えを帯びた声を漏らす。

「あぁ、いかん……ずっと焦らされておったからのぉ、もう限界じゃ」

 既にぼんやりと動きを鈍らせ始めていた私の頭は、その言葉の意味を咄嗟に理解することが出来ずなかった。



 そして……次の瞬間。

「ほれ、出すぞ」
「ん、ぶっ……!!?」

 天狗の大きな掌が、無抵抗の私の後頭部を鷲掴みにして、脈打つ巨大な性器に押し付けた。



 舌を伸ばし先端から溢れる粘液を啜っていた私の口内に、顎が外れそうな程に太い、握り拳ほどもあろうかというその先端が無理矢理捻じ込まれる。
 そして……性器全体が一際大きく震えるのが両腕から伝わった直後、先端から迸った熱く生臭い精液が、喉から腹の中へ直接流し込まれた。

「ははは、ほぉら、たんと飲め……うっ、ぐふぅっ……」
「お、ごっ……おえ、えぇぇっ……が、っ、げほ、おぉっ……!?」

 不気味な吐息を漏らしながら、天狗は一瞬で腹を満たされた私の中に容赦無く、長い長い射精を続ける。喉の奥から口内にまで溢れた、どろどろの精液と吐瀉物の混ざった酷い臭いの混合物が、そこにも入り切れずに口の端や鼻から外に溢れ出す。



 私にとっては気が遠くなるほど長い、しかし実際にはほんの数秒だったのだろう射精を終えて。ようやく、天狗の手が私の身体を開放する。

「が、ぼっ……お、えぇっっ……げほっ、っっ、お、ぶっ……!!?」

 そのまま崩れ落ち、視界が明滅するような感覚の中で、下を向いてひたすら精液と唾液と吐瀉物を垂れ流す私を見下ろして……好き放題に私の身体を玩具にした天狗は、ふぅ、と短く息を吐く。

「ふむ、まぁまぁ悪くはないかのぉ」
「っ、げほっ……ぅ、ええぇぇっ……!」
「よかろう……お前は、殺さずに飼ってやることにしよう」

 這いつくばって醜い声を漏らすばかりの私に、そんな身勝手な台詞を吐いて。
 それに私が反応出来ずにいると、天狗はまた威圧するような声で私に問う。

「……どうした、嬉しくないのか?んん?」
「ひ、ッあ、あぁっ、い、いえ……あ、あり、有難う、ご、ござい、ございま、ず、っ……!」
「うむ、そうじゃろう、そうじゃろう」

 他にどう答えることも出来ずにそんな心にも無い言葉を返す私を見下ろしながら、うんうん、と満足げに首を縦に振り……天狗は私の身体をひょいと摘み上げると、遊び終わった玩具を片付けるかのように、隣の部屋へ乱暴に押し込めた。

「さて、と」

 良かった。
 まさに地獄のような、悪夢のような、どんなに醜悪な言葉を羅列しても表現しきれない程の、まさに筆舌に尽くしがたい苦痛の時間だったけれど……ひとまずは、開放された。
 まだ私は、生きている。まだ……こうして、狂わずに、殺されずに、ここに居られる。

 荒れ果てた畳の上に突っ伏しながら、ほんの一時だけ訪れた仮初の安堵の中に、私が意識を沈めようとしていると。





「それじゃ……お前達、あとは好きに使っていいぞ」





 天狗は、そこにいる誰かに呼び掛けるように、そんなこと言った。

「……っ、え……っ……?」

 その言葉の意味が理解出来ずに、私は掠れた声を上げ、弱りきった身体をなんとか助け起こす。
 気が付くと私は……いつの間にか、天狗の下に付き従う妖怪達に、取り囲まれていた。





 好きに、使って良い?
 私の……身体を?





 天狗が発した言葉の意味を、数拍遅れて理解した私の身体から……すぅ、と血の気が引いた直後。
 頭目が満足するまでその順番を待ちくたびれていた、欲望に駆られた妖怪の群が……既に心身共に限界を超えた私に、なんの躊躇も容赦も無く、襲い掛かった。




















     ◆     ◇     ◆     ◇     ◆     ◇     ◆




















 次の瞬間には、私は今よりも幼い姿になり、寺子屋の生徒として過ごしていた。



 同じ寺子屋の少年達が乱暴に私の髪を引っ張って、人里の外れにある打ち捨てられた廃屋へ連れて来る。
 がたがたと喧しく音を立てる戸を閉め、内側から支え棒が掛けられる。

「おら、よっ!」

 私の髪を掴んだ少年は、乱暴に投げ捨てるようにして私を土の床に転がした。
 膝や掌を擦り剥いた痛みに小さく悲鳴を上げ、ふらつき呻きながらもなんとか上体を起こして視線を持ち上げる。

「や、やめてよぉ……なんで、こんなことするの……?」

 自分のものとは思えない程高く幼い、今にも泣き出しそうな声が、やはり幼い口調で震えた問い掛けを漏らす。
 私を取り囲むように並んだ数人の中でも先頭に立った、一際やんちゃそうな顔をした少年は、周りの仲間達と何度か顔を見合わせると、意地の悪い笑みを浮かべた顔でこちらを見下した。

「おい、化け物女が何か言ってるぜぇ?」

 馬鹿にしたような大袈裟な口調で彼がそう言うと、下卑た笑いが巻き起こった。
 化け物、という言葉の意味するところが解からず呆然とする私に、何人もの舐めるような視線が投げ掛けられる。

「な、なんで……わ、私、化け物じゃ、な……っ」
「うるせーんだよ、化け物女ぁっ!」

 かたかたと奥歯を鳴らしながら必死で訴える言葉が終わらないうちに、私の肩に少年の蹴りが飛んでくる。悲鳴と共に、私の華奢な身体が再び土の上に倒れ込む。

「父ちゃんが言ってたぞ!お前ん家、本の化け物がうじゃうじゃ居るんだってな?」

 恫喝にも似た声に恐怖が喚起され、それが全身を鎖のように縛り上げて身動きが取れなくなる。身体を支えようにも、もう腕に力が入らない。

「俺も知ってるぞ!友達がこないだ、里の貸本屋から変な化け物が出て来るの見たんだってよ!」
「やーい、化け物屋敷の化け物女!」
「そんな人間みたいな顔しやがって、本当は里の皆を食おうって思ってんだろ!」

 先頭に立つ少年の言葉をきっかけに、全く身に覚えの無い罵詈雑言が堰を切ったように溢れ出し、まだ身体も心も小さく未熟な私に容赦無く降り注ぐ。
 何も知らぬ子供故の、手心の無い残酷な悪意に満ちた攻撃。その言葉の刃に晒されて、私はの心はたちまち、否定の言葉を吐くことすら出来ない程ずたぼろに傷付けられる。

「そ、そん、な……ぁ……っあ、ぅ……ッ!」

 あっと言う間に心の芯まで挫かれ、焦点を合わせることすらままならない眼からぼろぼろと涙を零す私の姿を、満足気に見下ろして……少年達はその双眸に、それまでとは違う類の光を宿らせ始める。
 私の心を痛め付けるのもそこそこに、先頭に立つ少年は私に背を向けて、大仰に両腕を広げて言い放つ。



「なぁお前等、こんな化け物女、俺達で退治してやろうぜ!」



 その言葉を待ち侘びていたかのように、取り巻きの少年達が色めき立つ。
 その異様な迫力と威圧感に圧倒され、意識が遠のいていくような錯覚に襲われながら…私はただ、激しく震える自分の肩を掻き抱きながら、荒い呼吸を繰り返すことしか出来なかった。

 私と同様にまだ幼い……しかし、未熟ながらも確かに雄としての本能と欲望が宿っていることがありありと感じられるぎらついた視線が、一斉にこちらを向く。

「ひ、ぃっ……!?」

 声というよりも、漏れ出た空気が喉を鳴らす笛の音にも似た悲鳴を上げて、私は自由にならない手足を突っ張ってずるずると後退る。寒空の下に放り出されたかのように全身ががたがたと戦慄き、浅く早い呼吸がぜい、ぜいと美しくない音を立てる。
 私にとっては全力のその逃走が稼いだ距離は、しかし、少年達のたった数歩の接近で一瞬で無に帰る。何本もの腕が同時にこちらに伸び、そしていとも簡単に私の手足を、頭を、全身を捕まえる。

「おら、大人しくしやがれ!」

 おそらく彼等の頭領らしい少年が、凄みのある声で心底愉快そうにそう叫ぶのとほぼ同時に、私は力任せで地面に磔にされる。肉の薄い腕や足に少年達の無骨な指が食い込み、圧迫された骨が微かに軋んで悲鳴を上げる。

「い、いや、嫌っ……嫌、あ、ああぁぁぁあぁっ……!!」

 それまで恐怖に抑圧され働くことを止めていた喉が、肺が、更に圧倒的な恐怖によってにわかに覚醒を始める。自分でも驚く程に甲高く大きな絶叫が上がり、私を押さえ付ける何人かが喧しさに顔を顰める。
 すると……それまで下劣な笑みを浮かべていた頭領の少年の表情が急激に曇り、そこに怒りの色が流れ込む。それに気付いた次の瞬間には、私の眼の前に、少年の拳が迫っていた。

「うるっせぇんだよ、この化け物女がぁっ!!」

 飢えた野犬の咆哮のような怒鳴り声と同時に、私は鼻の頭に強い衝撃を感じた。一瞬だけ視界が真っ白になり、世界から音が消える。鼻の奥がつぅんとするような妙な感覚がしばしの間続き……徐々に意識が正常に働き始めるにつれて、それが明確な痛みへと姿を変えてゆく。
 鼻の穴から、何か熱くどろりとした液体が垂れ落ちているのが解かる。錆びた鉄のような臭いが口と鼻の中に充満している。

「……ぁ゛……っ、ぅえ、っ……ッ?」

 息を荒げる少年の顔を見上げながら、私は再び、震えることしか出来ない恐怖の虜に逆戻りする。
 本能的な恐怖が思考を著しく鈍らせる中……自分が顔を思い切り殴られ、流血しているのだということを理解するまでには、長い時間が必要だった。

 それきり、私が力無く身を捩じらせるばかりでそれ以上の抵抗が出来なくなったことで、機嫌を直したのか。頭領の少年は、一度私の顔に唾を吐き掛けてから、また歪んだ笑みをその顔に貼り付ける。

「よーし、まずはこの化け物女の弱点探しだ!そら、素っ裸に引ん剥いちまえ!」

 その合図と同時に、少年達の手が再び私に襲い掛かる。震える身体で必死に抵抗を試みると、また顔や腹を殴られ痛めつけられ……それでも結局、どう足掻いても逃げることなど出来はしないのだ、ということに気が付いてしまった私は、やがて抵抗することも、反応することすらも止めてしまった。



 もはや自分の意思で身体を動かすことすら満足に出来ない私の身体から、母に買って貰ったお気に入りの着物が、ずたずたに引き裂かれて剥ぎ取られていく。まだろくに膨らんでもいない胸が、他の誰にも見せたことのない秘所が、盛り逸った少年達の視線に晒される。

「うおぉ……すげぇ、初めて見た……」
「な、なぁ!こっからどうするんだよ!」
「慌てるなって……時間はたっぷりあるんだからよ」

 身体とは違ってまだ辛うじて動いている思考を、どんよりと巡らせながら……私はただ、今すぐに死んでしまいたい、と、そんなことばかりを思っていた。



 そして遂に……嗜虐心と好奇心と性的欲求の綯い交ぜになった、暴走し抑えの利かない激情に駆られた若い雄の群れが、もはや何の抵抗も出来ないか弱い少女の肢体に容赦無く襲い掛かる。

 まだ幼い私は、そんな蹂躙に耐え忍ぶ術など知っていようはずもなく。
 思い付くままに陵辱の限りを繰り返す、欲望に人の形を与えただけの化け物達の中で……私の心と身体は容赦無く嬲られ、たっぷりと時間を掛けて、取り返しが付かない程滅茶苦茶に壊されていった。




















     ◆     ◇     ◆     ◇     ◆     ◇     ◆




















 次の瞬間には、私は裸で鎖に繋がれ、冷たい地下の牢獄に閉じ込められていた。



 粗末な食事が盛られていた食器が床に置かれている以外には何も無い隔離された空間で、頭の中に靄がかかったような眩暈と倦怠感に沈む私の視界に、いくつかの影が映り込む。
 軋む首をほんの少し動かして、鉄格子の向こうを見上げると……いつの間にかそこには、ぼろ布一枚だけを羽織る私を見下すようにして、それより多少は人間らしい物を着せられた男が立っていた。

「旦那様がお呼びだ、出ろ」

 人相の悪い三人連れの使用人のうちのどれかが、酒に焼けた汚い声でそう吐き捨てる。一人が牢の鍵を開け、残りがご丁寧に二人掛かりで、もはや抵抗する気力も無い私を、壁に繋ぐ鎖から手持ちのそれに繋ぎ換える。
 乱暴に腕を引かれながら、私は裸足のまま、ごつごつして湿った石の階段をまるで今にも首を括られる罪人のような足取りで昇っていく。ややあって、足の裏から伝わる感触が、岩肌のそれから木の床のものに取って代わった。



 みすぼらしい格好のまま後ろ手に枷を嵌められて、私はふらふらと覚束ない足取りで、いつの間にか通い慣れてしまった廊下を辿る。
 建物は歩くごとに徐々にしっかりとした造りになってゆき、いつの間にか、装飾の端々に強欲さと趣味の悪さが滲み出る豪勢な屋敷になる。歩く者の姿が映りそうな程に磨き上げられた廊下をしばし歩いた先で、私はまず、大きな浴場に通される。
 二人の男に連れられた私が足を踏み入れると、入口には厳重に鍵が掛けられ、そこで初めて私の手が自由になる。外した手枷と鎖を持った男達が遠慮無しに見張る中で、私はそこに控えていた何人もの女中に、辛うじて身体を覆い隠していたぼろ布を剥ぎ取られた。
 私のような女達の湯浴みの為に雇われているらしい彼女らは、何の感情も読み取れない能面のような顔で、淡々と私の身体を綺麗にしてゆく。男達の目の前であられもない格好で身体中を洗われ、きつい薄荷の匂いのする粉石鹸で歯を磨かれ、甘ったるい香りのする薬で髪を清められる。

 乱暴ではないが気遣いも感じられない、どこまでも無感情な扱いで全身を綺麗に磨き上げられて。滴る雫の全てを綺麗に拭き取られた上で、傷み乱れた髪がやはり匂いの強い髪油整えられ、身体には趣味に合わない華美な着物を着せられる。
 自分の意思とは無関係に強制的に身体を清められ、物言わぬ人形のように無抵抗のまま服を着せ替えられ……仮初めの綺麗な身為りを整えられた私が、また改めて手枷と鎖に繋がれて引っ立てられた先に、使用人達の目指す部屋はあった。



「お待たせ致しました、旦那様」
「うむ」



 どすの利いた声と、蛙が踏み潰されたような汚い声が短くそれだけ会話を交わし。
 私の目の前に立ちはだかる、ここに至るまでの間にも何十枚と並んでいたそれより随分と豪華な襖が、開かれる。

 私は……この身体の持ち主となった男の命令で、闇雲に豪勢で趣味の悪い寝室に通される。







 私は、ある日突然……家族も店も何もかもを、一瞬で失った。
 私の全く与り知らぬところで借金を作っていた両親が、私独りを残し、何の前触れも無いまま霧か煙のように姿を消したのだ。

 何が何やら解からぬまま取り残され、これから何をどうしたらよいのか皆目見当も付かず……途方にくれる私の眼の前に残されているのは、身に覚えの無い莫大な借金ばかり。
 もちろんそんなものを返せる可能性など欠片程も持ち合わせていなかった私は……その埋め合わせとして、私自身を、まだ未熟なこの身体の全てを、金と引き換えに差し出すことになったのだった。

 私を買い取ったのは、豚のような容姿と下劣極まりない品性を持つ、人里で一番の大金持ちで。
 それは他でもない……私の両親に金を貸していた張本人で、所謂、金貸しを生業とする悪辣な輩だった。

 当たり前のように愛し、愛されていると信じていた家族に突然裏切られ、一言の別れも無いまま独り打ち捨てられて……まともな思考など出来る余裕など無い程に追い詰められていた私には、もはや、その理不尽な仕打ちに憤り反発するだけの気力も、残されてはいなかった。







 醜悪な笑みを浮かべる男は、自分が命じて無理矢理着させたはずの着物を愛でるでもなく剥ぎ取って、私の肉の薄い身体の隅々まで絡み付くような、不快な視線を這い回らせる。

「さぁて、今日はどんな風に可愛がってやろうか?んん?」

 男は私から漂う薬の臭いを堪能するように鼻を鳴らし、べちゃ、と汚れた舌で脚を撫でる。本当ならすぐさまその潰れた鼻に蹴りの一つでも入れてやりたい程の不快感を覚えるが、その結果自分がどんな目に遭わされるのかを考えると、実際に行動に起こす気にはなれなかった。
 男は醜く笑う顔から汚い息を垂れ流しながら、私の身体を舐め回し、弄ぶ。その黄色く濁った眼が、やがて私の身体に現れた異変を目敏く見つけて、その顔に浮かんだ歪んだ笑みを一層深いものにする。

「ふほほっ、もうこんなに濡らしおって……可愛い顔をしてとんだ淫売娘よ」

 既に内腿を伝う程の蜜を溢れさせる私の秘所を見てそう言いながら、濡れそぼった私の蜜壺にふしくれだった太く短い指を挿し込む。ぐじゅ、と粘ついた水音がして、無理矢理に焚き付けられた肉体的な快楽がじわりと広がる。

「……っ……」
「ほれ、ほれ、どうじゃ……いやらしく咥え込みおって」

 ……自分で食事に薬を仕込んでおいて、なんと白々しい。何度もあんな物を食べさせられて、こちらが何も気付かないとでも思っているのか。
 あからさまな自作自演もここまでくると、怒りや滑稽さを通り越して、憐れにすら思えてくる。



「………」

 ……しかし、だとしたら。
 その憐れな豚に好き放題に嬲られ、玩具にされている私は、一体何なのか?



 ふと、磨耗しきった私の精神にとどめを刺しかねない疑問が脳裏に浮かぶが……私の頭は、自己防衛の為かほとんど反射的に、その考えを取るに足らないものとして思考の外に切り捨てた。

「ぐふ、ぶふふっ、そうかそうか、お前ももう辛抱堪らんか……よぉし、よし」

 頭の中でどんな幻覚が咲き乱れているのか、男は涎を垂らしながらそんな独り言を呟き、愛撫などとは到底呼べない拙い手遊びもそこそこに、贅肉でぶくぶくに膨れた太く短い腕で私を押し倒す。
 見る度にいつも柄が違う上等な布団が、受け身を取る気力も無いまま危うい速度と角度で倒れる私の身体柔らかくを受け止め……しかし次の瞬間には、私に覆い被さった巨体に押しつぶされてぺしゃんこになった。

「……っ、ふ……ぅっ……」

 厚みを失った布団と、碌に手入れも去れず伸び放題の無駄毛と濁った汗に塗れた肉の塊に挟まれ、のしかかる巨体の圧迫感とむせ返る悪臭に息が苦しくなる。
 そうして呼吸を乱す私の姿を、またしても自分の脳内で都合良く解釈し、男は得意そうな顔でしつこく私の身体を舐る。女の体の事など何も心得ていない身勝手な独り遊びと、欲望に任せた蹂躙を続けて……男は辛抱堪らなくなったかのように、穢らわしい一物を取り出した。

「ほら、そんなに欲しいなら……いくらでも、くれてやるわい!」

 死なない程度にしか与えられない食事に混ぜ込まれた媚薬のお陰で、私の意思とは無関係にすっかり出来上がった私の身体を無理矢理持ち上げて……男はしとどに濡れそぼった私の入口から、愛撫も何も無いままその汚れた肉欲の権化を乱暴に突き入れた。
 ぼこん、と腹を内側から殴り上げられるような衝撃に、思わず顔を顰める。私の比較的小さな身体に対してはおそらく凶悪な大きさであるはずのそれを……しかし、日常的に繰り返される媚薬の投与と、欲望に任せた乱暴な陵辱によってすっかり耐性を付けられてしまった私の身体は、驚くほどすんなりと受け入れるのだった。

「お、おぉ……良いぞぉ、やっぱりお前の使い心地は最高じゃぁ……っ!」

 私を人間扱いしていないことを隠そうともせず、男はだらしない顔と声で快楽を貪る。少女の姿形をした肉人形程度にしか思っていない私に、配慮や気遣いの類など向けるはずもなく―――そもそもこの男の腐った頭の中に、そんな概念が存在しているのかどうかという点からして怪しいものだが―――男はひたすら独り善がりに、浅ましく、私の身体を使って自慰に耽り続ける。

「お、ほぉっ、おぉっ……だ、出すぞぉ、たっぷり注ぎ込んでやるからのぉ……!」

 ぱん、ぱんと肉がぶつかる湿った音が響き、どろどろになった肉の壁を何度も何度も、痛みが生じるほど擦られているうちに、男が息苦しそうな声でそんなことを言い始める。
 そして、挿入からそれほど時間も経たないうちに……猿のように腰を振っていた男はその肥え太った身体を反らせ、ぶるぶると震えながら呆気無く絶頂を迎えた。

「……っ、ぅ……」
「お、おおおぉぉ……ほ、ほれぇ、どうじゃあ……?」

 私の中で腫れ上がる肉塊をどくん、どくんと脈打たせながら、男はその汚い欲望が凝縮された白濁した粘液を私の中にぶち撒ける。
 地獄という言葉すら生温い毎日の中でも特に苦痛と嫌悪に満ちたこの時間が、毎度そう長く続かないというのは、私にとってはせめてもの救いだった。

 何度か腰を突き上げ、その最後の一滴まで残らず私の中に吐き出して。男は部屋中の調度品を揺らしながら、ずしん、と腰を抜かしたようにすっかり潰れて煎餅のようになった布団に座り込む。その萎んだ物が抜け落ちた私の秘所から、ごぷ、と精液と愛液の混ぜ物が粘度の高い雫となって流れ出した。



 男はしばしの間、乱れた呼吸を整えるように俯いたまま肩で息をする。その様子を眺めながら、私は弱り切った身体に鞭を打ってなんとか上体を支え起こし、男に気付かれない程度に自分の汚れた身体を布団の端で拭き清める。
 そして男は、薄気味悪い笑みを浮かべながらもちあげた、首との境が解からない平坦な顔に……こちらを見るなり不意に、不快そうな表情を浮かべる。

「……なんじゃ、その顔は?」

 どうやら、絶頂を迎えて頭が多少なりとも冷えたお陰で、頭の中に蔓延していたくだらない妄想の霧が晴れたらしい。男は、私から向けられる視線が嫌悪と軽蔑に満ちたものであるということにようやく気付き、肉で埋まりかけた眼を鋭く尖らせる。
 のそり、と緩慢な動きで立ち上がった男は、やはりのろのろと鈍重な足取りで私に歩み寄り……そのまま何事かを言うよりも早く、まだ私の溢した蜜に汚れたままの手を、私の頬に思う様に叩き付けた。

「あ、ぐっ……!」

 弾き飛ばされるように、再び潰れた布団の上に倒れこむ。平手打ちの衝撃で脳が揺れて、薬の副作用とあいまって激しい眩暈を生じさせ、その場で胃の中身が残らず逆流しそうになる。
 喉までせり上がってくる嘔吐の気配をなんとか押し留め、飲み込んで、私は俯き瞑目しながら意識の揺れが収まるのを待った。

 おそらく、私がこの部屋に通されてから初めてまともに私のことを見た男は、相変わらず肩を上下させ荒い呼吸を繰り返しながら私を睨み付け……やがて私が見えない所で、その口元にそれまでで一番醜く歪んだ、腐りきった人間性を具現化したような笑みを浮かべる。

「……いいか?お前はわしの奴隷、いや、家畜だ、所有物だ」

 蔑むような、嘲笑するような声で。聞き分けの無い子供に言い聞かせるような口調で、男はそう言い切った。

「わしの言うことに逆らうな。わしに従い、わしを悦ばせることだけを考えていればいいんだ、お前は」

 そんな台詞と共に吐き捨てられた悪臭を放つ唾が、べちゃ、と髪を汚す。
 そのまま私が押し黙って俯いているのを、お得意の勘違いで肯定の意思表示とでも解釈したのだろうか。やがて男は機嫌を直したのか、得意気に鼻を鳴らして、下卑た笑い声上げた。

「安心しろ、わしは若い娘にしか興味が無いんでな、盛りを過ぎたら開放してやるわ……」
「……っ……」
「そうしたら……今度はそういう趣味の新しい主人に、遊んで貰うといい」

 粘ついた声でそんなつまらぬ冗談を吐き、ぎゃははは、と下品な高笑いをしながら……男は乱暴な足音を立てながら、どこかへ去っていった。





 後に残された私は……後始末を任された使用人が部屋を訪れ、またあの冷たい地下の牢獄に送り返されるまでのほんの一時、独りきりの安息の時を過ごす。
 軋む首を持ち上げて、無駄に広い部屋を見回すと……薄く開かれた襖の隙間から、青白く光る月の浮かぶ、夜空が見えた。





 不意に……まだ私が人間として生きていた頃のことを、思い出す。

 今はもう、帰るべき場所ですら無くなってしまった、懐かしい鈴奈庵。
 私の脚でもここからそう長くは掛からないだろうかつての我家が……今は、空に浮かぶ月や星々よりも遠い、二度と戻ることの出来ない場所のように感じる。

 そして、そんな私の感覚は残念ながら、きっと正しいのだろう。





 遠い記憶の彼方、二度と戻れない日々を思い返して。
 しかし……それでも、何もかもが枯れ果てた今の私には、もはや涙を流すことすら、出来はしなかった。




















     ◆     ◇     ◆     ◇     ◆     ◇     ◆




















 次の瞬間には、私はどことも知れぬ深い森の中で野犬の群れに襲われ―――






















     ◆     ◇     ◆     ◇     ◆     ◇     ◆




















 次の瞬間には、私は幻想郷の外の世界で大勢の柄の悪い男に囲まれて―――






















     ◆     ◇     ◆     ◇     ◆     ◇     ◆




















 次の瞬間には、私は愛する妻を妖怪に殺されて正気を失った実の父親に―――






















     ◆     ◇     ◆     ◇     ◆     ◇     ◆




















 次の瞬間には、私は―――






















     ◆     ◇     ◆     ◇     ◆     ◇     ◆




















 次の瞬間には、―――






















     ◆     ◇     ◆     ◇     ◆     ◇     ◆




















 次の瞬間―――






















     ◆     ◇     ◆     ◇     ◆     ◇     ◆




















 次の―――




















     ◆     ◇     ◆     ◇     ◆     ◇     ◆




















 ―――そして。

 本居小鈴は、第四の壁の向こうの世界に無理矢理放り込まれたきり、この世界に帰って来ることは出来なかった。







 人の想像力が創り出した物語を紡ぎ続ける架空の世界と、抜け殻になった彼女の身体が横たわる現実の世界。
 その二つの世界を隔てる壁は、それぞれの世界にしか生きることの出来ないあらゆる存在にとって、余りに高く、分厚く、絶望的なまでに堅牢である。

 とはいえ……ほとんどの者は、そんなものが存在することにすら未来永劫気付かぬまま、時を過ごしていくのだが。







 その壁の存在を知る数少ない存在であり、そしてそれを掌握出来るおそらく唯一の存在であろう、一匹の妖怪は。
 もうこの世にいない少女の、亡骸にも等しい身体を一度見下ろしてから……稗田阿求だったはずその姿を、どこの誰でもないものへと創り変えて、静かに店を後にする。







 立ち去る妖怪の手に携えられた、古ぼけた本の中には。

 本居小鈴の姿をした少女が陰惨な辱めを受ける、希望も救済も無い物語の数々が……ただ延々と、繰り返し繰り返し、記され続けていくのであった。










 ―      完      ―















////////////////////////////////////////////////////////////////



終わりが無いのが終わり。
それがゴールド・E・レクイエム。


はい、鬱展開でしたすいません。
いや、冒頭で警告しようかとも思ったのですが……。
ネタバレの危険性のことを考えると、つい躊躇を……。

全部がハッピーエンドじゃないと「覚悟して来ている人」が多いこととは思いますが、
望まぬ展開で気分を害された方がいらっしゃったら申し訳ないです。
精神衛生の為、どなたかの違う作品に癒されてくることをお奨めします。


さて、今回テーマが「壁」ということで
物理的な壁の話にしようか、精神的or概念的な壁の話にしようか、
どんなネタにするか結構なこと悩んでたんですが、
なんか突然、デッドプールが俺にもっと輝けと囁いているような気がしたので
「第四の壁」を題材にしてこんなお話になりました。

……いえ、別にMVC3の参戦キャラとして知ってるくらいで
特別アメコミに造詣が深いわけではないんですけどね。
でもああいう狂ったキャラは大好きです。

ともかく、お話の中で好き勝手に別のお話をいくつも妄想したりして、
自分でもまぁ面白いというか、便利な題材を選べたんじゃないかと思います。

それを活かしきれずになんかとっ散らかっちゃった感じはありますが。(苦笑)
いつか、計画的な執筆が出来るようになればいいですね……いやホント。


最後にn














































 ああ、そうそう。
 稗田阿求の所へ行く前に、寄っておきたい所があったんだ。










 え、何処かって?
 何言ってるんだい、他でもない、君の所だよ。










 もちろん、気が付いてるよね?
 今、僕のこの言葉を読んでいる君の目の前にだって……第四の壁は、存在するってこと。











 すぐに……とは、いかないかも知れないけれど。
 近いうちに、君の想像力を貰いにお邪魔すると思うから。









 それじゃぁ、またね。












































     
aりましたが、ここまで飽きずにお付き合い頂き有難うございました!
最後まで読んでくれた方の心に、少しでも何かを残せていれば嬉しいです。

機会がありましたら、またどこかでお眼にかかることが出来れば幸いです。
それでは、またいつか!
作品情報
作品集:
最新
投稿日時:
2014/06/07 15:53:48
更新日時:
2014/06/07 15:53:48
評価:
11/11
POINT:
86
Rate:
1.85
1. 8 すずはる ■2014/06/08 01:26:38
中盤までぐいぐいと引き込まれて結果最後までさくっと読んでしまいました。
本編でも割と危ない橋を渡ってる気がする小鈴ちゃん、一歩間違えばこうなってしまいますよね…。
すぐいくから、の件は小鈴ちゃんと一緒にガタガタ震えてましたw

陵辱とかが得意ではないのでこの点数で…
2. 10 7 ■2014/06/14 21:29:47
野犬に襲われた話も最後まで読みたかったです
3. 10 きり ■2014/06/14 22:12:38
無限に続く悪夢っていいですよね。省略された物語もいずれ読みたいです。
4. 2 tukai ■2014/06/17 21:14:03
こんだけエロネタ詰め込むなら、一個ぐらいふたなりネタあっても良いじゃないですか!?本当に見損ないましたよ!!1111
なんでパチュリーさん生えないんですか!?小悪魔も居るのに、どうして触手なんか!?!?1?
天狗もそうですよ!111 なんでふたなりじゃダメだったんですか?!?? 今からふたなりってことにして抜きますけど、ちゃんとふたなりでも書いてくださいね??????

最後のは本文の途中であとがきに入ったことで完全に読めたので、せめてあとがきでやるべきだったんじゃないでしょうか。
5. 10 リラクシ ■2014/06/19 00:39:09
優勝!優勝でいいですよもうこれ!10点じゃ足りないです、一押しに+できるなら20点はいってもいいくらいの素晴らしい完成度でした!
胸糞悪い展開(無限空想)もありましたが、こういうバッドエンドは大好物ですよふぅ…(いやハッピーエンドの方が好きですけども、この際そんな些細なものは放っておいて)。
第四の壁、初めて知りましたが興味深いものでした。小鈴の一人称で展開される物語は明るくて楽しそうなものだったので(序盤で暗くなるのを仄めかしてはいましたが)、どうやってお題に絡み、ネチョや後に出てくる登場人物に絡んでくるのかなぁと期待を膨らまされました。空想物語が盛り上がりを見せるところから一転、恐怖を煽ってくる状況にドキドキとさせられました。いや本当怖かった汗。
解説をはじめる壁抜けの場面が特に好感が持てまして、全体的に見てもそうですが、情景や想像力を駆り立ててくる描写力と氏の実力にただただ感服するばかりでした。
第四の壁を越えて現れた壁抜けがどう「お礼」をするのかが、それがネチョなのか、読み進めながら浮かべていた想像の一つが当たった時にはもうリアルに「あああああ」と声が出てしまうほどです。小鈴の豊か過ぎた想像力が己を滅ぼすことになったことも恐ろしく、そしてこの恐ろしい展開のまま有無を言わさず文字の世界に引きずり込んでくるパワー!どっぷりと浸らせる魅力的な空想の数々!拙い私の語彙力では語り尽くせないくらいの完成度でした。
次の瞬間犬に、親にと演出上の短い部分も、前半からの丁寧さとパワーで空白の部分に文字や場面が浮かんでくるほどです。(獣姦や近親レ○プは実に読みたかった)
最後に、バトンタッチした壁抜けからの語りかけにも胆を冷やされました。いやぁ面白かった、楽しかった、素晴らしかった、そしてエロかった!!!!!
この作品を読めて本当に幸福だと思います。ごちそうさまでした。執筆もお疲れさまでした。もし機会に恵まれましたら、また氏の作品を読みたいです。

蛇足になりますが作者予想。該当する文章の癖が見分けられなかったのですが、前回のフォントや背景設定の類似点からかづき氏でしょうか?違ったら、すみません。
6. 9 グランドトライン ■2014/06/19 23:20:56
想像は最高の食料である。人にとっても、怪にとっても・・・

夢のような道具によって天から地に落とされる展開はまさにホラー。
文章も読みやすく、翻弄される小鈴も可愛かったです。

物語は私好みでしたが、少し誤字が見当たります。

地価へと続く
>地下へと続く

髪の裏側へ通り抜けるとか、
>紙の裏側へ通り抜けるとか、

今は私と々女性の姿をしているが、
>今は私と同じ女性の姿をしているが、

あと、個人的な意見ですが、ラストシーンに少しくらい純愛が合った方がいいかもしれません。
……飴と鞭は大事ですよ。(ニヤリ)

とにかく、嬲られまくる小鈴のエロさはすごく好きでした。
シチュエーションが多いのは嬉しきかな。

それはそうと……
一体いつから彼女が物語から退場したと錯覚していた?
彼女の物語は続くよ。本の中も、外もね。
7. 4 ■2014/06/22 08:41:33
ストーリーとしてはかなり面白かったと思うが、エロが小話的に続いていっただけで終わってしまったので物語の中のエロを読みたいと思った。
8. 7 匿名 ■2014/06/22 16:56:13
基本点:1点
テーマ:2点(0〜3点)
エロさ:3点(0〜3点)
面白さ:1点(0〜3点)
一言感想:おおう救いようのない結末だ。まぁ原作の小鈴ちゃんもいつこんな危険な目に遭ってもおかしくないくらいには好き勝手やってるのだけど。
       凌辱好きにとっては極めて完成度の高いネチョであるし、壁というテーマの目のつけ方もグッドだと思うが、個人的には救いの無い終わり方がどうしても苦手なのですみませんが点数下げます。
9. 7 ぱ。 ■2014/06/26 00:29:20
作者予想は缶田一斗氏。
作品世界を小鈴に絞り、そこから狭く深く掘り下げていく手法は見事の一言。エロの多彩さはずるいくらいw
なんというか、表現に苦心したかと思われます。映像媒体で見たい作品。
オリジナルの妖怪を徹底的に悪役として描き、この終わり方。確かに人は選ぶのかも……。
10. 10 toroiya ■2014/06/27 20:47:19
場の雰囲気を的確に描写した文章のおかげで頭まで物語に浸ることができました。
冒頭にえろい描写があり、それを小鈴が楽しんでいたという伏線が今後のプレイを想像させてくれて、その点も非常によかったです。
また次の機会があれば楽しみにしています!
11. 9 通りすがりのGさん ■2014/06/27 23:54:27
こっちに来るってことは小鈴ちゃん陵辱本が読めるってことですね!
やったー!

オリジナルキャラが小鈴のキャラ付けともいい具合に噛み合ってて楽しめました
あ、欲を言えば個人の趣味ですが野犬に襲われるくだりを詳しく書いて欲しかったですね
12. フリーレス Misogist ■2014/07/05 09:48:38
採点期間が終わってしまったのでコメントのみですみません。
自動書記本とかなにこれ欲しいとか思いながら読み進めたらガクブル
小鈴は犠牲となったのだ…
第四の壁をモチーフにお題解消と冒頭含めの全部で五つのオムニバスへの理由付けとしてる構成が上手い
文章も表現が的確でこれまた上手い
あとがきフェイクも面白く、凝らした趣向に楽しみました。
マミゾウx小鈴の百合が個人嗜好的に良かったです
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