セカンドビート!

作品集: 最新 投稿日時: 2014/06/07 23:02:49 更新日時: 2014/06/07 23:02:49 評価: 9/9 POINT: 76 Rate: 2.02
 (1)

 あれはない。
 うん、本当にないわ。



 ベッドで横になってリラックスしている筈なのに、脳は忙しなく働いているようだ。
 そんなわけで、思い出したくもないけれど、あの日の夜を思い出してみる。
 半獣と化した身体で「貴方、私に勝てるかしら」と、ドヤ顔で人間を挑発した結果、あっけなく撃沈。
 そもそも、相手は妖怪退治の専門巫女だとか、傍迷惑な魔法使いだとか、悪魔に仕える銀装備のメイドだとか、ロクな人間ではない。満月から力を授かった狼が少し興奮した程度では、まるで歯が立たない。
 そして敵わないと知っていたにもかかわらず、私こと今泉影狼は相手に挑んだのだ。
 何度振り返っても、自分が一体何がやりたかったのか、全く持って分からない。
 一時の感情に絆されたままに行動すると、後に大きな後悔となって自分に跳ね返る典型例。
 だから、もう一度言う。
 あれはない、ないわー。
 しかし、今更ないわーないわー、とベッドで寝返りをうちつつ喚いたところで何か意味があるのかと言われれば無い、間違いなく。
 後悔とは発生してしまった時点で負け、なのである。
 試合に負け、感情に流されて自分にも負ける。
 まさに汚点、黒歴史生成の夜である。
 人里に住んでいる歴史編纂家に是非とも無かったことにしてもらいたい。



 なんて具合に反省しきりの日々が続いたまま三ヶ月が経っている。それなのに、脳裏には素晴らしくクリアな負け試合が、今もコマ送りの映像として深く刻まれているから困る。
 日頃は穏便に過ごしているつもりだ。そもそも、にわか妖怪がこの竹林で無駄に暴れた所で、竹林の奥にある月の住人達がうるせえよ口にしながら、殺意籠った弾幕で対象を的にしてくるだけだ。
 いつもと違う事をした故に、脳が想定以上に働き、暇さえあればその画像を妄想画面へと映し出すのだ。
 無意識に思い出してしまうのだから仕方がない。だったらもっと、根本を掘り下げてみるのも一つの手。
 そもそも、何故、私は暴れたのだろう?
 外部からの強い魔力と満月が重なり、いつも以上に興奮を覚え、身体をフルに動かしたい衝動に駆られていたのは事実だ。だからといって、スペルカード戦に特化している人間に挑むのは無謀でしかないけど。

「ストレス、だったのかなぁ。抜け毛、最近多いし……」

 狼は獰猛でもあり高貴な肉食獣だ。そんな血が半分入っている私ではあるが、他の妖怪に比べれば意外にも血の気は少ないほうだ。
 単純に人間の血がそうさせているだけなのか、私が妖怪として怠惰なままに育っただけなのか。
 それでも、たまには身体を動かして、妖怪らしい行為をしてみたいな、とも思ったり。草の根ネットワークに通じている妖怪なんかは、結界と幻想郷を守護している巫女には全く相手にされないが、巫女の相手をすることでいっぱしの妖怪として認められたいし、あわよくば金星をあげて成り上がりたいとも思っている。まあ成り上がったところで、何かあるわけでも、変わるわけでもないけどさ。
 さらに言えば、ただ黙って過ごすだけでは、やはり退屈を持て余すというもの。一人でいれば尚更だ。
 この世界に住む妖怪達が暴れる理由だって、根本を辿れば「死ぬほど退屈だった」とかだったりする。
 結局のところ、暴れたのは自分の意思及び目的であり、退治されたのは自分の実力。
 悲しいけれどこれが現実であり、私の平凡な脳が導き出した思考の終着点である。
 ないわー。

「今度は暴れる以外でストレス解消の手段を見つけないと」

 気持ちのままに再び暴れれば、第二の黒歴史の序章となることだろう。
 しかし、暴れる以外のストレス解消手段が、今の私には見つかっていない。
 身体を動かすのも好きだし、色々と興味を持っていることもある。けれど、私にはそれを一緒に成せる相手が殆どいなかった。
 孤独なるウェアウルフ。狼は群れを成すが、ハーフはその必要がない。食事に困らない故に、一人で生きていけるからである。
 まあ、私のような妖怪から見ても人間から見ても半端者である私が、そもそもどこかのまとまったコミュニティに存在できるわけもない。私と同じような無所属の妖怪が集う草の根ネットワークが限界である。
 そんな自分に不満を感じながらも生きている。だからこそ、感情のままに暴れて巫女に軽く退治された。
 私は自分というものに変化を求めていたのだろうか?
 答えはイエスなようなノーなような……。
 変わることはきっと難しい。だから、それよりも先に定期的に溜まるストレスを何とかしよう。暴れると人間に負けて更なるストレスと恥辱をもれなく味わうと知った今、知っていて同じ轍を踏むのはなんとか避けたい。故に手段を知ることが必要だ。
 おとなしいを絵に描いたような情けない妖怪である自分を少しだけ捨てて、迷惑のかからない程度にストレスを解消する手段。そんな都合の良い趣味が欲しい。
 寝返りをうって少し考えてみるが、やはり思いつかない。
 自分で無理なら、誰かに力を借りよう。

「今度わかさぎにでも聞いてみるかな」

 今は友達であるにはあるが、彼女を襲った前科故、妙な誤解をされそうな気がする。













 私の家は竹林の奥にある。隠れ家にするにはもってこいの場所であるからだ。
 そんなどこを歩いても同じ風景がしばらく続くこの迷いの竹林には、様々な落し物が存在する。
 その多くは迷う事で焦りが生じた人間や妖怪が不注意で落とした物であり、基本的には価値が高いものはない。というよりも、私自身が拾ったものの価値を正確に掴めていないから、価値が低いと感じているだけだったり。
 それでも、その役目すら分からない道具は、鑑定後にはした金へと変換できたりする。これまた人間と妖怪のハーフが経営しているガラクタ屋、ではなく道具屋「香霖堂」では、珍しい道具の識別及び引き取りを行っているのだ。
 店主兼唯一の店員である森近霖之助は、はした金ながらそんな道具を買い取ってくれる。そして、高額になってその店のガラクタとして飾られるわけだ。
 彼の店の道具がガラクタばかりである理由は多々あるが、動かす為の動力がこの幻想郷に不足している、というのが大きな理由の一つとなっているのは間違いなさそうだ。
 こちらは特に意味は無いのだけれど、道具を引き渡した際に、彼はその道具の意味を説明したがる。
 正直、聞いたところで私にとっては「なんのこっちゃ」であるのだが、理屈屋であり屁理屈屋である店主は、道具の預かり手に対して説明しないと気が済まないらしい。
 そんな意味の無い会話に耳を傾けるのも、生活のためである。私にとって道具拾いはお金を手に入れる一番手っ取り早い手段であり、そのお金は里で物品なり食料なりに変換されて消費される。
 金を得て使うのは、ある意味人間と妖怪の血、定命の者の趣味である。ただ生きるだけなら、妖怪である限りお金など必要なく、自給自足の生活を送ればいい。それができないのは、きっと私が純粋な妖怪でないからだろう。



 そんなわけで、今日は戦利品を現金へと変えるべくして、香霖堂へと向かっている。竹林から広葉樹の森に変わると、横に伸びる枝が飛行の邪魔をする為に些か飛びにくい。
 身を翻し、太い枝や幹を避けながら、できうる限り減速しないように飛び続ける。同じような風景が続く為に退屈するが、ゆったりと飛べるほどこの場所は広くはない。
 どうにも急いでしまうのは、やはり換金後の楽しみ故である。何かを買って食べるにしても、服を買うにしても、元手が無ければできないこと。自分の欲しいものを探して手に入れる時間、手に入れた物、そのどちらも至福である。
 飛び慣れた空路を進むと、やっと視界が晴れる。竹林から続いていた緑と茶色の世界は終わり、あまり好きではない日光が草木へと降り注いでいる。
 そんな明るい光景とは裏腹に、相変わらず香霖堂は閑散としており、閉まっている扉には営業中の看板すら立て懸けられていない。立地といい見栄えといい、商売をそもそもする気がないのだろう。それでも、私にとっては貴重な商売相手である。
 木の扉を開けると、カランカランと鐘が鳴る。そして、客が入ってきたというのに本を読む事をやめない失礼な店主が……視界に入ってこなかった。代わりに見えるのは、カウンターに座って強い口調で捲し立てている女性である。

「そこを何とかするのが店主ってものでしょ?」
「値札とはその道具の価値を表す。価値を適正に判断できない者に僕は物を売らないことにしている」
「頭でっかちの理論ばかり顧客に振り巻いているから売れないのよ。私よりも頭いいんだろうから、貴方にも分かるでしょ?」
「売れるかどうかは別問題だよ。これは、道具を扱う者としての考え方だ」

 閑古鳥が鳴くどころか、商品すら売る気の無い店に珍しくお客さんが来ている。そして、値引きの交渉をしていることから、お客さんは本当に商品を買う気があるようである。
 赤紅色のショートヘア、色の付いたワイシャツとネクタイの上に白いジャケット、ベルトの付いたラップスカートは短く、座っている高さ的に下着が見えそうである。
 そんな美人に攻め寄られているのに、店主の視線はやはり安定の本である。本人は単純に他者の話題に興味がないだけなのだろうが、この客を小馬鹿にしたような態度は今日も健在であり、予想通り私オンリーの態度ではなかったようだ。

「そもそも、君には人間の不当な評価によって価値を下げられる道具の気持ちが分かるんじゃないかい?」
「くっ! 流石は百戦錬磨の店主、痛い所を突いてくる」
「君は道具出身でありながら人間、使役者と同じ扱いを道具に対して行っている。道具であった頃、使役者に不満を持っていたというのにね。なんとも不思議なものじゃないか」
「嫌味にしか聞こえないわ」
「道具を正当に評価できる者にこそ使用する権利がある」

 どうやら交渉は店主が主導権を握っているようで、彼女の顔には苛立ちと焦りが見受けられる。しかし、そんな顔も長くは続かず、大きな溜息の後に投了の言葉が続いた。

「あーもう、分かりました分かりましたよ! これは私がどうしても欲しいものなの。定額で買い取ってやろうじゃないの!」
「お買い上げありがとうございます」
「全く気持ちの入っていない感謝の言葉なんて要らないわよ、ったく」

 カウンターの上に置かれていく額は、少なくとも私が今までに所持したことが無いくらいの大金である。
 お札は一体何枚から札束と呼ばれるのだろう、とわりかしどうでもいい事を考えてしまったり。

「払い終わったのなら勝手に持って行ってくれて構わない。きっとこちらの世界には修理できる者もいないだろうから、大切に使うといい」
「言われなくたって」

 カウンターから降りて大股で歩く彼女、隠すつもりの無い殺気を感じ、思わず尻尾やらの毛がビリリと逆立ち、体内センサーが危険を呼びかけてくる。彼女は妖怪としても私より一回り優秀なようである。
 下を向いて取り敢えず他人のふりで素通り。というか、事実他人だし。
 そんな私をちらりと見て、彼女がふと足を止める。

 あっ。
 これって、マズい事をしたんじゃないか?
 俗に言う地雷を踏んだ、ってやつじゃないか?
 今、謝れば助かるんじゃないか?
 でも、別に謝らなければならないようなことしていないし……。

 心身共に金縛り状態に突入。
 人間達に一蹴されたトラウマが未だ根強く残っているため、どうしても強い相手に弱気になってしまう私。
 目線を上げてみると、やはり彼女は私の事を見ていた。ガン見である。
 少なくとも私にはこんな美人で奇妙な魔力を帯びている妖怪に面識は無い。
 もしかしたら、ただ見ているだけかもしれない。
 動かなくなっていた右足を一歩動かすと、私の進路の前に彼女は立ちはだかり……、予想に反して満面の笑みを浮かべて話しかけてきた。

「ねえねえ! これ、マイクでしょ!?」
「マイク?」

 “マイク”とはなんぞや。
 彼女が指さしている物、それは換金するために持ってきた、本日の正体不明のガラクタである。
 どうやら、この道具はマイクと呼ばれているらしい。
 先程まで本にしか興味を示していなかった店主も、一風変わった道具の名を耳にしてから、本を畳んでいる。ぼさぼさの髪、やる気の無さを隠さない顔、視力を矯正する道具(と店主は言っていた)である眼鏡がズレるのか、しきりに位置を直している。
 どうでもいいうんちくを長く語られるくらいなら、無口なまま本を読んでいてくれたほうがマシなんだけど。
 そんな店主よりも先に道具を説明し始める目の前の女の人、新しい展開である。

「音量増幅器。これは歌い手用ね」
「増幅器?」
「私と貴方は今、向かい合っているし、他の誰かも声を出していないから会話に滞りは無いけど、聞き手が増えたり聞き手が遠くにいたりするほど、音は小さくなったり変化したりする。聞き取りづらくなったりもするわ」
「そりゃそうですね」
「マイクは拾った音を大きくして、スピーカーから大きくなった音を出す。正確には電気パルスがうんちゃらとかあるみたいだけど、専門家じゃないし、よく分からないのよね」

 そんな事を言っていると、道具の機能を正確に把握する店主が適当な説明に横槍を入れてくるわけで、

「正式名称:マイクロフォンは音を増幅する機器ではなく、音を電気信号に変換する機器だ。そして、スピーカーがその信号を振動、いわゆる音に戻し、増大したり減少させたりして出力する外の世界の道具」
「細かいことはいいのよ。私も彼女も興味無いし」

 同感である。というより、マイクに興味が無い。
 使用用途は分かったのだが、私にとって重要なのはそのお値段、買い取り価格である。
 早速、銀色の外回りやらコードやらを見始める店主、見届ける私と何故か私の隣にいる彼女。用件は終わった筈なのに、買い求めた物を手に取らず、私よりもマイクに熱視線を注いでいる。
 マイクを机の上に置き、店主が指で示した本数は二本、まあいつも通りの査定額である。私にとってはゴミ同然の物をお金で買い取ってもらえるのだから、当然私は首を縦に……。
 と、思ったら横槍再び。

「私だったらその二倍で買い取るけど?」

 驚いたのは私だけでなく店主もである。お客さんが商売仇へと早代わりしたのだから当然だ。
 思わず視線を送ると、笑顔が返ってきた。

「僕が買った後に君が買えばいい」
「私はマイクの所有者である彼女に言っているの。部外者は黙っていてくれる?」
「彼女は僕の客だ」
「でも交渉は成立していない。つまり、マイクの所有権と決断する権利は彼女にある」

 視線が半自動的に私に集まるが、そうなると高く買い上げてくれる相手に靡くのは普通の流れである。
 店主は競るつもりが最初から無かったのか諦めが早い。

「今回は僕よりも道具を使ってくれる彼女に縁があったということ。仕方がないな」
「道具を正当に評価できる者にこそ使用する権利がある。ほんと、いい言葉ね。涙出てきちゃう」

 私から受け取ったマイクの長いコードを束ねながら、先程とはうって変わって笑顔な彼女、店主はずっと仏頂面のままで変わりない。
 思わぬ資金を手に入れた私もほっこりなわけで、このまま里へと駆り出したくなる。夜になる前に行かないと、私と同じような里の半獣に見つかってやっかいな事になるだろうし。というよりも、説教をくらう。狼は夜に里に下りてくるなと。
 温厚な妖怪に分類されたとしても、人里は妖怪という種族自体を嫌うものが少なくない。その多くは昔に親が妖怪に食われたとか、妖怪に襲われた、騙されただとかで怨恨や憎悪を溜め込んだ為で、殆どの場合、妖怪側が悪い。そして私は人から見れば妖怪側、故に妖怪とバレれば存在自体が里の人間を不快にさせるのだろう。
 人間の里には人間のルールがあるのは承知している。だからこそ、見た目が人間である昼間や人に最も近くなる新月の夜にしか人間のスペースには入らないし、腹を立てたりもできるだけしないように心掛けている。
 半獣であり里の守護者でもある上白沢慧音は妖怪には友好的でないと聞くが、別に昼間に会っても私には文句を言ってきたりはしない。それは、私がルールを守っている妖怪である、と彼女に認識されているからだろう。
 そんなわけで、日が落ちぬうちに里でショッピングを嗜もうと思っていた矢先、先程購入した重そうな荷物を運んでいる彼女が目に入る。

「むむっ、意外と重い……。店主、輸送代はいくら?」
「生憎、物品の輸送は取り扱っていない」
「ほんと、やる気無いわね、あんた。嗚呼、八橋ちゃんだけでも呼んでくればよかった」

 悪口もどこ吹く風、店主はいつもの本読みモードに戻っている。
 店主の言葉にがっくりと肩を落とした後で、彼女は再び気合を入れてそれを持ち上げる。
 彼女が定額で買った商品は、ブラックボックスとでも言うべき黒い光沢を放つ硬そうな箱で、所々につまみやら差込口やらが付いている。それを両腕で持ちながらふらふらと歩いている姿は、どうも心許ない感じがする。何処に住んでいるのか知らないけど、飛翔できるようには思えない。
 お金は使わない限り減らないし、彼女には倍額で買ってもらった恩がある。
 今すべきことは一つ。私でも知っている常識。

「手伝いましょうか?」








 最初は驚かれたが、本当に人手が欲しいほどに重いらしく、彼女は正直にぶんぶんと首を縦に振った。
 代わりに持ってみたところ、確かに重量はあるけれど、狼にとってはこれくらいの重量ならば問題ない。
 一人で持とうとするとさすがに彼女も任せきりが嫌だったのか、端をお互いに持ちながらゆっくりと飛行するという形へと落ち着いている。
 持って運んでいると、どうしてもこのどっしりとした黒い巨体が目に入る。無言を嫌った場合、彼女について何の情報も得ていないから、尚更にこの重い何某が話題源となるのだ。

「ところでこれ、一体何に使うんですか? インテリアには見えないですし」
「これはアンプ、ベースっていう楽器の音量増幅器ね。エレキベースはこれが無くちゃ始まらないし、多少ぼったくられてでも手に入れなければならなかったのよねぇ」
「えっ?」
「あっ、こっちの話。ゴメンゴメン」

 どうやらマイクと同じく、これも音楽に関連した道具であるようだ。
 残念ながら私は音楽というものに全くといっていいほど精通していないし、当然楽器一つも扱えない。けれど、聴くのは好きで、自分なりにこの曲はいいとか、この曲は自分の趣味じゃない、とかの判断はできたりする。もしかしたら、お礼に一曲生で聴かせてもらえるかもしれない。
 なんて勝手な妄想を進めていると、アンプ越しに声を掛けてきた。顔は荷物のせいで相変わらず見えない。

「あのさ、名前聞いていいかな?」
「今泉影狼、狼の混血です」
「私、堀川雷鼓。道具生まれの付喪神ってやつね、宜しく」

 道具生まれの付喪神、恐らくは音楽関連の道具を憑代にした妖怪なのだろう。
 それにしては今までに感じたことの無い魔力を持っているし、その力も普通の妖怪に比べて幾分強い。何か秘密がありそうだ。
 勝手に勘ぐっていると、私の名を知った彼女が再び話し掛けてくる。

「影狼ちゃんは音楽や演奏、コンサートに興味あったりする?」
「えっ?」

 顔が見えないので、その意図は不明であるけれど、もしかしてこれは無料でコンサートに行けたりするアレなんじゃないだろうか?
 最近ストレスが、なんて言っていた自分。音楽を聴いて盛り上がるのは、きっと心身のリフレッシュに繋がる筈だ。
 そう考えると、回答が自然と口から出てくる。

「コンサートとかすっごく興味あります! 生の演奏とか聴いた事無いですし」
「ほんと? それは良かったよ!」

 明るい声のおかげで喜んだ顔が見えなくても想像できる。
 見た事の無い道具を使用して、一体どんな曲を奏でるのだろうか?
 想像してみると、なんだか私も楽しみになってきた。
 そんな期待に被せられた彼女の予想外の一言。



「ええと、ところで……さ、歌手とかに興味ある? 歌うのとか好き?」
「……、え゛っ?」



 この時が私のターニングポイント、いや、今後の運命が確定した瞬間でもあった。
 今思えば分かる事だけれど、きっとこの時の雷鼓さんは真剣な表情をしていたと思う。
 彼女ほど音楽にこだわりを持っている者は他にもうひとりくらいしかいないと、後々私は知ることになるのだから。





















(2)

 お互いに黙ったまま飛翔を続け、雷鼓さんに導かれつつ目的地に着く。
 雷鼓さんの家と思われる建物は、森の外れにあり、近くに建物が存在しない。
 即ち、どんな音を出しても迷惑が掛からない場所に立地している。
 これならば楽器の練習はし放題だろうし、騒音に関してなら多少の無茶がきくだろう。
 まあそれを知った所で、私には何一つ関係無い、無いと思いたい、本当に。
 フロアリングに傷が付かないよう、玄関にゆっくりと配送荷物を置いたところで、私は配送から敗走となる台詞を残す。

「じゃあ私はこれにて……」
「ちょっと待ったぁ!」

 私の足よりも雷鼓さんの腕のほうがコンマ数秒早く、私の腕、そして肉体は捕まる。
 どうやら、先程のあの言葉は単なる私の聞き間違いではないようである。

「とりあえず、コンサートとかに興味あるんだったら見学くらい、さ。ね、いいでしょ?」

 しっかり捕縛しつつ、ちらちらと私の顔を窺いながら、掌を合わせて頼み込む雷鼓さん。
 あざとい、実にあざとい。相手がどういう思考で成り立っているのか把握している上での行為ならば、あざといだけでなく腹黒くもある。男に何かを買ってもらう際に、美人である彼女がもしこんな仕草を見せたとしたら、間違いなく陥落するだろう。
 しかし、私は妖怪であり女である……である、が、誘惑に耐えられるかどうかは別である。
 懇願する彼女に否定を突き付けられる勇気が私には無かった。
 強引な押しに弱い、ノーと言えないウェアウルフが私、今泉影狼である。



 玄関からお邪魔すると、廊下には二階に続く階段と、地下へと向かっていく階段があった。そして、後者からはなにやら聞き覚えのない音がこの玄関まで漏れている。
 雷鼓さんが一人で暮らしているのかどうかは知らないけれど、今他の誰かが彼女の家で楽器を弾き鳴らしているのは間違いなさそうだ。

「これ、地下に運ぶんですか?」

 玄関脇にずっしりと佇んでいるアンプと呼ばれた黒い箱、あと少しの道のりでこれも本来の役割を果たすことができるのだろう。
 雷鼓さんからの手伝うとの声を制しながら、私は箱を抱え上げて階段を降りていく。
 箱が視界を隠すほど大きく、前や段差が見えないが、一歩ずつ着実に進んでいけば、落としたり壁にぶつけたりはしない。
 それにしても、横幅が広い階段である。私が今持っているような大型の楽器関連の装置が今までにも運び込まれてきたのだろう。つまりは、この地下室は音楽を行うためだけに存在しているということ。

「うーん、お客さんに何から何までやってもらうなんて……格好悪いと言うか、示しが付かないと言うか」
「ほら、適所適材って言葉があるじゃないですか。身体の丈夫さだけが取り得な私は物を運ぶ、演奏ができる雷鼓さんはコンサートで頑張る。だから、気にしなくていいんです」
「そう言われてもね」
「そして歌を歌うのも適所適材……」
「あっ、階段終わるから足元注意してね」

 遮るタイミングが秀逸であった為、吐き損ねた言葉は私の身体の中に戻ってしまった。
 下りが終わると曇り硝子の嵌め込まれた木の扉、中では何かのシルエットが動いており、楽器をかき鳴らしている音が随時漏れ出ている。

「完全防音ってわけにもいかないのよね」
「まあ、近くに誰も住んでいないのなら、いいんじゃないですか?」
「本気出すとこんなもんじゃないからなぁ」

 騒音の不安を他所に扉を開けてくれる雷鼓さん、手が空いていない私が先に入ると、中にいた誰かが話しかけてきた。

「あっ、来た来た!」

 足元は廊下と同じフローリングで散らかってはいない。しかし、時折黒いコードが地面を這っており、足元を良く見ずに歩いたら蹴躓いたりするかも。
 前方に障害物が無い事を確認しつつ、部屋の片隅に黒い箱を置くと、私も部屋を見渡せるようになった。
 10m×10mほどの部屋となっており、壁は全て白い壁紙が張られている。地下なので窓は無く、洒落っ気は一切無い。生活観がまるで無いのは、ここが本当に演奏専用のスペースだからだろう。
 天井角や部屋の角には持ってきた箱と同程度やそれよりも大きな箱が存在する、これらもアンプと呼ばれるものなのだろうか? 部屋の奥には太鼓にスタンドを付けたような大きな置物がある、見たことがないものだけど恐らくは打楽器? だと思う。
 練習していたのは二人で、両方とも弦が張られた楽器と思われるものを持っている。両方とも琵琶に似ているけれど、形は琵琶よりも丸みが無く洒落ている。見た目も光沢があり、木製には見えないし。

「これがアンプってやつ? 繋げば音出るの?」

 周囲を見渡している私に目をくれることもなく、赤いカチューシャをした茶色短髪の女の子が、私が置いた黒い箱に興味を持っている。
 どうしても気になるのが、その短めのスカートから飛び出している裸足の細い脚であり、私にはとてもじゃないけれど真似出来ない。主に狼の宿命的な意味で。
 そして対面で私と彼女を観察している薄紫の長髪の女の人も、彼女と同じように裸足であった。世間様に疎い私に知らないところで、裸足が流行しているのだろうか?

「はいはーい、ベースを鳴らす前にここまでアンプを運んできてくれた献身的な彼女を紹介するわ。自己紹介、お願いできる?」

 雷鼓さん最終的な目的がどこにあるのか分かっているのが、何よりも悲しいけれど、こうなってしまったら名乗るしかない。本名を雷鼓さんに伝えてしまっているので、偽名を語るのも不可能だ。
 名前の後に付ける言葉が無かったので、名乗った後に「よろしくお願いします」を追加したら、本当に自分が歌担当になってしまった気がした。
 私が名乗ったので、彼女達も私に名前を教えてくれる。

「九十九八橋です。琴生まれの新米付喪神なんだけど、今はベースを担当してまーす。まだ音出して弾いた事無いけど」

 照れ笑いを浮かべる彼女が背負っているベースという楽器は、なんだか歪で攻撃力が高い(?)形をしている弦楽器で、弦の本数が四本。ボディに光沢、艶があって何となく古びたイメージを思い起こさせる楽器とは一線を駕している。一体どんな音がこの楽器から鳴るのだろう?
 そもそも楽器を持っているのに弾いたことがない、というのも私には理解できない。弾いたら何かマズいことでも起こるのか、本人がまだ弾ける状態に無いのか、楽器がそういう状態なのか? 謎は深まるばかりである。

「九十九弁々。普段は琵琶を弾いているけど、訳あって今はギターを弾いているわ」

 ギターと呼ばれた楽器は彼女の身長と同じ位の大きさがあり、そして六本の弦を持つ楽器だ。かき鳴らす撥は琵琶のものよりも二周りほど小さく、持つというよりも指先で摘まんでいる。撥で糸を弾く事自体が難しそうで、私のような不器用な者では、きっとまともな音すら出せないだろう。
 簡単な紹介が終わったところで、雷鼓さんが注釈を加える。

「九十九姉妹は姉妹だけど、実は姉妹じゃないんだ」
「はっ?」

 雷鼓さんの言葉が揺らいでいるというか、そもそも次に発した言葉が前の言葉を否定している。意味不明というべき文法である。
 自分でも言っている言葉がおかしいと思ったのか、照れ笑いをした後に注釈に注釈する。

「二人は同時期に妖怪化したんだってさ。それで似た楽器同士だった二人は、姉妹の契りを交わしたわけ」
「“姉妹の契り”ですか?」
「そっ」

 姉妹の契り、そのワードは何というべきか……普段口にしてはいけない感じのフレイバーがする。
 きっと、こんな感じなのだろう。





「弁々お姉様、お姉様は私の特別なのです。私はお姉様にとってどんな存在なのでしょうか?」
「八橋は八橋、それ以上でも以下でもない。そして、私の大切な妹よ」
「ああ、お姉様……」
「八橋。タイが曲がっていてよ」
「あっ、お姉様、そこはタイじゃなくて……」
「ふふふっ、興奮しているのね」
「いやん」





「……なんか恥ずかしいですね」
「いや、影狼ちゃん。言っている言葉の意味が良く分からないんだけど」

 思考が病的なのはどうやら私だけであったようだ。
 思考回路の大幅な改善が求められる。



 特に意味の無い自己紹介が終わり、お待ちかねの本日雷鼓さんが購入したアンプの出番である。
 雷鼓さんの簡単な説明によると、ベースから飛ばした信号をアンプで増長し、部屋隅にある黒い箱、スピーカーから音を出す、らしい。増幅と出力という単語を道具屋で聞いていたので、何となくイメージがついた。肝心の音のイメージは別だけど。
 ベースからは一本の配線が伸びていて、それはアンプの差し込み口に接続されている。アンプにもこれまた外部へと繋ぐ配線があり、スピーカーへと帰結している。
 ベースからアンプ、スピーカーと構造自体は単純で、一度見れば私でも接続は可能だろう。
 そのベースを持っている八橋さんであるが、緊張が見て取れる。身体、特に肩に無駄な力が入っている為に、動作の一個一個がカクついている。大丈夫だろうか?

「別に緊張することでもないでしょうに。あんたに物理的影響が出るわけでもないでしょ?」
「姉さんだって自分が担当する楽器に初めて触れた時、ワクワク感とかあったでしょ? 私は今、それを正に楽しんでいるの」
「時間は有言、さっさと弾いてくれる?」

 姉である弁々さんの口調は私が聞いている限りきつい。見た目は穏やか、慎ましい美人に見えるけれど、実際は少し違うようである。まあ私が勝手に作り上げていたイメージが真実に否定されただけであるが。
 八橋さんの喉がごくりと動き、彼女は震える手でまだ震えていない弦を手に持った。そして、弦の一つを押さえる。
 スピーカーから響いた音は、お腹に響くような低音であった。私が今までに聞いたことがない新しい音が、彼女の楽器から生まれている。
 彼女の指の動きとその音は呼応し、早く動かすと音が適度に暴れ、楽器の悲鳴とでも言うべき低くて響く音が生まれ、叫びまわる。

「すごい! ぎゅいんぎゅいん言っているし! 面白くない?」
「主にうるさい」

 音出しでテンションが上がっている妹と冷たい目で静観する姉、この光景を見るに、二人がどうして姉妹の契りを結んだのか、私にはよく分からなかったり。
 触る弦を変えたり、弦の触る箇所を変えると、その低音が変化する。弦楽器としては当たり前なのだろうけど、演奏者には面白いらしい。
 私もこの今までに聞いたことがなかったベースの音を気に入っていた。この音が演奏に組み込まれたら、一体どんなものになるのだろう、なんて具合に妄想が広がっていくのだ。
 しかし、楽器を弄り回している妹を見る姉の眼は、芳しいものではなかった。姉には妹が遊んでいるようにしか見えなかったのだろう。
 痺れを切らした弁々さんは、演奏者の肩に手をかける。

「さあ音出しも終わったことだし、コードの練習に戻るよ」
「ベースにはコードとか要らない、少ししか要らない」
「その少しをマスターできてないあんたが大口叩かないの」
「ああ、私のベースがー」

 背中を引っ張られてずるずる引きずられていく女の子、素足で必死にブレーキを掛けようとしているが、フローリング上では無駄な抵抗でしかない。
 しくしくと泣き真似をしつつ、本を見ながら弦に指を当てている八橋さんは、先程に比べると全く生き生きしていなかった。その隣で弦を触りながらベースの音を調整している弁々さん、確か調律とか呼ばれている作業だった気がする。
 急に暇になってしまった私の視線は定まらない。一体どこを見て暇つぶしすればいいのか、はたまたタイミングを見てお邪魔しましたすればいいのか、頭の中で考えていると、雷鼓さんと目が合ってしまった。
 彼女は奥に置かれていた太鼓セットなるものを白い布で拭いている。これまた見た事がない楽器群であるが、打楽器っぽい故に見た目でなんとなく音が想像できる。

「ああ、暇になっちゃったかぁ。弁々ちゃんの手開いたら、私と二人で一曲演奏するよ。八橋ちゃんは今日は……無理かなぁ。後日訪ねてきてくれたら、トリオまでなら演奏できるよ。勿論、影狼ちゃんが……」
「それは無理です」
「残念」

 太鼓と円状の金属、近くに置かれている撥、打楽器であるのは間違いなさそうだ。
 それにしても叩ける物の数が多すぎて、手の本数が致命的に足りなそう。一体どうやって使うのだろう?

「ああ、この楽器はドラム。私の新しい相棒ね」
「太鼓は分かるんですけど、これは?」
「シンバルね。金属だから結構けたたましい音が鳴るわよ」
「なんだか、叩ける場所が多くてどれを叩けばいいのか迷いますね」
「足元にあるのはバスドラムっていってさ、下にあるドラムはこんな具合に足でペダルを踏んで叩くんだ」

 軽く彼女が足で踏むと下に置いてあった大きな太鼓に撥が叩きつけられ、低くて張りのある音が部屋内に響いた。
 どうやら両足共に使っているらしく、二つ置いてある大きな太鼓は足専用なのだろう。

「外の世界の常識ではバスドラムは一個しか使われていないみたいなんだけど、私は片足開いているのが勿体無いから二つ使っている。ダブルベースドラムとか、ツーバスドラムって呼ばれているんだ」
「外の世界?」
「そうそう、言い忘れたけど、ベースもギターもドラムも外の世界の楽器。貴方が持っていたマイクと同じようにね。そして、この楽器を用いて演奏する集団をバンド、って呼んでいるの。コンサートのこともライブ、とか呼ばれていたりするわ」

 成程、聞いたことがないのも納得である。
 博麗大結界の先に外の世界がありそこから物が流れ込んでくる、というのは聞いたことがある。外の世界は私達が暮らしている幻想郷と違い、弾幕のようなエネルギーである電気がもっと色々な場所に使われているだとか。
 こんな新しい楽器が生み出されているのだから、私のような退屈を持て余している妖怪がもし外の世界に行ったら、楽しすぎて帰ってくる気が無くなってしまいそう。故に結界が張られているのかも。
 そんなことをしている間に、弁々さんが調律を終えていた。触ったことがない楽器の調整を手早く終わらせてしまうあたり、音への感覚や楽器に持つ感覚が凡人とは違いそうだ。

「弁々ちゃん、終わった?」
「細かく弄ると時間が掛かりそうだから、適当に合わせた感じ。今日はこれ以上弄らないよ」
「じゃあさ、一曲弾いて貰っていいかな?」
「お客さんに? 構わないけど」

 ベースを床へと置いて、彼女の本来の担当であるギターを手に持つ。楽器のサイズがどうにも大きく、持っているだけで重そうである。
 あまり誰かを寄せ付けるたがらないように見える彼女であるが、私は聞いてみた。

「ギターっていう楽器はそんなに大きいものなんですか?」
「もっと小さいものがスタンダードみたいだけど、私の手元に入ってきたのがこのギターだった」
「重いんですか?」
「意外と軽いわよ。琵琶と同じように中は空洞だから」

 手招きを受けて、ギターを持たせてもらうと、そのゴツい見た目に反して、両手で抱えたら重さを感じない程度の重量しかなかった。数時間も持っているのは流石に辛いのかもしれないけれど、負担は見た目よりも幾分小さい。
 興味本位で弦を弾いてみたい衝動に駆られつつも、彼女にギターを返す。
 楽器を持ってしまうと何となく音を出してみたくなる病気は、きっと誰しもが発症する病気なのだろう。そうだと信じたい。
 入口付近まで離れると、隣には指が写っている本とにらめっこをしていた八橋さん。彼女も二人が一曲弾くのを聞く為に、本を一度畳んでいる。
 小さな音を出して音量や音程を調整している二人の顔は、ど素人である私から見るとプロの顔に見える。真剣に何かに取り組んでいる姿は格好いいと思うし、私にもそんなものが何か一つでもあればいいのになあと思う。探す努力はしていないけど。
 音が消えて、弁々さんは雷鼓さんの顔を確認する。雷鼓さんが頷くと、弁々さんは前を向いた。
 撥を叩く音三回、その後に私の身体へと音の衝撃が走った。





 ドラムの音は正に地鳴りとでも呼ぶべきすさまじい音の氾濫、それを作り出しているのは間違いなく雷鼓さんだ。
 雷鼓さんの動きは卓越という言葉では既に表せない。手足四つで音楽を奏でている、という表現のみでは全くもって相応しくなく、身体全体でリズムを取って、ビートを刻んでいる。その中で、撥で太鼓やシンバルを正確に、いや正確に叩けているのかなんて私には分からない。けれど、彼女が作り出しているリズム、勢いというものに圧倒されているのは間違いない。
 その打撃音は暴力的でもあり、単体では音楽と呼ぶに相応しくない筈なのに、ギターの音が重なることで確かなメロディへと変わっていく。
 弁々さんは音に音を重ねるのが得意なようで、暴れ回る雷鼓さんの音を上手く制御しつつ、音を曲へと変換している。
 躍動感の塊である雷鼓さんとは対照的に、弁々さんは優雅に弦を弾いている。弦を上下する指の動きだけは忙しなく、指だけが平穏なる彼女の作る世界から隔絶されているように感じてしまう。
 耳は耳で勝手に楽しみ、眼は眼で信じがたい演奏の光景を目にしている。私の足はリズムを取り出し、掌は暑くもないのに汗ばんでいる。二人が生み出した音楽は間違いなく私の身体に変化を及ぼしていた。
 サビに入り、曲調がテンポアップする。最初から出力が全開に見えた雷鼓さんは、もっと早く、もっともっと先へと駆け抜け、弁々さんは何食わぬ顔でその音へとついていき、音楽が生まれて新しい奏でとなっていく。
 気がつくと私はその曲の歌詞を口ずさんでいた。知っている曲だったというのもあるし、そうしながら聞くのが自分の中で一番自然だと思ったから。
 最高速のままにサビを終えて、ゆっくりと演奏は終息へと向かう。
 演奏終了後の音の余韻は室内にいるからこそ楽しめるものだろう。
 音が完全に消え、二人は動かなくなる。雷鼓さんは汗だくで、弁々さんは演奏前となんら変わりがないままだ。
 演奏していた時間はたった二分ほど、だと思う。自信が無いのは、音楽を聞いている間、体内時計やら体内の機能やらがまともに作動していたと思えなかったから。
 凄い、本当に凄い、自分のボキャブラリーが繰り返しに終始してしまうほどに、その演奏は素晴らしいものだった。
 なのに、演奏者達は勝手に反省会を始めている。

「やっぱりさ、音が二つ欠けているとなんかしまりがないのよね」
「そう、致命的に足りていない。八橋の音、そして声というパーツ」
「私が足りないって言っているんだから、音に拘りがある弁々ちゃんじゃあ、腹立てるレベルよね、きっと」
「その通りよ。この演奏は欠陥品のまま」

 衝撃やら余韻やらが演奏者の台詞で台無しである。
 私が今受けた感動が否定されているようで、聞いているとなんだか腹が立ってきた。
 音楽について詳しいわけではないけれど、まだ熱が覚めていないこの身体が何よりの証拠だ。
 地雷と分かりつつも踏みに行く兵卒の如く、私は二人の会話に割って入った。

「こんな素晴らしい演奏だったのに、一体何が足りないんですか?」
「分からないのかい? どう評価したって、今の演奏は欠陥だらけだ。私達がどんなにいい演奏をしても、最初からパーツが足りていないから、私は満足できない」
「でも、聴いていた私は満足できました」

 本人が納得いっていないだけであるのに、何故私はフォローを入れているのだろう?
 私が患っていた日々の感情や慣習から生まれる思考の迷路。音楽を聴いていた時、そんなストレスだとか自己への不満だとかの下らない感情は音に消され、思考も真っ白になり、ただそこに存在する音だけを楽しむ事ができた。
 そんな音との出会いを今日偶然にも持てたのだ。簡単に否定はしたくない。

「私、演奏している二人が思っている以上に音楽には力があると思うんです。日々、この世界で過ごしていると、理想とのギャップ、そもそも理想さえも掴めないような日常ばかりで、叫んだり暴れたくなったりします。そんな時に、音楽が強い力で嫌な事を忘れさせてくれたり、その思いを代弁してくれたりするんです」
「ええと……、影狼ちゃんも苦労しているんだね。あと台詞が熱い」
「別に私の事はいいんです。だから、二人が自分達の奏でた音を否定していると、私も寂しくなります」
「とはいっても、所詮は未完成品を皿に盛って出しているようなものだから、評価対象外というか」
「歌い手とベースがいないのは二人にとって不満なのかもしれないですが、私にとっては逆に期待してしまいます。だって、この音楽が更に進化をする可能性を秘めているんですから」

 今日初めて出会ったというのに、今までに口にした事が無いような恥ずかしい台詞が次々に出てくるあたり、私のストレスは未だ解消されておらず、やはり日頃の鬱憤というのは溜め込むべきではない、ということなのだろう。
 熱烈なファンからの熱意だけは伝わったようで、自分達の演奏を否定する返しは無くなった。
 そして、今まで黙っていたもう一人のバンドのメンバーも、私に援護射撃を加えてくれる。

「うん。口を挟みづらいから我慢していたけど、今の演奏も含めてさ、私は雷鼓さんと姉さんの演奏は素晴らしいと思っているよ。私は楽器をまだ上手く扱えていないけど、二人の背中を目標に練習しているから」
「少数意見ではないようですね」
「聞き手を自分達の世界に引き込む力強さがあるし」
「そうですよね! 演奏していた曲を知っていたので、つい口ずさんじゃうくらいに……」

 あっ、と気が付いた時には既に遅い。
 慣れていないくせに沢山喋るから、ついに完全な失言が口から出てしまった。そして、雷鼓さんにとっては待ちに待っていた一言なのだろう。
 ニコニコと笑みを浮かべた彼女の顔が、私の心へと突き刺さっていく。眩しい笑顔、殴りたい。
 何も言わずに逃げるのが今思い付いた身を守る最善の手段であったが、入口付近にはこれまた笑顔を浮かべている八橋さんがそそくさと移動していた。連携は遺憾ながら完璧だった。肉食獣が逃げられない獲物に成り変わっているとは、なんとも滑稽である。
 取り敢えず、ダメ元で先手必勝。

「無理です」
「八橋ちゃん、早急にベースの準備」
「了解、頑張ってみるよ。それにしても流石雷鼓さん、アンプだけじゃなくてヴォーカルまで拵えてくるなんて」
「メンバーが揃って、やっとバンドらしくなってきたわね。サブギターやりたくなったら、ギター持参で私の所に来てね」

 三名共に全く他者の話を聞いていないあたり、似た者同士が集まったと言えるのかも。
 そもそも、この三名は楽器生まれの付喪神、そして私はただの妖怪であり、楽器も扱った記憶は無い。打楽器くらいなら何とかなるかもなんて高を括っていたが、雷鼓さんの撥捌きを見て、自分には完全に縁の無いものと判断した。
 なのに今、提供する側に引っ張られている?
 私はわかさぎのように上手くは歌えないし、そもそも今まで目立つ振る舞いは慎んで生きてきた。こんな花形を行えるような才能は無いし、だから静かにしてきた。
 突っ立ったまま停止していると、撥を持った雷鼓さんが私の所まで来て、一分前に自分の口から出た言葉を要約してみせた。

「口ずさむだけじゃなくてさ、思いっきり歌ってみなよ。きっと、影狼ちゃんが抱えているもやもやっとしたものも、きっと吹き飛ぶからさ」
「でも……私は」
「こらこら、貴方が音楽には力があるって言ったのでしょ? さあボサッとしないで、自分の悩みは自分で吹き飛ばしなさい」

 雷鼓さんから渡されたのは、私が竹林で拾ったマイクだ。お金は貰っているので、今は雷鼓さんのものである。
 まさかこの使い方すら知らなかった道具が、私の元へと返ってくるとは思わなかった。
 視線を一身に浴びる現状は、もはや一石を投じることさえ許さない。
 もうこうなったら覚悟を決め、一回だけ歌って、諦めて貰うしかないだろう。
 恥を晒すのは月夜で止める筈だったのに、一度流れが悪くなるとこう二度、三度と重なっていく。運が悪かったと自分に言い聞かせながら、私は無言でマイクを受け取った。
 手に持つと僅かな重みと金属の冷たさが私に伝わる。ただの音を拾う道具でしかなかった物が、私へと大きなプレッシャーを与えるのだ。
 寒くもないのに、何故か指先がブルブルと震える感覚、お客さんなんか誰もいないというのに、私は発生源が分からない恥ずかしさに呑まれている。
 私も本来、準備なるものをするべきなのだが、マイクとスピーカーの調整は雷鼓さんが行っている。

「影狼ちゃん。音量調整するから声出してみて」

 いきなり難易度が高い。まあ、それくらいできないと歌う事など皆無であるのだが。
 声を出すとは、具体的に何をすればいいのか分からない。言葉を口にするのは何となく憚られたので、マイクを叩いてみた。
 ゴン、ゴン、とスピーカーから大きな音が返ってくる。確かに音が拾われている。
 次に声を出してみると、四方八方から私の声が聞こえてくる。

「あー、あー、なんか私の声が多角的に耳に入ってきて怖いんですけど」
「マイクの入力をスピーカーで出力しているからね」
「あと、自分の声が若干気持ち悪い」
「はい、ネガティブは捨てる。音楽にはそういう力があると言ったのは、影狼ちゃんよ」

 やはり口は災いの元だった。
 自分が口にした言葉があらゆる部分で足枷になっているあたり、やはり慣れない行動は控えるべきなのである。ならば、今マイクを持っている状況もこの理論から考えると控えるべきなのだろう。
 まだベースの準備ができていないから、気持ちに整理をつける時間はある。時間があるだけで、できるかどうかは別。よって、今は私ができない妖怪であるのをアピールする時間としよう。

「歌詞うろ覚えなんですが」
「それは大丈夫。私のリズムで影狼を“歌わせて”あげる」
「下手でも笑わないで下さい」
「あんまり気負わなくていいよ。まず自分の好きなように歌ってみればいい」

 自分の好きなような歌い方とやらが難しすぎてよく分からないのですが。
 ノリで何とかなるだろ、みたいな空気を皆が醸し出しているのが辛い。
 何度も言うが、私は決して楽器生まれではないし、音楽に通じてもいない。最初から全てが上手くいったりはしないし、世の中は予定調和でなんかできていない。私が巫女に負けたように。

「さぁ、準備もできたし、そろそろ行こうか。八橋ちゃん、調子はどう?」
「やってみなきゃ分からないですって」
「弁々ちゃんは?」
「言われなくても大丈夫。準備は万端だよ」
「そして、影狼ちゃんは?」
「吐きそうです」
「考える事は色々あるだろうから、全部歌にして吐き出しちゃいな!」

 雷鼓さんのテンションは徐々に上がってきている。
 九十九姉妹は相変わらず、二人共にマイペースである。演奏用の性格みたいなものは、兼ね合わせていないみたい。
 私の気分は緊張で高まっている筈なのに、何かが萎んでいく感覚もある。
 上手い中に下手が紛れ込む、正常の中に異常が紛れ込む、そんな不快さを覚えてしまうそうで嫌になる。
 私が全ての音をぶっ壊してしまうかもしれない。
 怖いんだ、何かの輪の中へ入るのが。

「大丈夫だよ。怖くない、きっと楽しいから」

 今度は雷鼓さんの姿は見えない、それでも撥が後ろから三度鳴る。






 激流が後ろから流れ出て、押し出される形で口が開かれた。
 後ろのドラム、右からのギター、更には左から新しい音であるベースの低音が、ステレオタイプに耳へと入ってくる。聞いている場所が違えば、音も大きく変わり、新しい音が混ざれば音楽も劇的に変わる。
 そんな中で、私はただ頭に浮かんだ歌詞を言葉として吐き出した。歌っているというより、周りの音に促され、歌わされているのかもしれない。
 本当に身体が、口が勝手に演奏に動かされているんだ。
 自分が上手く歌えているのか、自分が音程を外すことなく歌えているのか、客観的な評価という観点が全て消されてしまっていて、自分の歌声を評価できない。なのに次のフレーズを私は曲に合わせて口にしている。
 不思議な感覚だ。歌っているのは間違いなく自分、それなのにその声が耳へと入ってこない。スピーカーで増幅されているのに、耳は三者が奏でる音だけを拾い上げる。
 サビのテンポアップにも、この場所を支配するビートに乗せられて、一語一句正確に歌詞が口から出てくる。身体が激しいテンポと共にあり、時に激しく叫び、マイクへと声をぶつけている。
 私は“歌わされている”だけ、それでも声に出してリズムに合わせてフレーズを刻んでいく事は、私にとって気持ちの良い事であると、今身体が知ってしまった。






 ベースとドラムの音が残響として漂う中、私は口元に持っていっていたマイクを下げた。
 そして、自分の身体が猛烈に発熱している事実に今頃になって気が付く。それが緊張から起こったものなのか、声を出すというエネルギー消費の行動から起こったのか、判断がつかないくらいに演奏中は意識が持っていかれていた。
 上手く歌えていたのかも甚だ疑問。自分の声が耳へと入ってこなかったのも不自然な点だ。
 恐らくは、雷鼓さんが言っていた「歌わせてあげる」という言葉の中に解があるのだろう。
 その雷鼓さんは先程とは異なり、あまり疲れている様子を見せないまま、笑顔で弁々さんと何やら話している。

「ちょっと接待演奏になりすぎたかな?」
「そうかもしれない。私も二人を引っ張る意識が強くて、自分の演奏が疎かになった感がある。ギターの難しさや奥深さを知れたのは収穫」
「そう、収穫は十分にあったわ」

 ちらちらと時折目線をこちらに向けながら、意味深な会話をしないで欲しい。
 私と共に取り残されている八橋さんは、これまたにこやかな様子だ。初めて自分の楽器で音が出せたのが嬉しいのか、それ以上の成果が彼女の中に生まれていたのか。
 意識せずに彼女を見ていたら目が合ってしまったので、私から話しかけた。

「どうでした? 自分の演奏、できましたか?」
「うーん。なんか私だけ遅れていたかなって感覚。琴だったらもっと上手く扱える自信があるから尚更」
「理想が高いなぁ。私なんて自分がどんな声で、どうやって歌っていたのかすら分からないのに」

 確かにマイクから大音量で出力されていた、と思う。そうじゃなければ、私以外の誰かが異変に気が付くだろうし。
 演奏中を思い返しても、自分の声というものに対するイメージがやはり浮かんでこなかった。
 その声が聞き慣れているからなのか、歌うという行動が特殊なのか、原因も分からない。
 単純に興奮が収まっていなくて、脳が働いていないだけな気もする。
 落ち着こうと息をゆっくり吸うと、ずずいと八橋さんが近付いてきた。

「影狼さんの声、普段の可愛い声と違かったから驚いちゃった。勿論良い意味でさ」
「驚いた? 何に?」
「ハスキーなヴォイス! いいなぁー、格好良い声、羨ましい」

 八橋さんに何故か憧れを向けられる。
 そう言われれば、歌っている声は普段とは異なるものだったかもしれない。確証が持てていないのは、所詮は主観であり、自分の持つ何かは主観で評価するべきものではないからだ。
 普段話している時は、別に嗄声だとか男っぽい声と言われたことは無いから、そうならば驚くのも分かる。
 でも、声が変である事は良い事に含まれるのだろうか? 声が特殊だと歌を選ぶだろうし、歌うのが下手だったらそれこそ意味が無い。

「影狼ちゃんは歌うと豹変するタイプね。自信満々に歌っていて思わず驚いちゃったわ」
「わっ! 雷鼓さん、いつの間に!」
「ふっふっふー、逃がさないわよ」

 背後に回って、別に疲れてもいない肩を揉んでくる雷鼓さんの表情は見なくても想像がつく。今は子供のような悪戯っぽい笑みを浮かべているに違いない。そして、私はその顔をなんとなく見たくない。
 後ろを向かずに、スキンシップを無視していても、彼女の言葉は止められない。

「少ししゃがれた声といい、その男勝りの声量といい、マイクを持った時のエネルギッシュな歌い方といい、完璧に私の好み」

 別に雷鼓さんの好みなんて聞いていません。
 私の背中から離れて私を見る雷鼓さん、その目は予想に反して笑っていなかった。真っ直ぐにこちらを捉えている。
 真剣な目を向けるのはやめてほしい。私は音楽に長けていないし、皆のように真剣に取り組めない。だから、私は雷鼓さん達と違うんだ。
 そう、今泉影狼はそもそもステージの上に立つような者ではない。

「私はそんなに上手く歌を歌えないです。誰かに聞かせられるようなものを持っていない」
「確かに歌自体は未熟よ、貴方の言うようにね。私達の音に飲み込まれているままでは、所詮引き立て役にしかなれないし、引き立てる事すらできないかもしれない」
「だったら!」
「でも、貴方には立派な武器がある」

 なのに、彼女は私を誇大に評価しようとする。
 首を振る私の背中を後ろから押そうとしているのだ。

「物事は最初から上手くできたりはしない。勿論、最初からできる奴もいれば、練習で必要以上に伸びる奴もいる。要するに過程や結果には差があるし、当然経験によっても差は出るわ。そして、貴方のスタート位置は絶対に零ではない」

 器用に嘘を付いてメンバーを補填したりしない、私は雷鼓さんを良く知らないけど、そういうのは嫌いだと思っている。
 音楽に対して真剣に取り組み、理想を追い求めての言葉。
 雷鼓さんの言葉には偽りが感じられない。私が嘘に鈍感なだけかもしれないけど、そう信じたい自分がここにいる。
 だからこそ重いんだ。
 私と雷鼓さんには現に隔たりがある。自分が彼女の期待に応えられると、どうしても思えないから。

「その声は貴方にしか出せない。声量も声質も素材として抜群、とても合わせやすかったわ」
「分からない……です。自分の良さ、なんて」
「それは貴方がミュージシャンとして駆け出し、いえ、まだ駆け出してもいないから」

 自分の中に判断基準がないまま、イエスかノーかの選択をしなければならないのは、不幸と呼ぶべき事ではないだろうか? それが自分の今後に大きな影響を及ぼすのなら尚更だ。
 私の心は読まれている。雷鼓さんの一言は困惑の最中にいる私に一つの判断要因を与えたのだから。

「歌っている時の貴方、楽しそうに見えたわ」
「それは雷鼓さんや二人の能力で……」
「私の能力はリズムに乗せるだけで、所詮は歌わせやすくするだけ。生まれ出た貴方の感情を乗せた声は間違いなく貴方のものよ」

 じっと見られているのが辛くなり目を背けたくなる。逸らした先には八橋さんの期待の目だ。何も口を出さない彼女は、きっと雷鼓さんの意見に賛同しているのだろう。
 そうなると、ちょっとキツいイメージを最初に持った彼女に頼るしかない。私のような素人が入るのは、彼女にとってマイナスなのではないかと。
 私の居心地の悪い目線に気がついたのも、やはり雷鼓さんだった。

「弁々ちゃん、あと一息、ヨロシク!」
「……悪いけど私はお世辞とか苦手だし、音楽に対してはだけは妥協したくないの。だから、正直に言わせてもらうわ」

 演奏が終わってからも飄々と弦をメンテしている弁々さんが、ギターから私へと顔を向ける。
 相手の眼で硬直する自分、どうやら肉食獣としての面目なるものは遂に地に落ちてしまったらしい。
 別に相手は私を嫌っているようにも思えない。好かれてもいないだろうけど。
 そう、他人なんだ。私はまだ部外者のまま。
 そして、雷鼓さんは私を部外者である場所から手を引っ張って、どこかへと連れて行こうとしている。その先に何があるのか、私には見えない。
 少しの間、弁々さんが言葉を選ぶ時間が終わった。

「貴方はヴォーカルとしては未熟、技術的なレベルも八橋よりもずっと下にいる。だから、ここにいる誰よりも練習が必要になると思うし、それができなければステージの上で楽器の音に飲まれる事になるでしょうね。それは貴方が口にした恥ずかしい事、となるかもしれない」

 私は先程の演奏では、きっと彼女の言う楽器の音に飲み込まれている状態だったのだろう。そんな風になるのなら、ヴォーカルなんてするべきではない、彼女ははっきりとそう言っている。
 声をただマイクにぶつけていた際、頭も身体もまともに機能してはいなかった。思い出そうとしても、よく覚えていない。
 それでも、歌うのは気持ち良かったし、彼女の言う飲み込まれなかったヴォーカルの自分があるのなら、きっともっと良い気分になれる筈だ。

「だから、もし貴方がここで歌う事を選択したら、誰よりも真面目に取り組む必要がある。音楽が好きじゃなきゃ、それはきっとできない。つまらない何かに打ち込んだところで、上手くはなれない。思考がそれを嫌っていて、そもそも頭が上手くなろうなんて考えようともしないから。そして、私はつまらないのに音楽をやろうとする奴は許せない。半端な気持ちなら関わって貰わなくて結構。楽器にも失礼」

 弁々さんは琵琶を憑代とした妖怪だと言っていた。だからこそ、楽器が何なのか譲れない考えがあるだろうし、彼女の言葉は軽々しく否定できるものではない。
 その上での、私への質問。

「貴方、音楽は好き?」

 声には感情が乗っていなかったが、雷鼓さんの笑顔の勧誘とは違う張り詰めた空気が部屋の中に流れている。
 嘘は許さない、弁々さんはじっと私の目を見続けている。
 金縛り状態だった身体は、今は解れている。弁々さんの話は尤もだと思うし、真剣に取り組んでこその音楽が、聞く相手の感情を動かすものであると、私もリスナーとしてそう思いたかった。
 今は聞き手として、今泉影狼として、正直に回答しよう。

「……好きです。演奏とか人前でまともに歌ったりした事は無いですけど、聞くのが好きです」
「そう」

 答えに少し表情を崩した弁々さん、本当に音楽が好きなんだなぁ。

「だったら、言わせてもらうわ」

 そんな仕草も一瞬、凛とした態度へと戻るのも早かった。
 油断を相手に見せないタイプなのだろう。
 そんな彼女の言葉なのだから、疑い無く言葉が身体へと落ち込んでいく。

「貴方が歌っている時、私も雷鼓さんも少し押さえながら演奏していたわ。わざとヴォーカルが前に出て歌いやすくなるようにね」
「確かに歌いやすかった、と思います」
「でも、貴方の声の存在感、力強い歌い方を見ていて、必要なかったと思ったわ。私や雷鼓さんがヴォーカルを兼任しても絶対にできない素質、それを貴方は持っているの」
「えっ?」
「素材としては十分、技術は貴方の音楽への取り組み方次第でなんとでもなる。まあ、最初の公演までは残念ながらあまり時間は無いけどね」

 褒めてもらっている? 確証が掴めていないままに、次の言葉が耳へと入ってくる。
 そして、それは結論であり、彼女の立場を表す言葉でもあった。

「端的に言えば……私としても是非ともヴォーカルとして加わって貰いたい」
「最初っからそう言えばいいんだって。あのパワフルな声を聞いて反対とか、まずあり得ないんだしさ」
「雷鼓さんには雷鼓さんの考え方があるように、私には私の考え方があるわ。私は中途半端な感情でヴォーカルという重要な役割を受け持って貰いたくない」
「はいはい、言いたい事は分かっているって。私も、影狼ちゃんもね」

 ここにいる皆さんはみんなそうだ。良い所と悪い所をはっきりと私に伝えてくれる。だからこそ、嘘や偽りが混ざっていないのだと信じられる。
 誰かに求められる、そんな事は今までにあっただろうか? 私はいつも孤独、ハーフの半端者として誰かとは常に距離を保ち、知られ過ぎず知り過ぎないように生きてきたんだ。だから、私の周りに誰かがいたとしても、結局は孤独だけが残った。
 今回も同じ、なのかもしれない。切っ掛けは今までにだってきっとあった筈、でも変わらなかった。いや、私自身が変えようと思っていなかった。
 保守的なだけだった?
 違う、私は変化を怖がっていた。自分に自信を持てなかったから、だから自分を知られるのが怖かった。

「改めてお願いしていいかな?」

 今だって怖がっている。
 孤独でいるのは楽だ、それは間違いない。壁を作って誰かに見られないように振る舞えば、いくら醜くて無能でも、それは自分以外に認知されないし迷惑もかけない。何も気にせずに生きていられる。
 けれど、孤独には常に寂しさが伴う。時に巫女に八つ当たりをしようとして、返り討ちに合うほどに精神的に参ってしまったりもする。
 もっと単純に考えるべきだ。
 私はひとりでいた、孤独でいた自分に満足していただろうか?

「私達のバンドに正式なヴォーカルとして迎え入れたい。強要ではないけど、是非とも考えてもらいたい」

 答えは否だ。
 孤独はつまらなかった。致命的に。
 不器用で下手糞な自分を他者に隠してきたって、何も満足は得られない。
 ゆっくりと下がっていく下り坂のように、思考回路は負の方向へと転げ落ちていく。
 いくら待っていたって、何も変わらない。歌うのが下手糞な今の私、何もしなければずっと下手糞なまま。
 わかさぎみたいな、優雅で美しい声なんて出ないし、どっかの夜雀みたいに精神に投げかける声なんて出せない。枯れた声を絞り出して、マイクと呼ばれる無機質なそれに向けてただ叫ぶ、そんなことしかできない。
 それでも私のことを望んでいてくれた。
 少なくとも、ここにいる三名は。
 自分のことはよく知っている。練習しても下手なままかもしれない。それでも、私は“だろう”とか“かもしれない”とかいう、不確定な自身の未来に証拠の無い確信を持ち、満足したふりをしていたひとりぼっちの今泉影狼を捨てたかった。
 答えは決まった。背中を押してくれたおかげで、いつもとは逆の答えを私は選択できた。
 内ポケットから取り出したのは、店で彼女から買い上げてもらったお金だ。

「お金、返します。これからの私には、このマイクが必要だから」
「それって……」

 今の私はにっこりと笑えているだろうか?  ちょっとぎこちないだろうか?
 あまり自信は無かったけれど、不器用なりにも気持ちが伝わっていたらいいなと思う。

「私、もっと音楽に触れてみたいですし、ヴォーカルもやってみたいです。まだ下手の横好きでしかありませんが、一生懸命練習するので、宜しくお願いします!」

 頭を下げる。これでもう引き返せない。
 でも、少なくとも今は、後悔は全くなかった。
 皆の演奏でまた歌う事ができる、そう思うと身体から熱が湧いてくる。それが回答の何よりの理由。
 私は歌うのが好きなんだ。
 顔を上げると、小さくガッツポーズをしてみせた雷鼓さん、「わーお」とか謎の嘆願語を呟いている八橋さん、ふっと安心した顔で視線を下げる弁々さん、三者三様のリアクションながら、その根本はきっと同じ。
 そして、私も決意を口にして、やっとその輪の中に入れた気がした。







 歌っていた時と同じように私の鼓動は高まったまま、そんな中で雷鼓さんが話を進める、

「因みになんだけど、影狼ちゃんの本気の大声ってどれくらいのものなの? 私にはまだ声を抑えているように見えたんだけど」

 かと思ったけど、そうでもなく早速脱線。
 最後方で演奏している雷鼓さんは、常に前にいる三名を視界に捉える事ができる。私も演奏中に見張られていたらしく、私が無我夢中に歌っている際に今の疑問が浮かんできたのだろう。
 雷鼓さんの後半の指摘は当たっている。私は声を確かに抑えていた、そうしないと危ないからである。

「もっとお腹の奥底から声を出してもいいのよ」
「ええと……これ以上出すと攻撃用になってしまうので」
「えっ、攻撃用!?」
「部屋も狭いですし、危険だと思います」

 時に遠吠えを行う狼の声帯は他の動物よりも強固であり、その声をスペルカードにしている。
 私にとって、声は大雑把に扱っても効果がある便利な弾幕なのだ。
 でも、実際に聞かないと殆どの者は理解しない。雷鼓さんも残念ながらそうだった。

「私も含め、ここにいるの全員、音を武器にしているからさ、多分我慢しなくても大丈夫なんじゃない? 私としても影狼ちゃんの声量とか確認しておきたいし」

 ならば、実践するのが一番である。
 歌うのは下手と自負している。そして、自分の声量の大きさも把握している。でも、それを疑い無く知っているのは私だけ。何より、私という存在が妖怪として舐められている気がした。
 歌ではない自信のある声で、いっぱしの妖怪としての力をここいらで見せつける必要がある。
 雷鼓さん達がどれくらい強いかは分からないけど、舐められっぱなしでは狼の名を宿す資格さえ無くなる……、最初から無い気もするけど。

「……耳、塞いでおいて下さいね。多少は軽減できると思うので」

 まだ籠ったままの熱は、きっと私の力となるだろう。
 先程、歌で声出しは行っている。事前準備は万端だ。
 マイクも危険だろうから、スイッチを切って床へと置いておく。
 緊張は無かった。戦闘ではいつもやっている事だから。
 雑でいいし、遠慮もいらない。ただ、空気に狼の誇りをぶつける。
 空気を大きく吸い込んで、肺から出たシンプルな音を叩き付けた。



「わっ!」



 区切られた一文字。
 それは絶叫ではない、咆哮。そう私は呼んでいる。
 手強い敵が現れた際に、自身を鼓舞する為に吠えたける。自分が強い存在であると思わせ、相手を威嚇する為に使うのが、動物が持つ鳴声というもの。
 しかし、私の咆哮はそれ自体が武器であり、相手を吹き飛ばす手段でもある。
 声が武器として優秀な理由、それは方角が全方位に亘る事。勿論良く飛ぶ方向なるものは存在するものの、視界では捉えづらい真横や後ろもある程度カバーできる。
 だから、私も攻撃の手段として、大雑把に使っても効果があるこの咆哮:ハウリングロアを好んでいたりする。
 器用に相手を追い詰めるハンティングは得意じゃない。だから、大雑把と言われても否定はしない。不器用なりにもやりようがある。
 歌もそうなのだろうか? 心配だ。





 やはり、地下という環境が良くなかったっようで、密閉空間により威力が上がってしまっていたようだ。わっ、という音が往復によって低音へと変わり、未だ壁から壁へと跳ね返っている。
 バリバリと震えていたドアの曇りガラスも収まってきた。
 真正面にいた雷鼓さんはある程度は離れていたけれど、扉まで身体ごと吹き飛び、九十九姉妹は耳を押さえたまま固まっている。皆にとって私の声の威力は想定外だったのだろう。
 よろけながら立ち上がる雷鼓さんの目はまん丸くなっている。

「いたたた……」

 ドアが嫌な音をあげたので心配だったけれど、雷鼓さんの表情には苦痛は見られない。
 お手上げといったジェスチャーを見せた後、呆れ顔。

「まさかマイクなしでハウリングが起こるとは……」
「私の得意スペルです」
「目の前に殺気が飛んできたから、目がチカチカしちゃった。歌い方もそうだけど、影狼ちゃんって気迫とか気合とかそういうタイプ?」
「頭回すのが苦手なので、自然と力技になっているだけです」

 平常運転に戻った雷鼓さんとは異なり、耳を塞いだまま瞬きを繰り返している八橋さん。驚いているのは雷鼓さんと同じ。対応が一人だけ違かったのは弁々さんで、咆哮もなんのその、いつも通りの顔で壁へと寄りかかっている。
 どうやら彼女にだけは威力が足りなかったらしい。
 八橋さんも冷静なままの姉の姿に驚いている。

「姉さんが立ったまま気絶しているんだけど……」

 ……うん、暫く叫ぶのはやめよう。







 思わぬ脱線を改めつつ、話題はバンドへと戻る。
 仕切るのはリーダー(なのかな?)である雷鼓さんだ。

「さて、ヴォーカルを迎え、メンバーも揃った所で、先送りしていた重要案件を片づける時がついに来たわね」
「なっ、なんですかそれ!?」
「ふっふっふー、分からないとは八橋ちゃんもまだまだね」

 楽しそうなので、新米である私は取り敢えず傍観しておく。
 もう一方の傍観者は、再び弦を弾いてメンテを行っているあたり、茶番には興味が無さそうだ。
 本気なのかノリでやっているのか、いまいち掴めない八橋さんを巻き込みつつ、話は雷鼓さん主導で進んでいく。

「それは……ずばり、バンド名よ!」
「割とどうでもよかったです」

 リアクションが悲しくても、雷鼓さんは全く気にしていない。
 むしろ、本当に分かっていないんだなぁ、といった具合。
 チッチッ、と指を振ってアピールする彼女は、やはりノリノリである。

「他者の記憶に残るという意味で、名前ほど重要なものは無いわ」
「それは雷鼓さんが演奏が上手くできるからだと思います。私や入ったばかりの影狼さんにその理論を当て嵌めるのはちょっと」
「甘いわね。演奏の技量は練習の分伸びるけど、名前は変えが効かないわ」
「いや、普通に変えれば良い気が」
「名前がコロコロ変わるバンドなんて、大抵駄目バンドよ。名前はバンドにとって重要、軽々しく考えてはいけないし、変えてもいけない」

 そうはいっても、と首を傾げている八橋さんに、雷鼓さんは一つの例を投げかける。
 重要さのイメージが湧かないなら、具体的にどうなるのか一つのシチュエーションを切り出せばいい。

「なら行きかう誰かに“あっ、前に演奏していた九十九八橋だ”、と言われるのと、“あっ、○○のベース、九十九八橋だ”と言われるの、どっちが聞こえがいいと思う?」
「そう言われると、後者な気が……」
「そして、バンド名はグループ、自分に足りない部分があっても名前がカバーしてくれる部分もあったりする。まあ、花形であるヴォーカルの知名度はどのバンドでも鉄壁だろうけどね」
「そうですね」

 それは嬉しくない情報である。
 結局、バンドの中央にいるのは歌い手であり、この中で言うと私になってしまうのだろう。
 雷鼓さんのドラムの裏で隠れて歌う、などという斬新なスタイルが正当な理由無く認められるわけもない。
 そもそもバンドでなくても、中央は歌い手と相場は決まっている。素人の私でさえそう思っているんだから間違いない。

「というよりさ、名前が決まっていないバンドじゃ、そもそもしまりが無いでしょ?」
「そうですね。決められる時に決めないと、どんどん後回しになってしまう……というより、それが現状だったり」

 名前の重要性について説いたところで、次はどんな名にするのかである。
 雷鼓さんの性格を読むに、一人一回は発言権が回ってくるだろうから、いまのうちに防御姿勢を取っておかなければいけない。
 無い頭を一生懸命回さなければ。

「さて、八橋ちゃんは何か意見あるかな?」
「わっ、私ですか!?」
「私の一任で決めたりすると思う? バンドは四人揃ってこそ、だからみんなで考えましょ」
「単純に面倒事に巻き込まれた気分なんですが」

 一番手が必然的に考える時間が少なくなる。
 そんな中でまともな名前が出てくるわけも無い。
 ましてや、八橋さんはこういう即興は私と同じように苦手そうである。

「雷鼓さんと言えば……、菅原道真……とか」
「いやそれはいくら幻想郷でもアウト。主に危険だから」
「なら、近松門左衛門?」
「アウトどころかもはや意味が分からん」

 恥ずかしそうにボソリと著名人を呟く八橋さんに狂気のセンスを感じる。
 取り敢えず、近松門左衛門の今泉影狼と呼ばれたくないのは確かだった。傍から聞いたら固有名詞が続き、意味すら分からない。
 誰にも賛同されなかったとはいえ、意見は意見である。一応尊重はされるのだろう、か?
 二つの回答を貰ったところでバトンタッチ、八橋さんの近くにいた弁々さんが次なる標的である。

「さて、弁々ちゃんの意見を聞こうかな?」
「そういうの苦手、パス」
「案の一つくらい挙げるべきじゃない? メンバーとしてさ」
「ぐっ……」

 正当な理由で正当に退路を塞いでいく雷鼓さんは楽しそうだ。やはり自分が正しく強い立場にいるのだと把握していると、その立場を利用する屑な行為を気持ち良く行えるから困る。
 一つでも案を挙げなければならないと、弁々さんは悩み始める。その顔は真剣そのもので、段々と顔が赤くなっていく。
 赤く、赤く……真っ赤、大丈夫だろうか?
 見ているこちらまで息苦しい空気が漂ってくる。
 一分間の静寂は呼吸を犯す。
 色気の籠った声でギブアップする弁々さんを見て、思わず太股に視線を下げた。

「……はぁっ、はぁっ。駄目……、何も出てこない」
「なんか可哀想になってきたからいいよ、うん。弁々ちゃんはパスね」

 そして、次は必然的に私の番である。
 時間は十分に与えられていたので、案は何個か思い浮かんではいる。しかし、どうにも纏まらないままだった。
 他の人から意見を仰いでみることにしよう。

「四名なので、○○カルテット、とかどうでしょうか? まるまる〜の部分がまだ浮かばないですけど」
「カルテットかぁ〜。ヴォーカルが楽器を持っていない場合、カルテットって言えるのかなぁ? 影狼ちゃんがヴォーカル以外にサブギターを兼任するなら別だけど」
「……却下させて下さい」

 弁々さんを見ている限り、簡単なパートであっても不器用な私ではギターなど弾ける気がしない。
 サブ打楽器とかなら何とかなりそうだけど、きっと雷鼓さんで間に合っている。
 そんな雷鼓さんは自分で話題を切り出したくらいだから、勿論考えてきているのだろう。
 最後になった彼女は自信たっぷりに切り出す。

「ブリスティンビート」
「却下。雷鼓さんのスペル名でしょ、それ」
「始原の鼓動」
「大体同じだから」
「ぐぬぬ、意見を挙げていないのに偉そうに」
「独りよがりな名前は良くない。そう思いませんか、リーダー?」
「正論ね……」

 まともな意見が全く浮かばないまま一周してしまう。どれくらいまともじゃないかと言うと、近松門左衛門が貴重な最終候補に残るくらいに。
 今決めるよりも、ここは宿題にしてきっちり考えたほうがいいだろう。
 そして、八橋さんに任せるのはきっと良くない。
 私と同じ考え方をしていた弁々さんが、雷鼓さんに代わって一旦この場を取り纏めようとする。

「決まるまでバンド(仮)でいいんじゃない?」
「仮とはいえ、そのまんまというか何というか」
「少なくとも考える時間はまだ二週間はあるでしょ? それまでにみんなで考えて決めればいいだけ。近松門左衛門(仮)よりは多分マシ」

 二週間?
 初の公演まではあまり時間は無い、という言葉が先程弁々さんの口から出ていた気が。
 知りたくはないが、知らないといけない事実が私の目の前にあるのではないだろうか?
 死刑宣告を自分から切り出さなければならないのは、測り知れぬ苦痛である。

「えーと、二週間っていう期間は一体何なのでしょうか?」
「人里でお祭りがあるのよ。その時のステージで演奏するってわけ。本番まで二週間、まあ影狼ちゃんには少なく感じるでしょうね。あれ、言ってなかったっけ?」

 時間が無かった。
 というより、無理でしょ、普通に。
 先程までの強気な自分とポジティブシンキングが、二週間という言葉によって正反対に塗り替えられていく。
 必然的に出てくる言葉は一つである。

「やっぱり辞退……」

 弁々さんに睨まれた。逃げられないものだと考えるべきだろう。
 とにかく二週間、死に物狂いで頑張るしかなさそうだ。
 それで結果が付いてくるのかは全く別だけれど。

「それで、どんな曲弾くんですか? さっきの曲ですか?」
「ううん、レトロスペクティブ京都って曲ね。ちょっとアレンジしているけど」
「なんか舌咬みそうな名前ですね」

 タイトルはなんだか古臭そうなイメージではあるけれど、横文字は逆に目新しさを想起させる。
 そもそも元の曲すら知らないので、アレンジも何も分からないけど、とにかく聞いてみて、自分がどんなイメージを持つのか、知りたかった。
 だから、私は必然的に願い事が口から出る。

「どんな曲なのか、是非とも聞いてみたいのですが」
「うん、影狼ちゃんならそうくると思ったよ。弁々ちゃんは全パートいけるよね、八橋ちゃんは半パートのみかな」

 それぞれが散って、私は客の位置へ。
 準備を始めるのかなと思っていたら、皆が持っていた楽器を床へと置く。
 演奏できないじゃないんじゃないか、そう思っていたけれど、皆がそれぞれ古来からある楽器を持っていた。弦の無い琵琶と、魔力から成る弦を構える。雷鼓さんはごく普通の太鼓、先程説明してもらったパズドラムと同程度の大きさであるが、叩く個数が減っているので扱いやすいのではないだろうか?

「さて、それじゃあ一曲、新しいメンバーに聞いてもらいますか!」






 その曲は初めて聞いた私にとって衝撃的としか言えなかった。
 前半と後半、曲自体は全く変わってはいないが、みんなの“弾いている楽器”が前半と後半で違うというのは、演奏としてものすごく斬新なものだ。
 前半は琵琶と箏を主旋律として、和太鼓が音を整える。ゆっくりとした曲調で進んでいく音楽は贅沢とでも言うべき雰囲気を醸し出していた。考えてみれば付喪神である三者がこの楽器を使わずに外の楽器を使用している事自体が不可思議だと、今更気付いたりしたのは秘密だ。
 最初からその楽器で演奏すればいいじゃないか、私の疑問は解決されたかに思ったが、考えてみれば尚更に疑問が大きくなる。何故新しい楽器に拘るのか?
 その疑問は演奏によってすぐに解決する事になる。
 前半を終えて、琵琶と箏がゆっくりと曲を終え、そこを受け継いだのが和太鼓ではなく雷鼓さんのドラム、そして曲調は一気に加速してギターの音が加わる。本来なら八橋さんのベースも加わっていくのだろう。
 先程聞いた優雅なる音楽は、聞き手にビートを刻ませる心地良いテンポの音楽に様変わり。本質的には同じ物であると私も認識はしているけれど、音から受け取るイメージはまるで正反対になっている。
 ゆっくりと噛みしめるようなサビが、二番では全速で駆け抜けるようなサビへ。雷鼓さんのアップテンポのままに旋律は刻まれ、二つの音が混じり合う。
 確かに前半に比べれば音の一つ一つが軽い。けど、それはベースと声、二つのパーツが抜けているから。雷鼓さんや弁々さんが言っていた完成品になり得ない演奏、という意味を私も理解できた気がした。
 だから、期待してしまうんだ。この音楽に更なる伸びしろがあるということに。そして、自分がこの曲を上手く歌えたら絶対に気持ちが良いだろうと。
 気がついたら、音楽は終わっていた。詳細を色々と聞き逃した気分になっている自分。
 音楽に飲み込まれてしまっていたんだ。恥ずかしさを隠す言葉すら、上手くは紡げなかった。

「すごい……です。なんか、言葉が出ないです。これ完成したら、めちゃくちゃ格好良いと思います」
「影狼ちゃんが更に格好良くしてくれると思うと、私も期待しちゃう」
「……私、期待されて伸びるタイプじゃないんですが」

 でも、嫌いじゃない。
 自分が気に入った曲に自分の色を入れることができるのだ。そう思うと重圧でもあり変えがたいまでの喜びでもある。
 問題は装飾者に才能が無いと思われる事くらいか。

「誰がこの曲作ったんですか?」
「外から流れてきた曲なのよね。アレンジしたのは弁々ちゃん、ところにより私と八橋ちゃん。作詞は外の偉い人かな。歌詞渡しておくね」

 渡された文字の羅列を見ていくと、どうやら恋仲を歌ったこっ恥ずかしい歌詞ではなく、少しだけ安心した私。
 声に出して呟いてみると、たとえ愛なるものを語っていなくても、恥ずかしいのには変わりがなかった。

「影狼ちゃん、すっごく難しい顔しているけど」

 難しい顔で歌っているヴォーカルなどいないだろうから、今歌ったとしたても満足できる出来栄えにはならないだろう。まあ、最初から完璧にこなせるような才能を私が所有しているわけも無い。
 歌わされるのではなく歌う。まずはそこまで持っていくのが当分の目標になりそうだ。

「あの、また演奏してもらっていいですか。曲が無いと歌詞のイメージも湧かなくて」
「了解了解。私達の練習にもなるからね。弁々ちゃんもいい?」
「断る理由が無いよ」



 この日から、歌のことしか考えない二週間が始まった。
 特に何も考えることも無く生きていた私にとって、未来の何かについて考えるのはいつぶりになるのだろうか?
 考えるべき何かがあることは幸せ。そして、一緒に考えられる誰かがいることも幸せ。
 忘れていた感情に少しずつ、色が灯り始める。
 そんな始まりの一日だった。

























(3)

 妖怪の多くは夜型の生活を送る。
 私も例外ではなく、月が出てから活動し始めるのが狼の習性である。
 しかし、メンバーの皆はそうでもないらしく、加えて演奏する場所が人里、という事もあって、生活リズムの修正が余儀なくされている。そして、それは簡単に変えられるようなものではなかった、今更ながらそう感じている自分がここにいる。
 とにかく夜に眠れない。生活にメスを入れたからだけでなく、寝ている時間すら惜しい、睡眠を歌う練習に当てたいと思ってしまう自分がいる為、ベッドで横になっても意識は中々途絶えずに、ぼやくように歌詞を呟きながら意図的に寝返りを打つ日々がここ二、三日続いていた。
 眠れないものは仕方がない、ベッドの上でボーっとしていることこそ時間の無駄だ。というわけで、残された時間が多くない私はその時間を練習に当てている。
 日が出ている時間は雷鼓さんの家に赴き、マイクを握り締めて、未だに聞き慣れない自分の声をスピーカーから聞いて、下手糞さに幻滅。そして夜には、私の多くはいない友達であるわかさぎに声出しのレッスンを受けている。
 最初に彼女に依頼を打ち明けた時、予想はしていたけれど凄く驚かれた。
 二週間コースでお願い、と言ったら更に驚かれたのは言うまでもない。

「これまたなんで急に?」
「いやさ、前から音楽聞くの好きだから興味があったというかさ……」
「……目線を宙に逸らしながら理由を言われても、全く信用できないんだけど」
「理由さ、言わなきゃ……ダメ?」
「言えない理由なの?」
「まだ踏ん切りがつかないというか、何というか……」
「歯切れが悪い影狼さんって珍しいかも。まあ、理由は何であれ、友達の頼みを無下にはしないよ」

 彼女は典型的な押しに弱いタイプで、加えてお人好し。断られる理由が存在しないと内心で感じていた自分は、彼女と異なり醜い畜生である。
 歌唱の基本どころか何が基本なのかも分かっていない私の最初の取り組みは、発音の練習であった。
 歌う際に喉を痛めない事が何よりも重要であると語るわかさぎの講義を軽く流しつつ、声の出し方や呼吸法を学び、実践してみたり。
 褒めてばかりの先生なので、上手くなっている実感は湧かないし、そもそも上達を自分で認識できる類のものじゃない。割り切って練習に取り組もう、なんて心で思うのだけは簡単。実際は焦りから必死に目を逸らしているだけだった。

「影狼さん。なんか怖い顔している」

 休憩時間にわかさぎにそんな突っ込みを受けるのも多々。
 難しい顔をした所で良い方向に物事が進むわけではないのに、脳が暇があるなら考えろと命令を下す。堂々巡りの行き詰まり、馬鹿なのだから答えに辿り着くこともない。
 何故不安が身体から拭い切れないのか、それはもう一つの練習で現実を見せられるからである。
 ヴォーカルになったあの日から既に五日が経過しているが、自分の何かが変わったのかと言われれば、私はノーと答えるだろう。いつもと反対の決断をしたからといって、劇的な変化など無い。
 雷鼓さんや弁々さんもいい意味で変化は無かった。
 いつ叩いてもらっても、雷鼓さんの演奏には高揚感があってすごいし、いつ弾いてもらっても弁々さんの演奏は完璧だった。なのに互いに満足は全くしていない。だからこそ、私からは二人が程遠い場所にいるように見えてしまうのだ。
 ああでもないこうでもないと言っていても、私には“完成品”を弄り回しているようにしか見えなかった。
 結果的に私が一番気苦労無く接する事ができるのは八橋であった。私と彼女は二人よりも倍の練習が必要で、故に話す機会も多くなる。打ち解けられる相手が早くから見つかったのは私にとって良い事なのだろう。
 思考錯誤が続く中、私は今日も歌う為に家から出た。






「いない時にも入れるように合鍵、渡しておくね。いつでも練習しに来ていいから」

 完全に信用されてしまっているのか、雷鼓さんはスペアキーを私に渡している。理由から察するに九十九姉妹もきっと持っているのだろう。
 管理が杜撰なだけなのか、悪用されてもなんとかできる自信があるのか? まあ、私には練習する為以外の使い道は思い浮かばないけど。
 そんな合鍵を使う機会は意外にも多い。レッスンが終わっても寝られないから、地下のホールに籠ってわかさぎから教えてもらった声出しや発声練習をしてみたり、歌詞を音読してみたり、残っているメンバーに演奏を頼んで合わせてみたり、やれることをしている。

「練習熱心なのはいいけど、ちゃんと休むのも忘れない事。本番前に倒れちゃったら、元も子もないんだから。それにね、たまには喉を休ませないと」

 などと、雷鼓さんに注意されたりするけど、残念ながら私の嗄れた声は休ませて綺麗になるものではない。何度歌っても声が変わったりしないのは、私のヴォーカルとしての数少ない利点に挙げられるんじゃないかと思う。
 いつものように鍵を差し込み扉を開ける。雷鼓さんはいてもいなくてもきっちり鍵を掛ける幻想郷民らしからぬセキュリティの気質を持っている。商売道具であり、自分自身でもある楽器を盗まれる事が彼女の念頭に置かれているのかもしれない。
 階段を下っていくと、いつのまにか聞き慣れてしまったベースのお腹を叩く音が、ドア越しに漏れてくる。ちょっと前まではぎこちなかった演奏も、今はもう形として出来つつある。私と八橋さんの持つ才能の差、というやつだろうか?
 私は二番目の到着だったらしく、八橋以外に誰もいない。特に雷鼓さんは熱意の割には登場が遅かったり、姿を見せなかったりする。いる時にはいつも気を使って貰っているから、逆にこっちが疲れちゃったり。
 練習に出られないのは、演奏以外の手続きとかしていて忙しいからだと、私は推測している。

「あっ、影ちゃんおはよ」
「朝から熱心ね」
「なんかベースの音聞いてないと最近落ち着かないんだよね。病気かも」

 えへへと笑って見せるその顔が彼女のデフォルトである。
 八橋の演奏は情熱的な雷鼓さんや、緻密さを見せる弁々さんとは違う。いつもと同じようにマイペースで、低音をしっかりと刻んでいくスタイルだ。
 そして、メンバーの誰よりも楽しそうに弾いている。弾ける笑顔はきっとステージ上でも輝くに違いない。
 対して私は八橋に言わせると「表情が固すぎ」らしい。それは自分でも分かっているんだけれど、今はまだリラックスして歌える段階に無いので、私には少し高い要求だ。
 流石にもう歌詞は覚えているから、次のステップを上らなきゃいけないとは思う。でも、私にはその階段がいまいち不透明であり、見えていない。練習をしても上手くなっているという実感が持てないのが何よりも辛い所。
 わかさぎに教えてもらった歌う前の声出しを行っていると、八橋が手を止めた。

「影ちゃん、顔だけで真剣なのが伝わってくるよ」
「真面目とは程遠い生活をしてきたんだけどね」
「こっちも身が引き締まるね」
「肩肘張らずにやりたいんだけど、どうもうまくかなくて」

 普段の会話の声も歌に繋がる何かがあるかもしれない、なんて声の一つ一つを探ってみたけれど、結局切っ掛け一つ見つからず。上手く物事を行えるような器用さは、生憎私は持ち合わせていない。
 簡単に上手くなれるわけがないんだから、一歩一歩、地味でもいいから登っていければそれでいいんだけど、それすら難しいとは。
 今、自分が本当に登っているのかどうかすら不明だし。
 なんて練習中に時々おしゃべりをしていると、八橋の姉である弁々さんが到着。遅れてごめんといった具合に登場する雷鼓さんも、いずれは見られるだろう。
 私にとって、弁々さんが来てからが練習の本番だ。曲の演奏を完璧にこなしてくれて、主旋律をギターで奏でてくれる。だから、曲に合わせで練習する場合、弁々さんに付き合ってもらう事が一番多い。
 そして、いつもあまり上機嫌には見えない弁々さんも、私の練習に文句一つ言う事無く付き合ってくれるし、気がついた点を指摘してくれる。私にしてみれば、全てが貴重なアドバイスだ。
 弁々さんは恐らくだけど、ヴォーカルという点からではなく、どうすれば自分が理想とする音楽になるのかという点から、私の声を見ている。覆い隠したりしないだけでなく、背伸びしない言い分故に、彼女の言葉は常に的確だ。
 いつものように伴奏の依頼をして、いつものように承ってくれる。私にとっては嬉しい事。
 演奏してもらえるのが当たり前、と思わないようにはしたいと思う。
 そんな彼女からの最近の指摘事項を思い浮かべると、私の頭の中に嫌な懸念が生まれて、少しずつ少しずつ、それが頭を侵食し始めている。
 そう、狼としての懸念。
 晴れの空の遠くに見える入道雲みたいな、嫌な懸念。

「準備はいつでも出来ている。貴方が合図したら始めるよ。最初からでいい?」
「はい、最初からで」
「全部ギターでいいかしら? 私も琵琶より、こっちで練習したいから」
「全然構わないです」

 このやりとりはいつも通りである。几帳面に何度も問いかけてくる弁々さんがただ優しいのか、まだ他人行儀なのか、私は測りかねている。
 声出しも行い、道具はマイクだけ。下準備が殆どいらないのが、ヴォーカルの利点である。
 ちょっぴりの恥ずかしさを我慢して合図を送ると、弁々さんの前奏が始まった。





 こうやって歌っていると自分でも分かってしまう。自分が狼の血を引く故に、感情の制御が伴っていない事を。
 単に私が未熟だからこうなってしまうのだ。分かっている、分かっているからといって改善できないから余計に苛立つ。そして、それが声に乗ってしまうのだ。
 違う。理想を追求するどころか、いつもの下手糞な歌い方さえできていない。負のスパイラルの中でもがいている私は、きっと傍から見ても惨めなのだろう。
 駄目だ、そう思ったら喉が勝手に歌う事を止めていた。
 弁々さんがふぅ、と溜息に近い息を漏らす。音の一つ一つに拘りを持っている彼女なら、私以上に今の凄惨さが分かっている筈だ。

「……きっと貴方も分かっているのよね。自分で歌うのをやめるんだからさ」
「……はい」

 抑揚はいつもと変わらない。私からしてみればいつも不機嫌に見えるから、彼女のその声が威圧的なものかどうかさえ、判断はできない。でも、機嫌が良い方向に向いているわけがないのは明らかだ。
 前も言ったけど、と注釈を入れた上での言葉。その時点で、私には心当たりがあった。

「最近の貴方の歌い方、声がさ、ちょっと棘がついているというか、なんか歌い方が攻撃的というか」
「もっと……、はっきり言ってもらって結構です。感情を貯め込んでいても、お互いストレスになるだけだと思うので」

 自分が喧嘩腰な言葉を発しているのが分かる。きっと、今の私の目つきは全てを下賤な肉と見る狼のそれだ。
 生まれてきた苛立ちを、練習に付き合ってくれている相手にぶつけようとしている。
 最低な行為だ。なのに、一度高ぶった感情は押さえられない。
 畜生の体内システムは極めて単純に出来ているんだ。感情の赴くままに暴れる、それが正しいと刻みこまれている。実に肉食獣らしい。
 せめてもの救いは私の威圧に対して、彼女が真っ向からむかってきてくれたことくらい。自分は間違っていない、そう思っているから彼女は引いたりはしない。

「ただ自分よがりに乱暴に歌えばいいってものじゃない。こう言ったら分かりやすい? これで貴方も満足?」

 やっぱり弁々さんの言葉はストレートだ。伝えたい気持ちが飾り気無く相手へとぶつけられる。そして、私の懸念というものは、やはりまやかしではなかった。
 まだ“丸い月”が出ていないのに、コレが始まってしまう。だから、私は孤独であり、孤独でいるべきだったのだろう。
 まあ、バイオリズムがきっちりと決められているだけマシと考えるべきなのかもしれない。
 睨み合うようにお互いの顔を見ている私達を心配そうな顔で見ているのは八橋、こういう時に丁度雷鼓さんがいなかったのも、私の持っている運の悪さか。

「そうですね。私はやっぱり、自分よがりな妖怪なんです。誰かに合わせられるような器用な生き方はきっとできないんでしょうね」
「……もう言い訳と泣き言? 呆れる」
「姉さんも影ちゃんも一回、落ち着いて……」

 寒いくらいに冷たい身体と頭、これで落ち着いていないほうがおかしい。
 そう、私は今まで音楽という麻薬に飲み込まれていたんだ。あの熱が一匹狼を狂わせていた。
 冷静になる為の手段、それを私は知っている。誰もいない場所で一人頭を働かせて考える、いつもの日課で、音楽に惑わされていた私が怠っていた事。
 ここに私がいる必要は、ない。

「すいません。具合が悪いので帰ります」
「えっ、ちょっと……影ちゃ……」
「放っておきな、八橋。今は何を言っても無駄、そしてあんたは他人の心配している余裕なんてないよ」

 ドアを丁寧に閉め、二度と開けないかもしれない玄関の扉を開けると、私の嫌いな太陽が真南で燦々と輝いている。直視しなくても、その強い光を放つアレが真ん丸だと分かる。
 嗚呼、宙に浮かぶ丸いものは……嫌いだ。こんなもの見ていても何も楽しく無いのに、どうしてか身体の血が滾り、自身が過剰となり、判断を間違えてしまう。たった今のように。
 今日は満月の夜だ。
 満月は……嫌いだ。毛も伸びるし、嫌な事ばかり思い出すから。














 家に帰ったらそのまま横になって眠ってしまおう、そう考えていたのが六時間前の私である。
 しかし、真に残念ながら一睡もしないままに夜になってしまった。
 夜行性である狼にとっては、昼寝はごく当たり前の生活ではあるが、何故か窓から入ってくる光に慣れてしまった自分がいる。
 練習に熱を入れて皆に生活を合わせていた。だから、必然的に朝起きて夜寝ないリズムになっていたのだ。
 眠くないのは何故だろうか? 感情が高まっていたから? やるべきことをしていないから?
 ずっとベッドの上で天井を見ているけれど、天井はうんともすんとも言わない。そもそも、答えて欲しいとも思っていないけど。
 あの後、雷鼓さんは練習に来たのだろうか? 来たとしたら、誰かが一部始終を話しているだろう。悪いのは間違いなく私で、幻滅されるべきも私。あの場所にいない今でも、一人でいたいと思う自己を正当化する為に、必死で嫌われようとしている自分が醜く感じる。
 暴れたい。脳が詰まっていないから、そんなことでしか怒りを分散できない。
 そしてその結果も何度も経験している。残るのは疲労感と寂寥感だけ。
 まあ、こう頭を巡らせているのも、暴れた結果と大して変わらないけど。
 今日のわかさぎとの練習、どうしよう。
 復帰するつもりがないんだったら、行く必要もないし、レッスンを受ける必要ももうない。
 一人で歌ったところで、熱どころか悲しさくらいしか生まれないだろう。
 歌わなくたって狼は生きていける。そして、静かな世界には慣れている。私はずっとひとりだったのだから。
 悪いけど、サボろう。落ち着いてからお礼参りすればいい。わかさぎは月と同期する私の体調の事情を知っているから、許してもらえる……はず。
 結局は甘え、自分に優しい自分はとても汚く映る。でも、見る者がいなければそれでもいいや。
 無理矢理にでも寝たほうがいい、この結論には既に三回、いやそれ以上に辿り着いている筈なのに、残念ながら目を瞑っても深い暗闇は襲ってこなかった。
 何度だって試みればいい。やることはもうない。
 やることはない、無い。無いのに……、私がこうして身体を起こすのも何度目か。

「あー、アー。あ、え、い、う、え、お、あ、お……」

 最近日課のように唱えてきた言葉の呪文。その効果は私には見えないものでしかないのに、今も口ずさんでしまう。
 大きな声なんて、戦闘中にしか使わない不必要な産物だった。それを褒めてくれる誰かがいたのは、純粋に嬉しかったんだ。
 頑張ろうと思った。みんなの足を引っ張りたくないと思った。ひとりじゃなくて、みんなの力で何かを成し得たいと心から思った。
 でも、駄目だった。そうやって諦めてしまった。
 諦めるくらいだったら最初から関わるべきじゃなかった。壁を作っておくべきだった。ひとりでいる時よりももっともっと深く傷つくから。
 私は痛いのが嫌いで、怖がりな肉食獣。

「ま、め、み、む……め、も、ま、も……っ! うっ……あ……。どう、して」

 何……、やっているんだろう、私。
 声がつっかえて上手く出ていない。声量だって、自慢できるものとは程遠い。
 そもそも、感情で声の出方が変わってしまうのが大問題なのだ。
 こんなんじゃ、雷鼓さんに怒られてしまっても仕方がないだろう。



「家の中でも恥ずかしがっているんじゃ、まだまだだね」
「……えっ?」
「教訓その一、戸締りはきちんとしておいたほうがいいよ。私もそうしているでしょ?」



 少し偉そうだけど、聞いていて落ち着くその声が何故か家の中から聞こえる、というよりもすぐそこから聞こえる。
 嗚呼、そういえば鍵を掛けていなかったな、とは思うけど、少なくとも私の家の場所を教えた覚えはない。
 冷静に考えると恐ろしい事ではあるが、相変わらず楽しそうにしている雷鼓さんを見ていると、そういう感情が自ずと萎んでいく。

「来ちゃった……」
「なんか心が病んでいる恋人みたいなんですけど。そもそも、どうしてここが私の家って知っているんですか」
「わかさぎちゃん、だっけ? 彼女から色々聞いたわ。勝手に詮索してごめん」
「じゃあ、なんでわかさぎの事を?」
「八橋ちゃんに話したでしょ?」

 まあ、来ることができる切っ掛けは、ほんの少しはあったようである。
 かといって、断片的な情報しか無かったのだから、ここまで簡単に来られるとも思えない。
 雷鼓さんの行動力は、私の常識の範疇にはどうやら収まっていないようである。

「よく見つけましたね。わかさぎにしても、この家の場所にしても」
「うん、流石に骨が折れたよ。でも、影狼ちゃんが悩んでいるんだから、無理して誘った身としては待ってなんかいられないでしょ。そもそも、待っていて来なくなっちゃったら、私が後悔するだろうし」

 何をしても後悔ばかりの私とは対照的な思考である。自分に無いものをねだっても仕方ないんだけど。
 とにかく、雷鼓さんは私の家を直接訪れて私の声で説明を聞かない限りは、どうやら納得してくれないようである。
 平気で嘘を付けるほどに、私は器用ではない。だったら、本当のこと、狼のことを話して諦めてもらうのが筋だろう。

「一悶着あったんでしょ? 理由、影狼ちゃんの口から聞かせてもらえるかな?」

 穏やかな口調はいつも通り、演奏をしていない雷鼓さんには誰かを包み込む温かさがある。そんな雰囲気に私は惹かれ、どこかで本来の自分から目を逸らしていたんだろう。
 彼女に正直に話すのは、きっと難しい事ではない。

「狼は満月の夜が近づくと、感情が高ぶるんです。それと私の実力不足が兼ね合って、今はまともに歌う事ができません」
「ここに来る時に満月が見えたよ。うん、丸かった」
「満月は私が一番狼に近い日。そういう日はいつも家に籠っています、自分の感情を制御するので手一杯ですから」
「でも、満月は今日で終わり。これから落ち着いてくるでしょ? 本番は程良い高揚感で丁度良いんじゃない?」

 雷鼓さんとはやっぱり考え方が根本的に違う。
 首を一度横に振って、それは違うよと私は示し、自分という妖怪について語り始める。
 あまり自身を掘り返すのは好きではない。でも、雷鼓さんには本当の私について知ってもらいたい。そう思ったし、彼女には知る権利がある。

「人狼という言葉はご存知ですか? ライカンスロープ、ルー・ガルー、色々な名で呼ばれますが、意味は大体一緒です」
「まあ聞いたことはあるよ。人の姿に紛れ、夜に狼となって人間を捕食する。そんなので合っているかしら?」
「狼人間が卑しいと思われるのは、肉食獣の誇りと呼ばれる狼の血とか弱い人間の血が混ざっていること。正々堂々とした勝負を好まずに、人の身に隠れて人を食らう。同族から見ても手口が汚い。双方に嫌われるべくして生まれた半端者ってわけです」

 だから、私達は嫌われている。ニコニコと笑っていても、その奥で牙を砥いでいると思われているんだ。
 汚いことは否定しないし、否定できない。自分のことは自分が一番良く分かる。
 強くない狼はハイエナのように、弱きを漁りながら生きていく。

「私は忌み嫌われる。人間から畏怖され、妖怪からは指をさされる。そんな私が誰かといた所で、不幸しか呼ばないんです」

 混血はどちらにも属せない、それどころか関係無い妖怪からも陰口を叩かれる。
 私と一緒にいても何の利もないんだ。
 自覚が足りなかった。考えて行動を取るべきだった。壁の先からつい手が出てきたから、興味本位で手を伸ばしてしまったんだ。
 私はずっと後悔したままで、音楽を始めたとしても何も変わっていない。自分の中で虚ろなままに錯覚を起こしていただけ。
 存在自体が迷惑な私に、変化などありえない。

「それが私、今泉影狼という妖怪なんです。だから、私はどこかに所属するべきではなかったんですよ」

 ウェアウルフについて自虐に等しい簡単な説明を終えると、私は一つ重い息を吐いた。
 ゆっくりと話したし、言葉も選べていたと思う。自分が伝えたいことは伝えられた筈だ。
 後は雷鼓さんの返答を待つだけ。
 彼女は一旦考えるようなしぐさを見せた後で、たった一言だけ発した。

「でっ?」
「……えっ?」

 予想外の短い回答に思わず聞き返してしまったが、同じ言葉は返ってこなかった。

「状況とか影狼ちゃんの事も分かった事だし、じゃあ練習に戻ろうか。説明もしてもらわないと誤解も解けないし」
「話を聞いていたんですか!? 私は人と狼の混血で、それに今は満月……」
「そんなのさ、私には知ったことないわ。迷信は迷信、信じるも信じないも個の自由だし、信じている者について私がとやかく言う権利はない。そして、私が影狼ちゃんに出会ってから持った印象に対しても、誰かに、影狼ちゃん自身にもとやかく言われる筋合いなんて無いわ。言い伝えや素性なんてどうでもいい。今、目の前にいる貴方が私の知る今泉影狼という妖怪の回答。難しい事なんて何一つ無い、それでいいじゃない」

 雷鼓さんは怒っていた、私が分かるくらいに。
 それでも、相手に不快感や警戒感を与えるような強い口調ではなかった。
 私を見ている目だけが、この身体を強く拘束している。

「そもそも、自分の価値を自分で語っちゃ駄目だし、自分自身を否定して欲しくない。自分で自分を傷つけている姿を見ていると、私も辛くなっちゃうから」
「私はありのままの事実を!」
「寂しそうな目、してるよ。影狼ちゃんには似合わない」

 姉に諭されている妹とはこういう気分なのだろうか?
 自分には妹も姉もいない、なのに雷鼓さんの言葉はずっと一緒にいたような温かさがあった。
 私の目をしっかりと見て、よく聞いてねと目線で訴えかける。
 私は口まで金縛りにあったかのように、ただただ聞き入るしかなかった。

「私は付喪神で貴方は人狼、確かに種族は違う。でも、会話は通じるし、音楽は聞くし、演奏は好きだし、今のように一緒にバンドだってできる。だから、私にとってはそんな違いは些細な事」

 自分と違う所を見る者と同じ所を見られる者、雷鼓さんは後者だと思う。
 きっとそう考えられることは幸せ、私の手にないから尚輝いてみえる。

「貴方は今まで私や九十九姉妹を襲った? 違うでしょ?」

 一つ一つ、私について思い出すように、彼女は私の言葉を否定していく。
 雁字搦めの繭に包まっている糸の一本一本を解いていく。
 あの時もそうだった。強引に見えるかもしれないけれど、私の手を掴んで舞台に上げてくれた。
 そんな魅力に私は憧れを持っていたんだ。

「練習もしっかりしているし、上手くなりたいという向上心だって、影狼ちゃんは持っている」
「でも自分が上手くなっているなんて思えない! 自分の感情さえ制御できず、足を引っ張っているまま……」
「私だってもどかしいよ。頑張っている仲間に対して的確なアドバイスもできず、影狼ちゃんが苦しんでいても力になれないまま。そう、これは私の問題でもあるわ。大いに反省しなきゃいけない」

 私の痛みを分かち合おうとしている雷鼓さんが目の前にいる。
 自分の苦しみを別とせず、一緒に考えてくれようとしている。
 そんな真っ直ぐすぎる善意が私の身を焦がすのだ。雷鼓さんを見ていると、どうしても卑怯な自分と比較してしまうから。
 根本的且つ決定的な本質の違いがある。だからこそ、私は彼女を羨ましく思っている。

「やっぱり……、私は最低です。雷鼓さんのこと、最初から信じていなかった。信じようともしていなかった」

 彼女と比べると、浅はかで思慮に欠ける自分の姿がどうしても頭から離れない。
 愚か者が愚かな行為で目線を集めようとしているのと同じ、見ていて気分を害する行為。
 私はやはり、ヴォーカルに相応しくないし、雷鼓さんと一緒にいるのさえおぞましい存在。

「影狼ちゃんは、何故歌う練習をするのかな?」

 なのに、なのに何故、この人は私へと手を再び、必死に伸ばそうとするのだろう?

「上手くなりたいから? 本番を成功させたいから? 単純に歌うのが好きだから? 周りに迷惑を掛けたくないから? 理由や気持ちはね、自分の行動と共に変わっていくもの。最初は演奏が下手かもしれないけど、上手くなっていってもっと演奏が好きになる、とかね」

 バンドの人手が足りないから? 後で騙そうとしているから? そんな理由じゃないのは分かっている。

「私だって最初は貴方について何も知らなかったし、それはお互い様。でもさ、一緒に練習したり話したりする過程を経て影狼ちゃんを知り、そして私は今、影狼ちゃんを信じている。だからさ、過去や過程なんて関係ない。私を信じてくれている、真っ直ぐに私の目を見てくれている影狼ちゃんが今ここにいるなら、私はそれでいい」

 だって、私は雷鼓さんという妖怪を知っているから。
 簡単、彼女の言うように本当に簡単だったんだ。
 簡単だけど面と向かって簡単だと言ってくれたからこそ、私はそう認められたのだと思う。
 涙が出てしまったのは、私の存在を認めてもらった嬉しさだろうか、それとも自分が認められているのに気が付けなかった悔しさからだろうか。
 私が卑屈になればなるほどに、彼女はもっと大きく包み込んでくれる。ある種の我慢比べみたいになっているけれど、勝負は最初から決まっていたんだ。だって、私は自分で思っている以上に誰かからの優しさに飢えていたから。
 涙が止まらない。止まるわけがない。孤独ではないと分かったから。
 雷鼓さんの腕が私を包み込む。抱きしめられて、雷鼓さんの温かさを知る。
 私の頭を撫でながら、雷鼓さんは優しい声で呟いた。

「大丈夫。私はちゃんと見ているから」











 泣きじゃくったせいか、落ち着きを取り戻すまでずっと雷鼓さんの手を煩わせてしまった。
 恥ずかしさと自分の情けなさに気が付き始めたのだから、少しは冷静さを取り戻したのだろう。そう思いたい。

「すいません。もう……色々と」
「少し楽になった?」
「はい」
「だったら気にしなくていいよ。影狼ちゃんの力になれたなら、それが私にとって何よりの収穫だから」

 とはいっても、服も涙とか色々でぐしゃぐしゃである。それを見ると、申し訳無さしか浮かばない。
 浮かばないのに、雷鼓さんは全く気にしていないようである。

「それにしても、今日はなんか歌詞よりも数倍、恥ずかしい事を言った気がするなぁ」
「……多分、言っていました」
「いや、ここは否定して欲しかったんだけど」

 えへへ、と照れ笑いを浮かべながら突っ込みを入れる雷鼓さんは、いつも通りの“可愛いお姉さん”に戻っていた。
 芯がしっかりしているのは、私の心が受け取った言葉で分かる。でも、普段からそんな姿をずっと見せているわけではないのだから、誰にでも分かる事ではない。
 私が知った彼女の特別な姿、そんな些細な事が嬉しかった。

「暫くはマイナス思考禁止ね。もし口にしたら、すぐ私が注意しちゃうんだからね」
「えっと、善処はしてみます……」
「わかさぎちゃんもこんなことを言っていたよ。“影狼ちゃんは悪い方悪い方に考えちゃったり、自分で全部背負い込んじゃったりするけど、本当はいつもみんなのことを考えているいい子なんです。私からもどうかお願いします”、だって」
「私は愛娘か」
「ふふっ、いい友達が貴方にはいる。狼の孤独、そんなのは貴方の妄想でしかないっていう何よりの証拠」

 嬉しそうに言う雷鼓さんは、まるで私の気持ちを共有しているようである。
 私を知ってもらい、そして認めてくれたと分かったからこそ、この暖かさが理解できる。
 とはいっても、しんみりとしてはいられないのが実情である。

「さっ、繰り返しになるけどさ、練習に戻るよ。時間は有限、上手くなりたければ練習あるのみ」

 時間を確認してみると、日課と化しているわかさぎのレッスンの時間からはもう15分ほど経っている。お咎めを受けるかもしれないけれど、まだなんとかフォローが効きそうなロスではある。
 だったら、今私がやれることは一つだ。迷っている暇さえ惜しい。

「えっと……私、行ってきます!」
「わかさぎちゃんには影狼ちゃんが弱音を吐けないくらいに、ビリッビリッ、しごいてもらわないとね」
「……怖いわー」

 ドラマー怖いわー。













 迷惑を掛けたと思ったら謝る、それは時を置かずに行うほど良いのは言うまでもない。
 それは当然私にも当てはまるし、そうすべきだと思っている。
 でも、言うは安しであり、正直、心は重い。相手が自分をどう思っているかが分からないから。
 「ごめんなさい」という六文字は、口にできないような重い言葉ではない筈なのに。
 なんて具合に昨日受け取ったポジティブはどこえやら、軽い睡眠で吹き飛んでしまったのだろうか?
 まあ、足は自然と雷鼓さんの家に向かってはいるけど。
 弁々さん、きっと怒っているんだろうなぁ。
 いつもよりも早めに出て、いつもより幾分早く着く。
 弁々さんは流石に着いてはいないだろうけど、八橋はいるかも。彼女に上手くフォローを入れてもらえればいいんだけど、と早々に弱気である。
 何の躊躇いもなく入ると、低いベースの音ではなく、リズミカルな弦の音が耳へと入ってきた。こんな演奏ができるのは、弁々さんしかいない。そして、ベースの音が入ってこないということは、頼みの綱に勝手にしていた八橋はまだ来ていないのかもしれない。
 気まずい。そう思っていても進まないし、そもそも始まらない。
 私が全面的に悪いのは把握している。つまりは最初から死に体みたいなものなのだから、先手必勝で謝ろう。
 今までにないくらいにドタドタと物音を立てて階段を下りていたと思う。良く分からない気合が私の体を支配していたのだろう。
 ドアノブを開け弁々さんを確認した後、即座に頭を下げた。

「昨日は申し訳ありませんでした!」

 口にできたのはいいものの……、相手から反応がない。
 少しの間を経た後に恐る恐る頭を上げると、普段からポーカーフェイスである弁々さんが珍しく目を丸くしていた。そして、ふぅ、と一息。
 どうやら弁々さんも私に言いたいことがあるらしい。
 いつもはつい目線をそらしてしまうくらいにきつい目つきなのに、今日はなんだか穏やかな気がする。気がするだけで根拠はまるでないけど。

「早く来たんだけど、これじゃあまるで無駄足になっちゃったみたい」
「えっ? えーと……」
「私も貴方に謝らなければならない。気が回らなくてごめんなさい」

 何故か謝られた、意味が良く分からない。
 昨日の出来事を思い返しても、弁々さんには非は無い筈。
 だったら、どうして? 私はそのまま疑問を口にしていた。

「私が昨日、口にした言葉はあまりに自分勝手だった」
「それは単に私が売り言葉を投げたから」
「貴方の言葉を聞いてイライラした思いを口にできる、そうやって他者のせいにしようとする自分がいたわ。だから、貴方が思っている以上に私は汚い思いを吐露していた。加えて自分は悪くないと思い込んで、正当化しようとしていた」

 私の中では自分が悪い事をして、弁々さんに申し訳ない、と結論がついているのだが、どうやら弁々さんも私と似た気持ちを持っているらしい。
 更に言えば、昨日と今日で考えを改める何かがあったから、謝っているのだ。心変わりがなければ、正当化とやらは続いている筈。
 昨日を思い返すように、弁々さんは私がいなくなったこの場所での出来事を説明する。

「昨日、貴方がいなくなってから暫くして雷鼓さんが来たわ。“空気が重いよ、何かあったの?”ってね。八橋の説明を聞いた後で、すぐに外に出ていってしまったわ。放っておけばいいじゃない、軽い気持ちで呟いた私の言葉に激しく反論したのは八橋だったわ。姉さんは上手くできるから、私達のもどかしい気持ちは分からない、ってね」
「八橋が?」
「八橋って普段はのほほんとしているマイペースな子だけど、本質が何であるのか見抜く目を持っているからいつも驚かされるの。細かい場所に気がつかないままに大きなミスを犯す私とは似ても似つかないわ」

 その後は、怒り心頭だった八橋の独壇場だったらしい。
 怒ったりするイメージのない八橋がポーカーフェイスの弁々さんを叱りつけるイメージは全く湧かない。少し見てみたかった気もする。
 そんな中で八橋は、一つ断言してみせた。

「八橋は言っていたよ。“影ちゃんは歌が好きだから絶対帰ってくる、諦めたりしない”って」
「……そうですか」
「私は半信半疑だったけど、今更分かった。私は貴方に勝手なイメージを持って、それを押し付けていた。演奏にしても、今泉影狼という妖怪に対しても、ね。だから、私は貴方に謝る必要があった」
「そんなの誰だって同じですよ。分からない部分は勝手な自己のイメージで補填するしかないんですから」

 昨日の弁々さんを肯定してみせると、彼女の顔色が少し変わった。
 これは所謂失言というやつだろう。再びの私の心無い言葉に気分を害してしまった、そう考えていた。
 だが、これは私がただ地雷を踏んだに過ぎなかった。

「一つだけ、まだ納得できていない部分がある。貴方はわざと自分の色々な部分を隠そうとしている。昨日もそう、上手く声が出せていなかった時、出て行った時、貴方はその原因を理解しているように見えた。違う?」
「気のせい、ですよ」
「私は分からない部分を補填して、間違えた。だから今度は別の手段を取りたいと思っている。貴方が良ければだけど、話してくれないかしら?」

 昨日とまるっきり同じ。まだ八橋は来ていないから、きっとこの話はもう一回しなきゃいけない気がする。
 自分について話すのは気軽に話せるわけではないけれど、知りたいと思ってくれている誰かがいるのは悪いことじゃない。昨日教えてもらったから。
 私と弁々さん、それぞれ相手は違うけれど、昨日はお互いに災難であり、学ぶことがあったようである。
 昨日雷鼓さんに話したように、ウェアウルフなるものについて説明する。マイナス点しか口にできなかった昨日とは違い、主観が大きく抜けている。少しだけ自分というものに自信が持てるようになった証拠なのかも。
 話し終えた後にも苦々しい感情もなく、相手の様子を伺う余裕もあった。昨日みたいに最初から諦めている自分ではない。でも、昨日みたいにそうそう上手く事が運ぶわけでもない。

「なんかさ、私、怒り損してない?」
「うっ……」
「何で隠していたのかしら? 一言いってもらえればさ、お互いに妙な空気にはならなかったと思うし」
「……すいません」
「ふふっ、なんて、冗談よ。貴方が考えて言わないという結論を出したんだからそれでいい。今、こうして話してくれたんだからさ。ということで、この件はお互い反省、ってことでいいかしら?」
「そう言ってもらえると幸いです」

 目を逸らすのはやめよう。
 私は今泉影狼。それは変わらないし変えられない事実。
 だからといって、人狼として生まれた自分に落胆することはない。変えられる場所だってあるし、変わっていっていると言ってくれる誰かがいる。
 きっとそれは、私にとって幸せな事、なんだと思う。

「ということで、調子が戻ってきたら声掛けて頂戴、いつでも付き合ってあげる。貴方が上手くなるのは貴方だけじゃない、私にとっても重要なの。それだけは忘れないで欲しい」
「はい、頑張ります!」

 気合が空回りしがちな私だけど、そんな私を助けてくれる誰かがいる。
 いずれ、自分で出来るように。そして、自分が助けてあげられるように、私は今日も拙いながらも歌を歌う。






















(4)

 鶴の一声は大体、雷鼓さんから発せられる。私が一緒に練習してきた中で見出した法則である。

「よし、ライブに向けて合宿をしよう!」
「どこで?」
「ここで」

 いつもと変わりがないじゃん、という突っ込みは私の代わりに弁々さんが行ってくれた。共通認識ということである。
 変化点と言えるのは泊まり込みで練習という一点であり、主に練習以外の部分で緊張を覚えそうである。

「いつから?」
「明日、明後日。ライブまで時間無いし」

 即興もいい所だ。





 そんな適当に決まって適当に始まった今日の合宿であるが、私の意向もあり、いつもとは違う練習の始まりとなっている。
 もっと正確に言えば、練習は始まっていない。

「あんまりドラムに興味持っているとは思わなかったけどねぇ」
「……弾こうとは思っていませんよ」

 ドラムの前に立つ私、そしてシンバルを布で磨きながら物珍しそうに私を見る雷鼓さん。 どうしてこうなっているかというと、興味本位でしかない一言から始まっている。

「ドラムについてもっと知りたい?」
「はい」
「その意図は? 歌うより別の演奏がしたくなった、とか? それは困りごとというか」
「いや、そういうんじゃなくて、単純に知りたいなと思ったんです。実はベースとギターについては、二人から色々説明を聞いていたりします」

 まあ八橋は自分の楽器について、まだよく分かっていないみたいだけど。
 楽器を弾いてみたいという気持ちがゼロかというと、そうではない。演奏している格好良い姿をこう間近で見せられると、私もいつかは、なんて気持ちを持ってしまうものだ。当然、演奏できるかどうかは別だけど。
 そして、自分がどんな楽器に合わせて歌っているのか知る事は、決してマイナスではない筈。まあ、そんな暇あったら練習しろよ、などと言われようものなら、超正論ですねと言うしかないけど。
 そんな不安を持っているのは私だけ。自己責任というやつ、なのかもしれない。

「別に私は構わないよ。今見ての通りメンテ中だし、無言で黙々とやるよりは話し相手がいたほうが楽しいし」

 無茶なお願いでもなかったからか、快く了承を頂けた。謎の楽器であるドラムを解明していくにはいい機会、いまのうちに頭の中にある疑問を整理しておこう。
 まず初めに、雷鼓さんは手に持っている道具を私に手渡しした。それは見た目通り木製であり、重さは殆ど無い。これからあのお腹に響く音が鳴ると思うと、不思議なものである。

「別に撥でもいいけど、私は撥だと太鼓用のものを想像してしまうから、ドラムスティックって呼んでいるよ。シャレてるでしょ?」
「個人的には、撥は撥の良さがあると思いますけど」
「いや、ここは素直に同意しておいてよ。何となくさ」

 さて、メンテ中の太鼓達に囲まれて雷鼓さんはご満悦とでも言ったところか、白い布で丁寧に楽器を拭く姿にも熱が感じられる。
 ギターやベースに比べて、ドラムの音の鳴る構造は単純なものだ。物を叩く際に生じる音を利用しているのだから。
 けれど、その単純な原理とは裏腹に、パーツの量は他の楽器の比ではない。そもそも一人で持ち運べるようなシロモノではない。
 ライブの準備も大変なんじゃないか、と今更に思う。

「これって解体して運ぶんですよね? 大変ですよね、きっと」
「ひとりで運ぶと流石に大変。でも、今回は影狼ちゃんがいるし」
「あっ、それは自信あるかもです」

 雷鼓さんがふふっ、と笑って見せる。悪い気はしない。
 ドラムの中で一番存在感を示しているのは、やはり足元に設置されている一組の大きな太鼓である。雷鼓さんの顔よりも幾分大きいその二つの道具は、ドラムスティックではなく専用の撥で叩かれると、最初にこの場所に来た時に聞いた。

「影狼ちゃんはおさらいになっちゃうけど、これがバスドラム。足で叩くタイプね。バスドラムを叩く撥はドラムスティックと形も名前も違い、マレットなんて呼ばれているわ。ゴツいでしょ?」
「二つあるから、ツーバス、でしたよね?」
「その通り。演奏中は両足共にバタバタ動かしていないと落ち着かないから、私はツーバスを使っているのよねぇ。身体全体でリズムを作り出すのは、ドラム特有の特徴ね」

 彼女が試運転の為にペダルを踏むと、お腹へと響く低音がドンドンと鳴り響く。近くで聞くとこんなにも大きな音なのに、演奏の際にはその音は音楽の中で見事に居場所を見つけている。音というものは不思議なもので、個々の性質は重ね合わせ変化する、だからこそ無限の可能性を感じる。
 足で叩くものはそのツーバスと呼ばれている物だけであり、手で叩くタイプの太鼓は雷鼓さんの手前180度強、所狭しと並んでいる。
 それぞれに名称があるらしく、トムトム、スネア、ロートトムなど聞き慣れない名前が続いている。太鼓の大きさと音に関係があるようで、大きい程低音で響く。
 真面目に説明を聞いているつもりではいたのだが、どうやら雷鼓さんにはそうは見えなかったようだ。

「……影狼ちゃん、難しい顔してる」
「えっ、あっ……すいません」
「突っ込んで説明しすぎたかも。見た目も似ているし、混乱するわよね」

 勝手に反省し始める雷鼓さん、それを申し訳なく思う私。私の余計な一言より始まったのだから、リラックスしながら行ってもらえたら幸い。
 少し気まずくなった空気を変えるように、雷鼓さんは楽器の説明でも分かりやすい部分の話題へと変える。

「ドラムの一番の特徴は、ドラムという楽器自体が楽器の集合体であることね」
「太鼓とシンバルの組み合わせ、ですからね。他の楽器とは木と森くらいの違いがあるように思えます」
「木と森、かぁ。面白い表現だね。でもね、この森は演奏者の気分次第でその姿を変える事ができる魔法の森」

 姿を変える? どういうことだろう?
 ドラムの色々な場所を見ながら考えている私を見て、雷鼓さんは笑ってみせた。

「ギターなんかは弦の張り方を弄ったりして遊ぶけど、ドラムは丸々パーツを変える事もできる。これは木ではなく森だからこそできる事ね」
「置く数も実質無制限、なんですよね?」
「制限は確かに無いけど、演奏者の必要スキルは置くほどに上がるわね。腕が10本、20本あったらいいのになぁ、なんて演奏してて時折思ったりする」
「確かにドラムを見ていたらそう思っちゃいますね」

 私からすれば既に雷鼓さんは、演奏時に腕の一本や二本、増えていてもおかしくはないと思っている。あの演奏が手足四本で行われているという事実が未だに信じられない。
 衰えない向上心も含め、雷鼓さんがドラムが好きであると、説明越しに私にも伝わってくる。そんな姿から思い浮かんだ疑問を、何の躊躇いもなく口にする、してしまう。

「雷鼓さんはドラムの付喪神、なんですか?」
「……えっと、それは……」

 困らせるような言葉を伝えたつもりは無かった。あくまでも私の中では、の話であるが。
 でも、歯切れの良い言動を繰り返していた雷鼓さんの言い方が少し影を潜めている。
 どうしていいか分からなくなる、こうなるとつい口からこの言葉が漏れてしまう。私の悪い癖の一つ。

「すいません」
「……えっ、あっ、ごめん。ちょっと考えちゃって」

 出生について何か考えることなんてあるのだろうか?
 もしかしたら、雷鼓さんにとって道具から妖怪になる時に、本人にとってあまり良くない思い出があったのかもしれない。
 気まずいし取り敢えず話題を変えよう。
 変えようと思っていたのに、逃げるような言葉しか出てこなかったのは、私の妖怪としての脳内レベルの低さ故か。

「今日はありがとうございます。私の我儘に付き合ってもらっちゃって」
「……ああ、うん。別に気にしなくていいよ。こういう我儘ならこっちも大歓迎」

 少し歯切れは悪くなってしまったけど、雷鼓さんに気にしている様子は見られない。地雷を踏んだ感覚は、単なる私の思い違い、なのだろうか?
 気分転換のつもりが、新しい懸念を生じさせてしまうあたり、世の中うまくいかないものである。
 気に留めていると、歌に影響が出るかもしれない。私には繊細な感情をコントロールする術を持ち合わせていないのだから、尚更。わからないことを考えてもわからない、そう割り切ってしまったほうがいいと思う。口で言うほど簡単でないけど。
 さあ、練習を始めよう。何かから目を逸らすのに、歌は丁度良い。










 合宿だからといって、やることはいつもと変わりない。
 個々で練習したり、合わせて演奏して感想を言ってみたり、貴重なアドバイスをもらったり……まあ、いつもの練習風景というやつである。とはいっても、いつも帰っていた時間を過ぎても練習が続くあたりは、なんだか気分が高まるものがあった。
 食事を挟んでからも練習、九十九姉妹曰く「素材を生かした料理」なるものに衝撃を受けつつも、なんとか練習に励めた。雷鼓さんの料理は普通に美味しかったし、私の作ったものもそれなりに好評だった。
 そんなこんなで長く密度の濃い一日であったが、いざこうやって布団に入ってみると、短く感じてしまう。私にとってきっと貴重で、楽しい時間だったからだろう。
 とはいえ、本番は刻一刻と迫っている。楽しんでいる場合ではないのかもしれない。
 掛け布団の中に入っているのはいつも通りなのだけれど、目線の先に八橋がいるとなると、なんというか、今日は特別なことを行っているんだなって気分になる。
 そんな彼女、全く目を瞑らずに、何かを求めるかのごとくこっちを見ている。寝ようと努力しているようには少しも見えない。
 私も眠いかというと眠気は全く無い。イベント特有の不眠補正というやつが働いている、というよりも単純に狼の本質がそうさせている気がするが。
 八橋は何故か無言。先に空気に耐えられなくなったのは私である。

「じろじろ見られたら、眠れないから」
「眠そうに見えないよ」
「そっちは眠る気すらないでしょ」
「えへへ、分かる? なんかテンション上がっちゃってさ」

 わかるわかる。私のテンションも変に高いから。
 布団に入りながらこそこそと二人でおしゃべり。合宿なるものの魅力である。
 ちなみに部屋の広さやお布団の面積の関係で、二部屋に2対2で分かれている。私は八橋の強い希望によって、一緒の部屋になった。私自体に要望はなかったけど、彼女がどう思ってこうなったのかは興味がある。

「あのさ、何で私と一緒の部屋に?」
「姉さんとはいつでも話せるから」
「なら、雷鼓さんでもよくない?」
「雷鼓さん、すぐ寝ちゃうんだ」

 それは意外である。私や八橋の数十倍くらいはテンションが高そうなんだけど。
 今日も一番元気に演奏していたのは雷鼓さんだし、そもそもの企画主も雷鼓さんだ。
 その雷鼓さんが真っ先に寝るなんて考えづらいものである。
 まあ、八橋がそう言うんだから、事実なのだろう。
 特に話題が無い場合、必然的に演奏についての話となる。

「ベースはどう? 手にとってから、一週間以上経つよね?」
「そうだね、影ちゃんが来た時と同じだから、一週間はもう過ぎているのかぁ。私、上手くなってるのかな?」
「うん、なってるよ」

 八橋は普通に上手くなっていると思う。ヴォーカルとしてその音をずっと聞いているからこそ、自信を持ってそう答えられる。音の出し方や音の質がどんどん変わってきている。もちろん良い方に。
 弾いている時の表情が特に変わったと思う。ひと前の個人練習の時は、技量に不安を持っている有様が顔にも出てしまっていたけれど、今はもう違う。演奏のみに集中してベースを弾いている八橋の姿は格好いい。
 なんて、恥ずかしくて本人を前にして口にはできないけど。

「私さ。正直、新しい楽器の事を心の中では舐めていたと思う」
「……どういうこと?」
「新しいとはいても、筝と同じ弦楽器だし、楽器生まれである私が扱えないはずがない。姉さんも簡単に扱っているんだから、そうに決まっている。なんて、思っていた。でも、コードとか覚えたりしているうちに、指の正確な動かし方や今までに感じたことのないリズムに不安になって、そして物と対面した時、私の考えは根本から間違っていたとやっと気付いたの」

 私が初めて歌った時を思い返しているんだろう。その時の私は、自分自身の事で精一杯だったから、初めてベースという楽器の音を聞いた八橋の懊悩など知る余地も無かった。
 いつもゆったりと構えているように見えていた八橋も、考えや苦悩は私とあまり変わらないということ。

「でもさ、私、影ちゃんが入って実は少し安心していた。これは私にとっては、悪い意味になると思う。声は格好良かったけど私よりも素人。自分が足手纏いになっても同じような誰かがいる、だから多少下手でもなんとかなるんじゃないか、私だけが悪いんじゃない、って。そんなのさ、自分の演奏の向上には何の関係もないのに、勝手に心の奥底、私の暗い所で支えにしていた」
「……うん」
「でも、影ちゃんと話したり、ひたむきに練習を続ける影ちゃんを見て、そんなマイナス方向な考え方は消えていった。本当だよ。私も影ちゃんに負けないように、もっと上手くなりたいと思えるようになった。練習にひたむきに打ち込めるようになった。だから、影ちゃんは私の希望であり、ライバルなんだ」

 本人を前にして決して簡単に言える事じゃないし、本来は言うべきではないのかもしれない。それでも、八橋は私の前で自分の感情の変異を口にした。だから、絶対に嘘ではないと言える。
 でも、真摯な言葉に対する適切な回答を、私は言葉として得られなかった。
 いや、単なる照れ隠しか。
 私は恥ずかしい台詞を当人の前で言えるほど鍛えられていない。だから、ヴォーカルという役割に苦戦しているのかもしれない。
 一度頷いたその後、正しい言葉を模索しているうちに、口にするべき間を失ってしまった。それでも、八橋は言いたい事が言えたからか、満足そうに見える。
 いつもよりも喋りが滑らかなのも、気のせいではないだろう。
 これも一種の合宿効果だろうか?

「実際に弾いてみて分かったんだけど、ベースってさ、姉さんが扱っているギターよりも、雷鼓さんが叩いているドラムに近いと思う。ベースとギターが似ているのは形だけなんだよね」
「でも、雷鼓さんのドラムって打楽器とは思えないようなリズムを作っているよね。ドラムとギターが近いというか」
「……きっと、それは雷鼓さんが特殊なだけだと思うよ……多分」

 ベースの音は主旋律のギターや、雷鼓さんが重ねるドラムに比べると音は大きくもないし、些か地味なのは否めない。ふたりの自己主張が激しいから尚更にそう聞こえてしまう。
 そんな二人の演奏につい釣られてしまう私であるが、八橋はそうではない。彼女のマイペースは演奏の中でも十二分に発揮され、その音楽がどういう音から出来ているのか、本来どういう曲なのか、それを音として伝えてくれる、いかなる時でも。

「ベースの意味って、基礎、基盤、なんだって。だからさ、私が確実にルート刻んで、曲の元になる音を整えないといけないんだ。地味だけど、私にぴったりな楽器。まあさ、雷鼓さんや姉さんには必要ないのかもしれない。でも、私は私の気持ちを元に演奏するんだ。それはベーシストとしての私の義務で、私もバンドメンバーの一人だから」
「私も困った時はベースの音を聞くようにしているよ。八橋はいつでもブレないから」
「そういってもらえると嬉しいよ」

 私は八橋を頼って歌っていたんだ、口にしてやっと実感が持てる、そして八橋の成長が目覚ましいことも。
 彼女が上手くなるのは、バンドとしては間違いなくいいことだ。なのに、彼女を遠くに感じてしまうのは、先程彼女が口にしていた“暗い所”というやつなのだろうか。
 負けていられないという気持ちより焦りばかりが助長されていく私は、ヴォーカルというものに向き合えているのだろうか?

「やっぱり楽器だからさ、時間があったら色々弄ってみたいなぁ」
「アテがあるの?」
「アンプの他にもエフェクターっていう音を変化させる装置があるんだって。それ挟んだら、一体どんな音になるんだろう? 売っていたら欲しいなぁ」
「今度、香霖堂行ってみる?」
「でも……エフェクターがどんな形しているか、知らないや」
「同じく」

 どうやら保護者無しでは、付属品は買えないようである。
 時間ができたら、二人で雷鼓さんに聞いてみるとしよう。





 布団の中で静かに過ぎていく時間。
 暫くの沈黙の後、八橋が私の顔色を覗き込む目でこっちを見て呟いた。

「……やっぱり不安?」

 私は隠し事が下手である。何に対しても不器用なのだから、致し方無いのかもしれない。
 でも、それが顔に出てしまい、メンバーに即バレてしまうのは、間違いなく問題である。

「影ちゃんはよくやっていると思うよ。歌っている時とかすっごいパワー感じるし、それは影ちゃんにしかできないパフォーマンスだと思う」
「上手くなってる?」
「なってるよ」
「それって、イロハも知らなかった前よりは、でしょ?」
「……ゴメン、正直私では客観的な評価はできない、かも」

 だから、フォローが入っても、その言葉が自分の中で上手く消化できなかった。
 丸っこい目で私を見ている八橋にも、どこかで迷惑をかけていると思うと、心苦しい。
 八橋だけじゃない。ここにいない皆さんにも……なんて頭に過ぎったことさえ、八橋に感知されていたのか、溜息を目の前でつく悪態ぶりである。続いて言われなくたって分かっている言葉。
 考えないようにしているつもりではいるんだけどなぁ。

「影ちゃんは気負い過ぎなんだよ」
「そういう貴方はマイペース過ぎ」

 返す刀で八橋の“良い所”を指摘すると、本人も心当たりがあるのか、えへへと笑った。
 練習あるのみ、そう思って歌ってはいるけれど、本番という雑念がちらつき始めている。それは日時が迫って来るほどに大きくなり、私の背後をつきまとう。私はそれに対抗できる自信をという武器を得られるのだろうか?
 なんとなく……得られなままその日を迎える気がする。
 不安や焦燥は封印したいけど、頭から離れるような刺激がなければうまくいかない気がする。
 そんな時にきっちりと爆弾を投下されるわけが。

「そうそう、影ちゃんは雷鼓さんの事、どう思っているの?」

 えっ……?
 なっなっ、なっ!
 何をこの子は言い出すんだ!
 心臓が口から出てしまうくらいにドキリとした。その心臓に衝撃が走る感覚が何であるのか、私は“知っている”。なのに、どこかで誤魔化そうとしている。次に続いた言葉のように。

「えっ、どう思っているって?」
「そりゃあ、ねぇ?」

 言葉を詰まらせたのは八橋も同じ。しかし、彼女の赤みがかった顔が、私に真実を伝えていたり。
 私の顔も今、赤みがかっているのだろうか? だとしたら、もっと恥ずかしくなってくる。
 隠せないのならば、物理的に隠れるのみ!
 掛け布団を丸かぶりして逃げる。

「寝る!」
「……えっと、おやすみなさい」

 明日からが色々な意味で不安である。眠ってしまえば、この不明瞭な感情も五月蝿くビートする鼓動もなかった事になる。歌に集中するにはこの二つは邪魔でしかない。
 しかしながら眠るには身体が暖かすぎる。
 緊張の中、必要もないのに肉食の感覚だけが鋭くなっていく。
 布団から雷鼓さんの香りがした気がした。














 二日目を迎えた合宿のプログラムは一日目と然して変わらず、練習、練習、そして練習である。皆が意外と早く寝てしまったのか、体力は余っているようで、昨日よりも演奏にキレを感じる。
 特に八橋はそれが顕著で、正確なテンポは二人の主張の激しい演奏に誤魔化されることもなく、その曲を忠実に表している。一つだけ、時折意味深且つ不愉快な目線を私に送ってくる以外は完璧だ。
 そんな中、私も満月の夜を超えたからか、ある程度の余裕を持って歌えるようになっていた。歌詞一つ一つに感情を込めて、が今日のテーマである。
 丁度皆が手を止めたタイミング、雷鼓さんが手を叩いて一つ提案した。

「練習にも熱が入ってきたし、通しで行ってみる?」

 各パートの練習を着実に積んで、苦手を克服してきた事と、本番が迫ってきた事、この二つもあってか、通しでの練習の比率はかなり上がってきている。本番に向けて臨戦態勢といったところである。
 私も前半パート、後半パートの歌詞は流石に頭に刷り込まれている。寝言で歌詞が出てきてもおかしくないくらいには反芻してきたつもりだ。でも、これはヴォーカルしての最低限でしかない。
 後半は私の声の大きさが活かせるパワーある演奏となるけど、筝と琵琶が主旋律となる前半はそうではない。柔らかさや優雅さを意識して歌うべきなのだけど、生憎持ち合わせていないものは表現できない。加えて音も後半の楽器に比べて静かであり、必然的に歌が目立つようになる。だから、私は前半が苦手で、何度もアドバイスを求めたり、もらったりしている。
 上手くできないから、声に震えや不安が入ってしまうこともある。足りていない部分に自分が気がついてしまうのは、ある意味不幸である。
 身体の調子がいい今日も、やはり前半の部分はあんまり上手くいかない。私が演奏の中に入れずに、どこかに取り残されている感があった。
 後半に入ると、居心地の良さを覚え、自然と声にも張りが戻ってくる。こうも内容が不安定では、きっと周りも演奏しにくいだろう。
 溜息を付く間すらないまま曲は終盤に差し掛かり……、
 突然にドラムの音が消えた。
 えっ、と振り返りった時、独特のビートを刻む打音ではなく、力無くフローリングへと倒れるどさりという音。
 頭の中が漂白されていく。なのに脳は今一番正しいと思われる行動を選択していた。

「……病院、病院に!」

 慌てながらも適正な行動を取ったつもりである私を落ち着いた目で見つめる九十九姉妹、彼女達は呆気にとられている様子もなく、ただ私を見ているだけ。落ち着いているといえば聞こえはいいが、倒れた雷鼓さんを見ているのにこの態度でいられるのは、どこか気持ち悪さを覚える。
 弁々さんはいつもと変わらない声で、焦りを隠せていない私を宥める。

「大丈夫よ」

 私が欲しい言葉はそんな内容が空っぽなものではない。
 説明が欲しい、今すぐに。いや、それよりも雷鼓さんを!
 ぐるぐる回る頭の中、それが整理される前に雷鼓さんが力無く立ち上がった。
 明らかに困惑している私に言葉を掛けたのは、きっと偶然ではない。

「あはは……ちょっと疲れているみたい」
「雷鼓さん……身体、大丈夫なんですか?」
「ごめん。お先に休むわ」

 会話が噛み合わず、説明もないままに、雷鼓さんは扉を開けて出て行ってしまった。
 熱の篭った演奏の面影はどこにも無かった。






 雷鼓さんが部屋へと戻った後に、会話はあの時から戻らないままだ。九十九の二人はただ楽器をかき鳴らし、私は言葉という音を喉から絞り出しているだけ。そこに気持ちが乗っていないから、歌うたびに自分が不機嫌になっていく。
 そう、今は歌う気分じゃない。雷鼓さんがいなくなって空気がその重量を表した時から、私はその重さに捕らわれていた。なのに、何事も無かったかのように楽器に向き合っている二人、私から見れば異端であり異物でしかない。
 こうやって歌詞の途中で歌を止めるのも何度目か、喉に突っかかった言葉が歌詞を止めているんじゃないかと思ってしまう。
 歌じゃなくて怒号を上げたい。そんなことでスッキリするかも分からないのに、そうしろと脳が命令するのだ。私は本質的に力でなんとかしようとする馬鹿だからなのだろう。
 ああ、駄目。無理なものは無理だ。説明を聞かないと正直練習に身が入る気がしない。
 今までのもどかしさを踵から床板にぶつけると、音楽を破壊する大きな音が部屋を駆け抜けた。見るというよりも睨みつける目線に近い、それくらいに私の心身に余裕は無かった。

「やっと、こっちを見てくれましたね」
「…………」

 異常な空間となっていたこの場所の空気が壊れる。呼吸がしづらいこの世界は、私にとって不必要だった。
 慌てたり驚いたりしなかった先程の対応を見るに、少なくとも九十九姉妹は私よりも情報を持っているようだ。
 それは雷鼓さんがそうしたように、私に隠さないといけないものなのだろうか?
 本人がいないままに問い詰めるのは良くないかもしれないけれど、知りたいと思ってしまったのだ。何も知らないからこそ、聞かずにはいられない。

「私の知らない何か、知っているんですよね?」

 私の言葉に二人は双方を確認することなく共に頷く。私の質問に困惑の様子はない。
 話してくれる気にはなっているようだ。
 姉妹でアイコンタクトを取った後に、弁々さんが先に話し始めた。

「雷鼓さんが倒れた理由は単純。体内の魔力が尽きたから、それだけさ」
「演奏中に魔力を使っていたとは思えません。それなのに尽きたって言うんですか?」
「そうさ。雷鼓さんは妖怪として特殊な仕組みで成り立っている。だから、彼女は不安定」

 最初に会った時に感じた違和感を思い出す。アレの原因について考える機会もないまま、私は歌い続けた。雷鼓さんが出来上がった妖怪であると勝手に思い込んでいた。
 でも、そうではない?
 立ち止まって考えてみれば明らかだ。私は彼女について殆ど知らない。

「雷鼓さんは和太鼓の付喪神。しかも、人だけではなく鬼も使用していた特注品。私達とは格が違う道具生まれ」
「やっぱり太鼓だったんですね。最初の演奏でも使っていましたし、弁々さん八橋の二人は前半で元の楽器を使用していたので、雷鼓さんもそうかなと」
「彼女は鬼太鼓、雷太鼓と呼ばれ、道具でありながらも人から畏れられていた。畏れを集めている時点で、妖怪として転生するのは時間の問題だった」

 鬼が使用する太鼓は雷を携えるもの、その稲妻のような強く激しい演奏は、彼女の本質を表していたらしい。

「雷鼓さんが生まれてからどういう経緯を経てきたのかは私達も知らないわ。そもそも聞いていないし」
「別にいいです。今回の件とは関係ない、そうですよね」

 当然、弁々さんは首を縦に振る。
 そこに焦点があるなら、ふたりは何も知らないということになるから。
 雷鼓さんは妖怪としての生を与えられた後に、今の不安定な魔力へと変わる切っ掛けがあったんだ。
 そして、彼女が今の堀川雷鼓になった日は、私にとっても特別な“あの日”であった。

「あの夜は混沌とでもいうべき空で、月と魔力雲がとても綺麗だった。私達よりもずっと前に生まれた彼女は、鬼の魔力によって多くの道具達が妖怪へ生まれ変わった夜、私達が溢れる力に狂喜歓喜する中、一人その強すぎる魔力の干渉に対して恐れを抱いていた」

 ちなみに私もその狂喜的な魔力に歓喜していた大勢である。思い出したくない思い出ばかりがこうもフラッシュバックするのはある種の法則なのだろうか?
 雷鼓さんはそんな私達を他所に、危機感を募らせていたらしい。
 それは、彼女が鬼に近い存在だった故。

「彼女は鬼の魔力の恐ろしさを身近で感じていて、嫌になるほど知っていた。だから、その魔力を拒むべきと判断した、と言っていたわ」

 魔力は勝手に漏れ出て、周囲の道具や妖怪達を暴走させた筈。そんな魔力を簡単に拒絶することができるのだろうか?
 魔法使いのように魔力の扱いに長けている、はたまた鬼のように強大な力を持っている、雷鼓さんはどちらかに属していたのか?
 答えは否だ。

「しかし、逆さの城から漏れてくる魔力は上位の道具である付喪神さえも例外とせず侵していく。抵抗さえ許さない。気が狂いそうな魔力干渉を受ける中で、その魔力を根本から遮断する方法を雷鼓さんは思いついたの。けれど、それは自分でも理解できる大博打」
「博打?」
「自身の憑代を捨てて新しい魔力を外の世界から取り入れるという方法。この世界ではなく、結界の外から力を取り入れる方法。その触媒が外の楽器であるドラムだった」

 そんなこと、できるのだろうか?
 そもそも、付喪神には生まれるための憑代がある。太鼓から生まれた者が、太鼓を捨ててしまえば、存在意義さえ無くなり、消えてしまうのでは?
 現に今、雷鼓さんが存在しているのだから、その理論は成り立ってはいないのだろうけど、引っかかる点が事情を知らない私でも浮かんできた。

「彼女の目論見は当たり、新しく珍妙な力を得た雷鼓さんがここにいる。で、終わっていたらこんなことにはならないわけで、その博打の副作用が今も雷鼓さんの中に存在している」
「それがさっきのってこと……ですか?」
「魔力は道具生まれの妖怪にとっては血と同じ。突然、全部変えたりしたら当然残った体は拒否反応を起こす。加えて、外の世界の魔力は不安定だわ。使役者の有無、優秀さによって、流れ込む魔力量が随時変化する。量が少なければ、昏倒することだってあるでしょうね」

 魔力は血と同じ、血が足りなければ貧血を起こす。
 そして、雷鼓さん自身には血を作る能力が無い、ということなのだろうか?
 危険な術だと知らず、いや危険だと分かっていて尚賭けに乗った?
 どちらにしても、私には到底理解できない。
 そして、魔力の入れ替えの代償はこれだけではない。妖怪として根本に関わる問題を抱えている。

「外の世界でドラムを使用するものがいなくなれば、当然彼女の魔力も枯渇し、付喪神ではいられなくなる。その時は再び博打を打つことになるのでしょうね。今回みたいに“うまくいく”かもわからないままね」

 皮肉じみた弁々さんの話に、怒りどころか感情すら浮かばなかった。
 私自身、どうしていいのか判断できない。いや、何もできることが見つからないから、その壁に酷く絶望を抱いているんだ。
 悔しい、惨め、遠い、知らなかった脆く儚い雷鼓さんの姿を自分の理想と重ね合わせることができずに苦しむ。
 神妙なまま黙っていた八橋が重い口を開いた。

「雷鼓さん、すぐ眠ってしまうって昨日言ったでしょ?」
「うん。それも……」
「エネルギーを演奏に当てる為。今自分に残っている魔力を配分しつつ、なんとか回していく。その為には無駄使いもできない」

 次々に出てくる言葉は消化不良のまま、私の耳から入り込み、異物として身体へと溜まっていく。
 思い込みで本質を見ようとすらしなかった自分、腹立たしさすら覚えられず、ただただ呆れるだけ。

「もし、もし雷鼓さんがあの夜に憑代を捨てなかったら?」
「妖怪として狂う事は……まず、無かったでしょうね。この事件は結局、博麗の巫女が解決して、魔力の漏洩も消えたから。雷鼓さんみたいな元から力を蓄えている付喪神なら、尚更ね」
「ということは、無駄……」
「でも、私達は違う。あの夜に偶然に妖怪となっただけ。魔力が無ければ妖怪として存在してはいられない」

 ギターを持つ琵琶の付喪神、ベースを持つ琴の付喪神、雷鼓さんの例を見れば、ふたりが同じように博打に出るのなど容易に想像が付く。

「もしかしてお二人も……」
「ええ、その通りよ。まだ行ってはいないけど、いずれ雷鼓さんと同じ儀を行う事になるでしょうね。そうしなければ、私はいずれ道具へと戻ってしまうから」
「上手くいくかも分からないのに」
「ただ消えてしまうよりマシ。それだけよ」
「私も演奏されるよりも、演奏したいから。ただ消える時を待つだけ、なんて嫌」

 私の言葉には強制力なんて無い。自分という存在が消えかかった試しが無いから、何が適切なのか判断ができないんだ。
 色々な事象から逃げてきた。怠惰でも生きていけた、そういう境遇の中で生きてきた単なる甘ったれ。そんな奴が死ぬとか消滅するとか、そんなの理解できっこない。

「この博打の結果は誰にも分からない。勝ったのか負けたのかさえも、現状では判断できない。雷鼓さんが自身の身体を持ってして、その結果を教えてくれる。嫌が応でもね」
「つまり、雷鼓さんは」
「人間で言うなら人柱、妖怪柱、付喪柱とでも言ったところかな。奇しくも奇異な方法を見つけてしまった故に、奇しくもそういう運命を迎えた」

 雷鼓さんは私とは違う世界を生きている。同じバンドのメンバーでありながら、やはり私だけが余所者だったって事。
 最初から何もかもが違っていた。優しさに触れるほどに、私が欲しいもの、私が得られないものを持っているから憧れた。
 でも、所詮手に入らないものに憧れたって意味はないし、ただ迷惑を掛けただけ。
 現に今、無力なのが証拠。
 私はいつも……、そうやって自分を合理的に説得して、自分の無能を慰め、その度に自己嫌悪を起こしていたんだ。
 馬鹿らしい……ほんと、実に馬鹿らしい。
 無力? 無能?
 ああ、確かにそうだとも! 私は私のできることしかできないし、魔力障害を抱えている雷鼓さんを一種の奇跡で助けるなんて到底無理だ。
 でも、それでも! 私に出来る事はある。私の弱さを露呈した時に、雷鼓さんが教えてくれた。雷鼓さんは私を必要としてくれた!
 だから、私は立ち止まらない。
 いつでも明るく振舞って、隙を見せないようにしていた雷鼓さん。鈍感な私が見てきた限り、二人が雷鼓さんを気遣っていた場面も見受けられない。
 気丈に立ち回っていたのも、新米である私がメンバーに加わったから?
 考えすぎな気もしないけど、雷鼓さんの性格を考慮すればそう捉えてもおかしくはないと思う。
 私は自分が思っている以上に迷惑をかけていたのかもしれない。
 反省したり、誤ったりしても、雷鼓さんが喜ばないのは分かりきっている。私に出来る事は、本番に全てをぶつけられるように練習して上手くなる、それだけだ。
 答えを導き出すのは、決して難しくない。そして、私はやり遂げる必要がある。
 思考の整理をつける時間、二人は何も言わずに私を見てくれていた。そんな二人にも、私は伝えなければならない。

「私は……私のすべきことをします。雷鼓さんの体調に関しては、私は祈ることくらいしかできません。正直悔しいですけど、今は本番に向けて練習する。答えは最初から決まっているんです」

 弁々さんの安心した表情、さっきまでこわばっていた八橋にも笑顔が戻った。だから、私もその選択が正しいと思えたんだ。
 私はそれでいい。でも、雷鼓さんを含めた妖怪としての存続の危機を迎えている付喪神の方々にとって、演奏は趣味の範疇を超えている。
 楽器に慣れる事は新しい血への拒絶を無くすのと同じ。
 近い楽器を選んでいるのも、その拒絶を少なくしようとしているからかもしれない。
 だとしたら、八橋は弁々さんに比べて大変かも。筝とベースは素人見で大きく違っているように見えるし。
 こういう時はどうしても希望的観測というものでものを言ってしまう。

「あのっ、さっきの博打についてなんですけど」
「憑代の変更のことね」
「何か別の方法は無いんですか?」

 悪い答えが返ってくるのを知っていて尚聞いてしまうのは、現実というものがいつも受け入れがたい故か。
 そもそも、弁々さんの様子を見ているだけで、答えがわかってしまうような質問なのだから、意味がない。

「少なくとも見つかってはいないし、そもそも私達には時間が無いからねぇ」
「です……か」

 心配、そんな当たり障りのない言葉が頭に浮かぶ。
 確証の無い治療、リスクばかりが強調されるギャンブル。いいことなんて何一つない。
 それを姉妹で行わなければならないんだ。私なら気が滅入る、間違いなく。

「そんな顔しないでおくれよ。現に雷鼓さんという成功例がある、上手くいくさ」
「弁々さん、そして八橋もなんですよね?」
「ほら、八橋。あんたが心配だって」
「えっ、私!?」

 急に振られて目を白黒させる八橋、自分のペースを崩されるのは苦手なようである。
 あうあうう、と意味不明な声を漏らしている八橋は少々、いやかなり混乱しているようである。
 動揺しつつも頭の整理は進んでいたようで、ちらりちらりと私を上目使いに見ながら様子を見ている。別に怒ってるわけでもないのに、何故に警戒している。

「……うん、なんとかなるよ、きっとさ」

 まあ、返答の予想はついていたけど、八橋も弁々さんの案には賛成なのだろう。
 何事でもプラスに考えられる彼女に、不安や心配は見られない。見られないから、代わりに私が心配になってくるのかもしれない。
 そして、心配なのは私だけじゃない。

「なんとかなるじゃあ困るんだ、何とかするんだよ。不肖とはいえ私の可愛い妹、あんただけ儀式に失敗したなんてなったら全く笑えないよ」

 いつもよりも穏やかな表情で話す弁々さんは、八橋の顔を少しだけ見てから照れくさそうにその言葉を口にする。
 そして、その照れくささを隠すために、八橋を弄るのが弁々さんのスタイルらしい。

「まあ、雷鼓さんがなんとかなるなら、私もなんとかなるかななんて思う。でも、妹は別だから」
「扱いが完全に足手まといなんですけど」

 正直じゃないなぁ。
 普段の演奏時はズバズバと改善点を口にしているのに、大切な妹に関する事には口下手。そんなところに好感を持てる。
 私と八橋、同じ思いを共有していたのか、二人共に思わず笑ってしまう。
 まだ私達は笑えているんだ。だから、きっと大丈夫。

「雷鼓さんは一度倒れると暫くは寝ているだろうから、今日は練習が終わったら帰ること。分かったなら練習を再開、雷鼓さんがいない分、私が厳しく指導するからね。特に八橋!」
「ひぃ!」



















 買い物目的で人里に来たりはよくしている。でも、満月が近くなると狼としての耳が顕著になるので、隠す為のフードが必要になる。獣の耳は妖怪に排他的な人間達を焚き付けるに十分な外観になりうるから。
 しかし、今日態々練習の時間を割きつつ、真っ昼間から里へと降りてきた目的は買い物ではない。お金は念の為に持ち合わせてはいるけど、それは私欲を満たす為のものではなかった。
 弁々さんから話を聞いて二日ほど経って、やっと自分の中で雷鼓さんの状況というものを自分なりに把握してきたらしい。その間、雷鼓さんはベッド生活を続けていて、私や九十九姉妹がお見舞いに顔を出した時は眠ったままだった。あの時から起きていない、なんてことはないとは思うけど……。
 そして状況の把握によって、活路が私なりにも見えてきた。結局は私の知識から何かをするわけじゃないけど、問題に対して解決策を持っているかもしれない相手が誰であるのか分かるのは、一歩前進と言える。
 里に入ると、どうしても人々の目線が気になる。正常の中に異常が入り込んでいる感覚、正に人狼である。別に襲う気など無いけれど、ここにいるだけで私は悪いことをしている、という錯覚に陥ってしまいそうだ。
 祭りの準備で賑わう大通りを抜けると、一際大きな家が目に入る。里の重役についている稗田家は、この世界の妖怪や著名人の情報を編纂しているだとか。そして、稗田本家の当主となっている稗田阿求は、人ならざる記憶を有している、だなんて聞いたことも。
 幻想郷には彼女のような知識人が沢山いるけれど、私にとって一番近そうな存在が彼女であった。頭が悪くても生きていける環境にずっといたので、話しかけられそうな者がそもそも周りにいないのだ。
 彼女がいる稗田家であるが、庭からして広く、木々も一つ一つが整えられている。人間にしても妖怪にしても、由緒正しき者の家は見た目からも風格が出るのだろう。
 門の近くで草木を手入れしている侍女さん(と思われる人物)がいたので、声を掛けてみよう。

「あの……、すいません」

 笑顔もなく淡々と作業していた彼女に笑顔が戻る。それが仕事から来る習性なんだろうなぁと思うと、なんだか寂しい気分になる。
 ストレートに要件を伝える。稗田阿求さんに会って話がしたいから、取り次いでくれないかと。予約をしているかと聞かれたので首を振ると、やはりと言うべきか難色を示される。
 強行して入ってしまうわけにはいかない。強盗未遂を行った者が数日後に里で歌うとか笑えないレベルだ。だから、あくまで口頭で粘るしかない。
 事情を聞くと、これから里の者と祭りの打ち合わせをするらしく、いつ終わるのかわからないだとか。
 無理を言っているのは承知、感触は悪いがそれでも少しだけでもいいから話す時間が欲しい、と引かずに粘る。迷惑を掛けているのを知っていて続けているので、申し訳ない気分もある。
 なんて具合に不毛なやりとりを繰り返していたら、見覚えのある姿のが現れた。そういえば、里の賢者と呼ばれる者はもう一人いたんだったっけ。彼女、上白沢慧音は稗田家に用があるみたいだ。

「珍しいのが稗田の家を訪ねているな?」

 私と違って侍女に止められることもなく、一、二言話した後に門の中へと入っていく。
 どうやら当主と祭りの打ち合わせを行う関係者とは彼女のことらしい。
 同じ半獣であるだけで仲がいいどころか、まともな付き合いも無い。それもで、好機であるのは間違いない。
 以前なら間違いなく諦めていただろう。厚かましいと思われるかもしれない、やっても無駄、そんな言葉は封印しているつもりだ。

「上白沢慧音さん!」
「ん、どうかしたのか?」
「えっと、私も中に……」
「いや、それは私の判断するべき内容ではないだろう。事情でもあるのか?」

 そう、事情について私はずっと触れずに、自分の要求ばかり口にしていた。話すと長くなる上に、少なくとも侍女さんに妖怪についての話をする気にはならなかった。妖怪の話なんか始めたら、尚更目的が遠くなる。
 どうすればいい? こういう時、適正な判断を導き出せない自分の頭の悪さに腹が立つ。
 黙っていても事は良い方に転ばない。

「あら、揉め事ですか?」

 のが常識だと思っていたけど、良い方に転んだ、のか?
 派手めの着物を身に纏った紫色の髪の少女。何度か目にしたことがあるから、彼女が稗田阿求であるのは間違いない。客人を迎えに来たのだろうか?
 てかてかな肌にニコニコ顔、ご機嫌といったところか。

「慧音さん、こんにちわ。相変わらず忙しそうなことで」
「そちらは全く忙しそうに見えないな」
「お昼寝は健康の秘訣ですよ。ところでそちらの方は?」

 目線を向けられたので、フードを抑えたままペコリと頭を下げてみせる。
 こっちを見てニコリと一瞥する姿一つで、上品な出で立ちを感じられる。
 気にはされているようなので、印象としては悪くない。
 私が口にする前に、先に外野から声が飛んでくる。

「お前と話がしたいだとか」

 言葉を聞いた後に、舐め回すようにして視線が私へと突き刺さる。色々と目を向けた後で「ふぅん」と一言呟いた。
 見られていても目線は外したりはしない。とにかく、願いが伝わって欲しいと思っていた。何も伝わってはいないだろうけど、何故だか期待している自分がいる。
 もう一度笑顔を向けてくれた阿求さんは、事を収める為に自慢げに言い放った。

「通して構わないです。打ち合わせなんて大した話じゃないですし、祭りは現場監督者である慧音さんが全てなんとかするんで」
「おい……」





 無事に彼女に意見を聞ける状況までこぎつけたものの、通された和室は整然となっており、スタジオとは違った清潔感がある。壷には旬の花が活けられていて、龍が描かれた掛け軸、何に使うのかわからない色鮮やかな大皿、生半可に動いたりして破損してしまったら、お金が払いきれない気がする。

「そんな緊張しなくていいですよ」

 そう言われても身体の緊張は解せないわけで。
 侍女の方が「ごゆっくり」の言葉と共にピシャリと襖を閉められると、取り敢えず自己紹介が始まった。

「稗田阿求と申します」
「あ、はい、こちらこそ」
「えっと、あなたは……今泉影狼、さんね。ライカンスロープ、で合っているかしら?」
「流石ですね。私みたいな無名な妖怪まで覚えているとは」
「まあ、それが仕事なので」

 阿求さんがエヘンと威張ってみせると、慧音さんがジト目で彼女を見ていた。
 私のことはまあどうでもいい。
 タイミングを見計らって話題を切り出そうとしていたら、先に他者から切り出される始末。

「んで、そっちの話題はなんだ? 早々に切り上げてくれると嬉しいんだが」

 妖怪についての話はこの面子の中だったらNGにはならない。私はまず自身の友達という扱いの下で、名前を出さずに付喪神について話した。そして付喪神が憑代を手放す危険性について聞いてみた。
 話している間は、阿求さんだけでなく、時間を割いてくれている慧音さんも何か難しいことを考えているようで、時折うーんうーんと思考が漏れる声を上げている。生真面目に見える彼女は、聞き流すような真似はしないらしい。
 あくまでも私の情報は、第三者から聞いたものでしかないし、信憑性を疑われたら答えようがない。そんな心配は……いらなかったようだけど。

「成程、話は理解できました。まさか堀川雷鼓さんがそういう状況だったとは」
「バレてるし……」
「これでも私は縁起を作成している家のものです。それくらいの情報があれば、誰であるか特定するのは難しくありません」

 雷鼓さんが有名なのか、阿求さんの特定能力が高いのか。まあ、それは置いておこう。
 隠す必要がなくなったのだから、阿求さんにはもっとイメージしやすくはなった筈である。
 さあ、本題である。
 阿求さんの声のトーンが一つ低くなった。それは私が歌うモードに入るのと同じで、当主稗田阿求としての言葉なのだろう。

「結論から言わせてもらいますと、いつ消滅してもおかしくはないですね。詳しくは分からないですが、私の見解からすればそう考えます」

 希望など無い無情な文。真剣なままの表情、稗田家の者としての威厳、重くのしかかる。
 泡沫とした可能性に縋っていたところで、叩き落とされるだけ。覚悟はあったけれど、辛いものは辛い。そう、それだけ。
 言わなくてもいいのに、根拠という追い打ちが降ってくる。

「道具だったものが憑代を捨てるのは、いわば自分、身体を捨てるようなもの。魔力は血のようなものですが、彼女はその血を生成する能力を有していない。生きているとすら言い難い」
「輸血と変わらん状況だな。血の残量が見えない分、輸血よりもタチが悪いが」

 不安を煽り立てる言動に辟易を覚える。彼女達の常識という概念に無い行動を雷鼓さんが実行した結果故とはいえ、愚者を嗤う賢者のようでキモチワルイ。
 私が何も言えないままだから、優れた者達の聞きたくもない見解が続く。

「とはいっても、すぐに消えることは無いでしょう。博麗霊夢と対等に戦闘を行える魔力が供給される時もあるということは、彼女の憑代が外の世界で強く機能しているということ」
「霊夢とやりあったのか?」
「はい、そういう記録が残っています。時にその魔力は強烈な雷雲を作り出すだとか」

 雷鼓さんの本質を詳しくも知らないくせに、あーだこーだと適当な事を言っている。
 正直、耳障りだった。こんな下らない話を聞きに来たのではない。
 席を立ちたい気分になったその時、私の身体を強制的に動かすような一言が耳に入った。

「まあ、そもそも妖怪など消えてもらったほうが、編纂者であり儚い人間である私としてはうれ……」

 所謂、身体が勝手に反応したというやつだ。
 瞬時に反応した為に、深く被っていたフードが脱げ、畜生の証である人と異なる耳が露呈した。
 右腕が脳の命令の約9割までを遂行している。残りの1割は慧音さんの腕によって止められたのか、私が人を殺める事が悪いと無意識に感じていた故か。それでも、長く伸びた爪先は少なからず、阿求という女の皮膚を裂いていた。
 私の狂気を腕で抑えている者になど気を向けず、対象を睨みつける。
 首元からうっすらと血が滲むが、彼女は全く気にしていない様子。むしろ、危険な状況を楽しんでいるようにすら見える。

「怒りましたか。ふふっ、貴方は真っ直ぐで仲間思いな良い妖怪ですね」
「……試したんですか?」
「ええ。貴方の情報はそんなに持ち合わせていないので、つい」
「一歩間違えたら死にますよ」
「どうせ長くもないし、編纂くらいしかやることのない人生なので。刹那に身を任せるのも一興」
「……お前等の行動、どちらも褒められるものじゃない。生徒だったら説教ものだ」

 腕へと入った力を緩め、私は定位置に戻る。座っていた場所の畳には踏み込みの跡が残っており、いぐさが裂けてしまっている。これは弁償ものだろう。

「別に気にしなくていいですよ。どうせ明日には直っていますので」
「お金がある人間は実に羨ましいですね」
「お金では妖怪を倒せませんよ」

 あっという間に場が険悪な空気へと変わった。私が阿求という人間への認識を改めたのが原因だけど。
 彼女は大人びているが、本質は私と同じガキ、いや、ガキよりタチが悪い。好奇心が殺すのは猫だけでないと知っているのに、好奇心を優先させる人格破綻者。
 だからこそ、次の一手が私には読めない。

「そんな素敵な貴方に一つ、朗報を授けましょう。一度捨てた憑代を取り戻すことはできませんが、新しい憑代に外の世界以外の魔力を貯める方法は存在します。簡単な事ですよ。外ではなくこの世界で彼女の憑代となっている道具を使う者が増えれば、消える事も無く、力を維持できるでしょう。もし博麗結界に異常が発生しても、消えることはない」
「ドラムの演奏者が増えれば……?」

 言われてみればその通りで、簡単だ。
 別に外のみから力を得る必要なんてないし、近いほうがいいに決まっている。
 難点は一つで、きっとそれは致命的。この世界ではドラムという楽器の知名度はなく、さらにドラム自体が殆どないということ。
 解決手段は地道ながら演奏し続け、皆に知ってもらい、興味を持ってもらうこと。
 私達がどこかで演奏することは、雷鼓さんという妖怪にとっても意味があるんだ。
 新しい憑代を身体に馴染ませるだけではなかったんだ……知らなかったのは私だけかもしれないけど。
 意外な所からモチベーションがアップした私に、慧音さんが更に付け加える。

「もし魔力が枯渇しかけても、応急処置くらいならできるだろう。まあ、相性の問題はあるだろうが」
「……本当ですか! 私でもできるのでしょうか?」
「魔力を持つ者なら誰でも可能ですよ。無論、貴方でもね」
「ど、どうすれば……」
「要は相手に直接注ぎ込めばいいんです」

 ん? 直接注ぎ込む?
 何度か反芻してみたけれど、私の頭では残念ながら理解できなかった。
 そもそも、魔法使いではないので魔力を現実の形として錬成などできない。
 突っ込んで聞いてみることにする。

「えっと、直接注ぎ込む、って方法は」
「それは……、だな……」

 歯切れが急に悪くなる。
 稗田の子は顔を俯け、白沢の半獣はこほんと咳払いをする。その二人の共通項は、顔が赤く染まった事だ。
 その仕草から、私も一つの結論を導き出し、きっと同じように顔を赤くしてしまった。
 故にその魔力注入とやらがどんな“行為”を表すのかが、不本意ながら分かった。
 きっと、直接注入するのだろう。特に昼間では口にしにくい手段を用いて。
 無駄に空気が引き締まった中で、慧音さんが話を締めた。

「結局の所は本人次第。憑代を変えた者の精神力、順応力が鍵になるだろう」
「私では力にはなれそうもないです。申し訳ないわ」
「いえ、貴重なお時間とお話、ありがとうございました」
















 里に寄って練習時間は少し短くなってしまったが、声や歌の調子は悪くはなかった。頭の奥に引っかかっていた心配事の正体が少し見えて、精神的に余裕ができたからかもしれない。
 コンディションを整えることが最高のパフォーマンスに繋がる、雷鼓さんの言葉は本物である。
 練習が終わると私はいつも通り、雷鼓さんの部屋へと寄る。雷鼓さんの様子を見るのが目的ではあるが、彼女はいつも眠っている為に、ただ有意義な時間を潰しているだけなのかも。
 多くの練習が必要とずっと口にしている弁々さんも、この時間にだけは干渉したりはしなかった。「そばにいてあげなさい」、そんな優しい声を聞けるとは思っていなかった。
 更に妙に気を使われているのか、二人が部屋を訪れたのは私に部屋の場所を教えた最初だけで、それ以降は私一人である。雷鼓さんは眠っているので会話どころか音もなく、音が氾濫し溢れかえっている練習とは正反対の空間だった。
 静寂にはずっと慣れていたのに、今は悲しく思える。私が変わったからなのだろうか?
 そして今日も地下の練習場から二階へ、階段を一段ずつ上がっていく。自分という存在を示すように、木でできている段差が一歩ごとにコト、コト、と音を返す。
 階段を上り終えると、雷鼓さんの部屋から乾いた木で何かを叩いている音が聞こえる。どうやら初めて、雷鼓さんが起きている時間にお見舞いができるようである。
 コンコンとノックをすると、中から病人とは思えない声が聞こえた。懐かしさを感じて、グッときそうになったのは秘密だ。
 木の扉はいつもよりも軽く感じた。

「失礼します」
「影狼ちゃん、お見舞いってやつかな?」
「そうなりますね」
「練習はどう? 本番は大丈夫そう?」
「雷鼓さんの体調次第じゃないですか?」
「あはは、言ってくれるねぇ」

 すこしバツが悪そうな笑い声は、ドラムの説明の際に聞いた雷鼓さん自身への質問と同じ、歯切れが悪かった。
 私は……そんな、彼女がはぐらかそうとしている事について口にしようとしている。
 やっぱり、雷鼓さんの口から聞くべきだし、私は雷鼓さんをもっと知って、微力でもいいから支えたいと思うから。

「体調はどうですか?」
「元気だよ。影狼ちゃんが来てくれたからね」
「お世辞として受け取っておきます」
「なんか手厳しいなぁ」

 近くの椅子に座ると、ベッド近くにドラムスティックが置いてあるのに気がついた。
 先程の音はこれで何かを叩いていたからだろう。
 雷鼓さんも元気になって練習に戻りたいと思っているんだ。あれだけ上手いのに更に先を求める、彼女が求める完成度は私の想像の範疇では収まらないレベルに達しているのかもしれない。
 そんな雷鼓さんに先手を取られた。

「……二人から聞いた?」
「大まかには」
「……そっか」

 窓の外への返答。外は風で木の葉が揺れているだけ。
 多くの言葉での説明を雷鼓さんは必要としていないようだ。だったら、逆の立場にいる私が話をする番である。

「もしかして、練習にあまり出ていなかったのって」
「うん。体調を崩していたから。出掛けているって設定にしていたけど、実際はベッドの上でこんな感じ。これじゃ、サボりだね。あはは……はぁ……」

 話す度に沈んでいくのだから、あまり口にはしたくない内容ではあるようだ。
 それを知っていても、私は止まらない、止まれなかった。自分の中に渦巻いている欲求が消極的という私の原理を覆している。

「理由は二人に聞きました。でも、私は雷鼓さんからは何も聞いていないです。差し支えが無かったら、聞かせてもらえませんか?」
「……まさか立場が真逆になるとはね。あの夜には全く思ってもいなかったよ」

 少しおどけてみせる雷鼓さんに、躊躇いは見られなかった。





 語られた内容は殆ど同じで、経過などは弁々さんから聞いている。時折、雷鼓さん本人の気持ちが挟まれる感じ。聞いていて楽しいものではないけれど、勝手ながら雷鼓さんについて深く知れて、距離が近づいた気がした。
 でも、そう感じていたのは私だけ、なのだろうか?
 ずっと過去の話をしていた雷鼓さんがこんな言葉で話を閉めたから。

「偉そうなこと言っていたけど、貴方を誘ったのも実は私がこの世界に存命するため、ただそれだけでしたー、ってね」

 自虐に聞こえる動機は、正直なところ聞きたいとも思わない。
 本当にそう思っているなら、辛そうな顔をして口にしたりはしない。

「結局、私達のためだけの演奏。影狼ちゃんには何の利も無い演奏。自分の利の為に貴方を利用しただけ」

 利用されても構わなかった。彼女が元気でいられるなら。
 ただ自分を傷つけるだけの言葉なんて聞きたくない。

「……幻滅した?」
「すると思いますか?」

 苛立たしささえ覚えて、雷鼓さんの懺悔紛いの言葉に強く言い返す。
 そもそも弱気なのがらしくない。まるで鏡越しに自分を見ているかのような気分になる。
 私ってこんな苛立つ存在だったんだ。すこし悲しい気分。
 じゃあ私は雷鼓さんに倣って、彼女の言葉を借りるとしよう。

「こんな言葉を知っていますか? 自分の価値を自分で語ってはいけないんですよ」
「……ふふっ、そうだったね」

 あの夜の借りを同じ言葉で返されるとは思っていなかったんだろう。雷鼓さんの苦笑いも頷ける。
 でも、私が欲しいのはそんなひきつった笑顔なんかじゃない。
 変わろうとしている私の背中を押してくれる雷鼓さんの笑顔を、私は取り戻したい。
 目には力が入り、少し緊張している。でも、口からは自然に言葉が出てきた。

「雷鼓さんは、音楽が好きですか? 演奏が好きですか?」

 答えが決まっている当たり前の質問だけれど、雷鼓さんは茶化すこともなく真面目に答えてくれた。

「そりゃあ好きだよ。自分の身体みたいなものだしね」

 音楽が全て、雷鼓さんを100%理解しているわけではないけれど、彼女が演奏というものにどれだけの労力を掛けているのかは知っていた。そして、私はその雷鼓さんの願いに応えたいと思っている。
 だからこそ、ここにいる。

「私は雷鼓さん、九十九の二人の演奏が好きで、一回聞いただけでファンになっちゃって、次に聞いたらもっと好きになっていまいた」
「……うん、ありがと」
「そんな方々に褒められて、迎えてもらって……嬉しかった。本当に」

 練習に勤しんで、みんなの背中を追っているつもりだった。
 何も見えないままだったかもしれないけど、その大好きな音を耳にしながら気持ちよく歌った。何度も、何度も。
 時に凹んだりもしたけど、雷鼓さんはもう一度手を伸ばしてくれた。
 聞く側から歌う側になって、頭の悪い私が知った事。

「私は皆さんみたいな才能も、自分のスキルにも自信はないです。でも、今まで練習してきて分かった事が一つあります」

 そこに今の私を突き動かす動機、歌い続ける理由があった。

「切っ掛けはどうであれ、今は自分の意志で歌っていますから。上手くは歌えていないだろうし、成長もなかなかしていないかもしれないけど、私は歌うのが好きになっていたんです。そして、それを教えてくれたのは雷鼓さんでした。その事実は絶対に変わりません。過去なんてどうでもいい、今私は歌が好きだから歌っている……それでいいんですよね?」
「……そうだね。それでいいと思うし、私が誘ったのも存外、悪いことじゃなかったのかな、って思えるよ」

 マイナスの思考を振り払うように、ブンブンと首を振ってみせる。
 妖怪として生きているなら、誰にだって思う所はきっとある。
 雷鼓さんにだって不安はあるんだ。

「実は博打に勝っていなくてさ、このまま消えてしまうんじゃないかな、なんて思うこともあるの。だって、前例が無いんだもの。だからさ、私が一時間後消えない、なんて誰も保証できないでしょ?」
「それ……は……」
「でも後悔はしてない」

 不安を切り捨てるように、雷鼓さんは言い切ってみせる。

「鬼に縛られていた太鼓を捨てて、ドラムという素敵な楽器に出会えた。音楽が好きなら、これって何よりの幸せだと思う」

 嫌な出来事に対して、背を向けるのも向かい合うのも自由。前者ばかりを選択してきたけど、気持ちさえ伴えばきっと変えられる。
 チャンスはいくらでも転がっている。壁を作って何も見ようとしてこなかった私でさえ、今こうして変われる機会を手に入れているのだから。
 そして、その壁を壊してまで私を思ってくれる誰かがいた。
 私が、みんなが迎えている分岐点。好機を逃したくない。絶対に。
 そんな思いが一つ、形になった。

「バンドの名前ですけど、セカンドビートってどうでしょうか?」
「セカンド……ビート?」
「雷鼓さんも、弁々さんと八橋も壁を壊して新しい自分を手に入れようとしています。“第二の鼓動”を手に入れた時、私達はきっともっといい演奏ができる。そんな意味です」
「……影狼ちゃんは?」
「私も自分を孤独と決め付けていた浅はかな自分を捨てて、新しい自分になる。雷鼓さんに諭されたあの時からそう決めていたんです」

 彼女がきょとんとしてしまっていたのは一瞬だけ。驚いた様子を隠したりもしなかった。
 私、そんなに合わない言葉を口にしたのだろうか?
 思い返すときっと恥ずかしくなるからしない。

「なんか影狼ちゃん、最初に会った時よりたくましくなったなあ。お世辞とかじゃなくてさ、一番成長していると思う」
「元が未熟だからですよ」
「今が大事。頼りにしているよ」

 そう、今が大事なんだ。
 私は私のできることをやっていく。その結果が明るいものであったらいいなと思う。




















(5)

 雷鼓さんの容態は良くもなく悪くもないまま、“この日”を迎えてしまった。
 時折練習には顔を出していたけど、スイッチが入ったようなドラムの演奏はせずに、静かに時を待ちつつ調整している感じ。魔力の消費を抑えて最低限の準備をしている、といったところだ。
 弁々さんはいつも通り。本番に向けて弦楽器の調律を行うその顔には余裕が見られる。あれくらい上手く弾ければ、私も緊張せずに済むのだろうか? いや、性格の問題だろう。
 八橋のマイペースは日が減っていっても変わらず、なのだけど、演奏については上達が目覚しい。一つずつ苦手なパートを克服していっているから、彼女が一歩ずつ進んでいるのが私にも分かる。羨ましさを覚えても仕方ないのは分かっているけど。
 問題の私であるが、準備不足であることは間違いない。私がもっと時間が欲しかったと思っているのだから。とは言っても、時間の有無で現状が劇的に変化するのかと言われれば、首を捻らざるをえない。
 不安要素は考えるとキリがないけど、潰していく時間もない。あとは当たって砕けるのみ。バラバラにならないことを祈るばかりだ。



 解体したドラムセットを持ちながら、良いイメージを頭の中で浮かべる努力をしている私であるが、どうしても雑念が入ってくる。そもそも、上手くいったという明確なイメージを所持していないから、イメトレ自体が無茶なのかも。九十九姉妹みたいに、他愛ない会話をしつつリラックスする方が私には合っていそうだ。
 重い荷物を全部剥ぎ取られて申し訳なさそうに飛翔している雷鼓さんは、傍から見たら元気そうに見える。ずっと彼女の不調を見破れなかった私が見たところで、説得力は皆無だけれど。
 そんな感じにちらちらと見ていたら、目線が合ってしまった。そりゃあ、空を飛んでいるんだから、目のやりどころなどある程度決まってくる。

「影狼ちゃんの顔を見ていると心配されているのが分かっちゃうね」
「いえ……自分の事で精一杯、です」
「あはは……、そうだよね……」

 誠に申し訳ない。
 事実を隠す事すらできないくらいに、私は錯乱気味らしく、なんだか情けなくなる。
 雷鼓さん及び自己の名誉を挽回すべく、ごく当たり前のフリで雷鼓さんに話しかける。

「体調は実際の所、どうなんですか?」
「うーん……七、八割ってところかな?」
「倒れる前は何割?」
「十割計算」

 あまり良くはない、ということである。
 でも、雷鼓さんは本番にも強そうというか、その程度の逆境では気落ちしないタイプに見える。
 やっぱり、他人のことよりも自分の心配をしたほうがいいのかも。

「あの、影狼ちゃん?」
「あ、すいません。なんですか?」
「見ていて重そうだから、やっぱり荷物……分けてほしいんだけど」
「ダメです」
「……みんな過保護だなぁ」

 過保護くらいが丁度良いんです、と保護されっぱなしの私が口にできるわけも無かった。














 里はいつになく賑わっている。
 大量の幟には「祝」だとか、「祈願」だとかの縁起の良さそうな言葉が踊っており、時折吹く風にたなびき、ぱたぱたと音を鳴らしている。目下整備中だった大通りには派手な色をした夜店が並び、人間の子供達が目を輝かせている。
 元来、内向的な里であった筈なのだが、私達を含め、妖怪の姿は多々見られている。別に暴れたり、人を襲ったりすわけでもなく、祭りの朗らかな空気に馴染み、夜店を商っていたり、人間と酒を交わしあっていたり、子供のように遊びまわっていたりといった感じである。
 妖怪やら人間やらが集まる場所を意図的に避けていた為、実は祭りというものが初体験である私。熱気に押されてしまい、ただぼんやりとその光景を目にしていた。話しかけられなかったら、もう少し固まっていただろう。

「もう空気出来上がっちゃってるねぇ。まだ朝だっていうのに」
「えっと、私達の演奏は夕方、でしたよね?」
「そう、いろんな人間、妖怪達が演奏するの。有名どころはプリズムリバー姉妹とか、ミスティア・ローレライとかかな。里の伝統音楽なんかもこの祭りの時にだけ演奏されるわね」
「私達、もしかして浮いています?」
「そこを自分達のフィールドに変えられたら、勝ったといえるだろうね」

 雷鼓さんは一体何と戦おうとしているのだろう? 疑問だけど詳しくは聞かないでおいた。
 ステージ裏に着地して、風対策として機材に布を掛けていく。仕組みすら分からない機器達は砂埃やらに弱いらしく、演奏前にもメンテナンスが余儀なくされる。その中でもベースとギターは要注意だとか。
 早速練習(直前の練習はリハーサルと呼ぶらしい)を始めるのかなと思っていたけれど、弁々さんは近くの人間の責任者を捕まえて、何やら話を始めている。八橋もベースを背負ったまま近くの木に寄りかかってボーっとしたままで、練習をする空気ではない。
 練習をしたいと思っている私であるが、ステージ近くにはそんな場所は無いらしい。
 特に私達が使用している楽器は特殊故に、音出しできるのは本番のみ。そんな声が私の耳にも入ってくる。
 これはつまり、早く来すぎたというやつなのでは? 雷鼓さん宅に残っていれば、ギリギリまで練習できたのでは?

「練習したそうな顔してる」
「やっぱり顔に出てます?」
「ちょっとね。でも、私達の楽器ってこの世界ではメジャーじゃないから、すぐに音出しの準備とかできないの。だから、時間的に余裕を持っていないと、本番でトラブルなんて場合もあるから」

 メンバーである私も仕組みが良く分かっていないんだから、設営者にまかせっきりという訳にもいかない。実際、弁々さんがあれこれと支持を飛ばしているのも、そうするのが一番手際がいいからだろう。
 そんな弁々さんが一度持ち場を離れて私達に一言、

「準備は私達がしておくわ。主役と病人はお祭りでも楽しんできたら? 緊張も多少解れるだろうし、精気を養うのにもいいと思う」

 どうやら暇そうに見えた私達に気を使ってくれているらしい。
 でも、方角が違うというか、私は練習がしたいだけであり、遊びに行きたいわけではない。祭りを楽しみたい気を全否定するわけじゃないけど、自分が今何を優先するべきかくらいは心得ているつもりだ。
 そんなことよりもどっかで声出しをしてきますと口にしたら、何故か目の前で溜息をつかれた。

「今更練習しても大して変わらないわ。そもそも、貴方は声出ししなくてもフルスロットルで歌えるでしょ?」

 うっ……そうかもしれない。
 私の喉自体は疲れ知らずだけれど、前者についてはきっとその通り。
 今の私のベストを尽くす為の最善手が、間際までの練習だとは思えない。とはいっても、祭りを楽しむのも違っている気が。

「……よし! お姉さんがお祭りの楽しみ方というものを教えてあげよう」

 乗り気満々で元気すぎる病人は、胸に拳を置いて息を荒くしている。
 雷鼓さんの体調に問題が無いんだったら、それでもいいんですが……いや、私がよくないのでは。
 なんて、戸惑っていると、右手が強く握られていた。いつもはドラムを叩いている雷鼓さんの手は温かく、とてもじゃないけど自身の魔力制御ができない妖怪とは思えない。
 そんな様子は八橋にも見られているわけで、

「えっと、私も……」
「八橋は音出し。ベースはギターよりも音を気にしなきゃいけないし」
「……ううっ、やっぱりこうなるよね……」
「大丈夫、お土産にあんず飴買ってくるから」
「いや、そういう問題じゃなくて……」

 テンションがいつも通りに高くなった雷鼓さんが無理をしているように見えるのは、きっと私が知ってしまったからだろう。
 心配する気持ちは当然あるけど、雷鼓さん自身が本番前に体調が悪くなることは無いと見込んだから、気晴らしに回ろうと言っているんだと思う。ハメを外すとも思えないし。
 なら、一緒に回ればいいし、素直に一緒に楽しもう。
 というか、これってデートというやつなのでは?

「じゃあいこっか、影狼ちゃん」

 引きずられるままに設営場所より退場、これでよかったのだろうか?











「沢山店が並んでいますね」
「夜店のこと? ぼったくり値段で儲け時だからねぇ」
「高いんですか? 相場を知らないので何とも……」
「影狼ちゃん、覚えておきなさい。夜店は戦争よ」
「はあ……」

 店主が笑顔を向けるにこやかな戦争の中、私達は二人並んで歩いている。
 里の大通りには店が並んでおり、終点には作られた山車と神様の依り代が置いてあるだとか。
 酒さえ飲めれば、祭りの理由なんて微々たるもの。人間も妖怪も細かい理由を掘り下げたりはしないし、それでいいんだと思う。
 なんて自問自答していると、一人の女性が私達に話しかけてきた。
 この祭りの責任者の一人、慧音さんである。

「楽しんでいるようだな」
「慧音さんは?」
「祭りの最中から顔赤くしていたら、祈願祭の実行委員として顔が立たないだろう」
「確かに」
「まあ、祭りが終わったら同じく仕事を終えた連中達と飲んだりするさ」

 きょとんとしているのは雷鼓さん。私が誰かと親しそうに話しているのが意外と思っているのかも。
 正直な所、まともに話したのは数日前だけだし、今だってそんな親しい仲でもない。
 でも、それを説明するのはヤボ、と言うより無意味だ。
 慧音さんは視線を私から隣へとずらす。

「そちらは……もしかして例の」
「……例の?」
「べっ、別になんでもないですよ。はい!」
「堀川雷鼓と申します。今日はステージで演奏させて頂きます」
「私は上白沢慧音。見て分かるとは思うが、人間と妖怪のハーフだ。この里に住み、この里を守るのが受け継がれた血筋による仕事であり、私の本望でもある」
「妖怪の身で里を……変わった方ですね」
「ああ、よく言われるよ。人間からも妖怪からもな」

 人間と妖怪、お互いに偏見を持っているから、ハーフというだけで、風当たりは強い筈だ。でも、慧音さんは里の中で自分の地位、居場所を築いている。同属だからこそそれは凄いことであると分かるのだ。

「昔の祭りというものは、儀式に主を置き、店も古めかしい骨董品ばかりが並ぶ閉鎖的なものだった。しかし、外の世界から来た者が主催となり、子供からお年寄りまで誰でも楽しめるをテーマに、祭りの本来の目的を残しつつ外の文化を取り入れたんだ。この道の両側に並ぶ夜店もその時からできたものだし、里で人間だけでなく妖怪が歌うようになったのもその一環だ。すべては変わっていく、祭りも……人間も妖怪もな。祭りはきっと良い方向だとは思うが、時に物事は悪い方向にも変わってしまうだろう。私達に必要なものは変化を受け入れられる適応力だ」
「変化を受け入れる、か。今私達に一番必要なことかもしれない」

 感慨深そうに考えている雷鼓さんを見て、慧音さんが笑って見せた。
 どうやら自分でも気難しい事を言ったという実感があったらしい。

「今日は祭りだ。深い事考えず、存分に楽しんでいってくれ」

 適当な挨拶を終えたから、散策再開……の筈だったけれど、慧音さんの気まぐれによって、私の思考は暫し削ぎ落される事になる。

「ちなみにだが、二人はどういう関係なんだ?」

 慧音さんは大して興味を持っていないのに、そんなことを聞いてくる。会話の間を持たせるとかの、あまり意味がある行動ではないだろう。
 適当に受け答えしようと思っていた矢先、私の隣から妙な声が飛んできた。
 誰に聞いているのかはっきりと口にしていなかったから、雷鼓さんが瞬時に答えたのだ。

「恋人よ」
「「はっ?」」
「だから、恋人。そうよね、影狼ちゃん?」
「そうだったのか?」
「あっ、えっ、いや、はい! って、違いますから! バンド仲間です!」

 なんか首を横にブルンブルン振っている自分がここにいる。
 取り敢えず、首を横っているのが今はベスト。というよりも、言葉が頭に思いつかないし、頭振っているから思考も定まらなかったり。
 なんて傍目から見ても取り乱している私とは裏腹に、雷鼓さん、聞き手である慧音さんは落ち着いている。特に、慧音さんは何だか怪訝な表情を浮かべたままで固まっている。
 何か言いたそうにしているんじゃないかな、そう思った直後に彼女は呟いた。

「バンド?」
「私が太鼓のようなもの叩きます。そして、彼女が歌います」
「おおっ、それは驚きだ。阿求にも伝えておかなくちゃいけないな!」

 雷鼓さんは今度は嘘をついていないし、慧音さんの反応も間違ってはいない。
 そして、私の心やら、プレッシャーやらが重くなったのも事実である。
 気が晴れるどころか、余計に落ち着かなくなる。気晴らしどころか、逆効果なんじゃないか、コレ。









 雷鼓さん曰く。

「夜店を制する者は祭りを制す」

 しかし、私は夜店を制する方法が金銭面以外に思いつかない。
 許容と奉仕の心を胸に、所持金を各所でばら蒔いたところで、幸せになれるとも思っていない。
 適当に歩き回っているだけでいいのでは、なんて口にしたら、雷鼓さんは拗ねてから、夜店の重要性についての説明タイムへ移行するだろう。
 先行する雷鼓さんに振り回されている感に苛まれながら歩いていくと、妙な行列を発見した。
 夜店なのに机が並べられていて、客と思われる人間達は机に向かって黙々と何かを行っている。
 雷鼓さんがさっさと進んでいこうとするので、取り敢えず立ち止まって、こっちの意思を見せる。

「あれ、一体何しているんでしょうか? 授業?」
「ああ、これ? 型抜きね」
「“型抜き”、って一体なんですか?」
「うーん、それは口頭での説明が難しいわね。先に見てみたらいいんじゃないかな?」

 許可が出たので一緒に机に近付くと、更に意味の分からない光景が私の目に入ってきた。
 子供達が持っているのは画鋲で、それを器用に使いながら何かを擦ったり、刺している。その何かは、黄色、ピンク、水色といった淡色で、平ったいのは共通だ。
 型抜きという言葉から、何となくやろうとしている事は分かるけれど、それがお金を払ってまでしてするべき、しかも子供が集まってくる店だとは思えない。

「見て大体把握したと思うけど、あの子達が削っているのが型。型には溝の線で色々な絵が書いてあって、針を使って絵の通りに削りきるのが目的」
「なんか単なる時間潰しみたいですね。得るものが無いとなんとも……」
「型通りに抜くと、その絵に見合ったお金が貰えるわ。料金表はこれね」

 料金表を見てみると、上手くいけば必ずキャッシュバックがあるような値段設定が成されている。絵柄にも難易度があるらしく、値段はバラバラに設定されていたり。
 林檎、傘、燕、お団子といった中に一つだけ明らかにおかしい型が紛れている。それは、一番難しい型であり、里の誰もが知っている人間なのだろう。

「博麗の巫女さんが型になっているようですね」
「有名税ってところかしら?」

 子供達が四苦八苦し、唸りながら作業している。そんな中に、大きな赤いリボンを纏った赤と白の服、彼女がギャラリーの注目を集めているのは、高額型のモデルになっているからに他ならない。
 私も彼女を知っている。博麗霊夢の名を知らぬ人間、妖怪は微々たるものだ。
 巫女の姿を見ると、悪夢の夜が蘇る。人間に対して三連敗した夜の始まりである。
 執筆に没頭する物書きの如く机にひっつき、真剣な眼差しで針を動かす。彼女がしているのも当然型抜きで、型は自分自身であった。
 今までどれだけの時間を掛けたのか、型の70%程がもう抜けている。
 ふぅ、と一度息を吐いた彼女は顔を上げる。話し掛けるには丁度いいタイミングである。

「あんた、何してんの?」
「妖ふぁいあ、ふぁふぁひぃまぃ……」
「食べ終わってから話したら?」

 彼女の喉が動いた。
 作業台の端には焼きそばが置いてある。

「妖怪が馬鹿しないように見て回っているのよ」
「型抜きしながら?」
「私、型抜いてお賽銭にお金入れておくんだ……」
「相変わらず妖怪退治の報酬ばかりで、賽銭は不況なのね」
「余計なお世話よ。あんたらが暴れるから妖怪と仲が良いと勘違いされて、お賽銭が集まらないのよ」
「歯に青海苔が付いているわよ」

 楊枝が無かったからといって、妖怪に刺す為のニードルを自分の口に突っ込むのは妖怪側の常識から見てもどうかと思う。
 型抜き戦士は首を回したり、肩を回したりして、余計な凝りを取っている。一つのミスで全てが水泡に帰すのだから、慎重に慎重を重ねるのも無理はない。
 祭りという気分が盛り上がる企画の中で、針一つで黙々と型と戦闘するのは、なんだか勿体無い気がする。どうせならパッと明るくなれる何かをしていたほうが、祭りらしいというか。
 そう考えると、ステージで歌うのは祭りらしい行事かも。

「この博麗霊夢、針の扱いには慣れているわ。さあ、ラストスパートよ!」
「せいぜい気を付けてやることね」
「分かっているわよ。注意する部分はもう首くらいしか……あ」
「あ」
「あ」

 場で巫女を見ていた全員が言葉を漏らしてしまったと思う。
 何故なら……もげた。
 正確に言うと、首から上と首から下が乖離した。
 本人も一番気にしなきゃいけないと分かっていたのに、現実は非情にも彼女にNOを突きつけたのだ。
 巫女は絶句したまま、ただ机の上に置いてある首が離れた自分を見ている。
 そして無言のまま残骸を拾い上げ、それを口にした。
 バリバリ、バリバリ、敗者が奏でる音が巫女の口から響いている。

「ああ、この型は一応お菓子なのよね。美味しいものではないけど」

 自分の偶像を食べる心境とは、一体どういうものなのだろうか?
 あまり理解したいものではない。
 悲しみに沈む巫女の背中を一度見て、私達は型抜き屋台から去っていった。














 斬新な店、斬新な商品、そして楽しそうに子供と戯れる店主達。その中に、奇妙な光景も同じく入ってくる。
 夜店の下に机も十分変であったが、水槽というのはもっと変だ。
 話す切っ掛けを掴んだ私は、自称夜店マスター:雷鼓さんへと聞いてみる。

「あのっ、これは何でしょうか?」
「これは金魚掬いね。祭り意外では見た事ないわねぇ」
「なんか小さい魚が沢山泳いでいます」
「金の魚と書いて金魚」
「金、ですか?」

 水槽へと目を向けてみても、赤と黒ばかりで、金の魚は存在しない。槽の隣には虫眼鏡のような道具がずらりと置いてある。レンズの代わりに紙が目張りしてあるその道具の用途、ギミックは不明だ。
 考えていたところで答えは見つかりそうにないので、降参の意を込めて雷鼓さんへと顔を向ける。
 私が何一つ理解していない事に感づいたのか、雷鼓さんはニヤリと笑って口にする。

「やってみたら?」
「やる? といっても方法が……」
「ルール自体は簡単。そこにある道具で槽の金魚を器に移すだけ」
「えっ、あの紙でですか!? 無理ですよ! 紙を水に濡らしたら破れちゃいますし」
「試してから言ってみなさい」

 お金を払ってやってみる。
 魚は俊敏且つ警戒心が高く、道具の影一つで水面から逃げてしまう。
 水につけて追いかけても、水中の為にこちらの動きは阻害される。
 なんてしている間に、紙は破れてしまった。
 あえて言わせてもらおう。心の中でだけど。
 この夜店、堂々と詐欺を働いていないか? お客様に無茶な要求をしているから、誰も寄り付かないんじゃないか?

「駄目ですよ、やっぱり」
「そりゃ、水の中で紙付きの道具で魚追い回したら普通破けるでしょうね」
「でも、水に浸からせないとどうにもなりませんし……」
「紙を水に濡らしたら破ける。つまり、紙を水にできるだけ接触させないのがポイント、ってことよ」
「言うのは簡単ですが、行動に移すのは難しいと思います」
「ふふっ、よく見てなさい」

 得意げな顔が可愛い雷鼓さんが、下準備なのか一度髪を掻き上げる。
 うなじから底知れない色気を感じ取ってしまったが、取り敢えず過度には意識しないでおく。意識したらこっちの負けである。というより、そんな場所に気が付いた時点で、既に敗北している感はある。
 店主のおやじさんにお金を渡し、代わりに金銭相当の価値があるとは思えないしょぼい紙の網を貰う。正直、これで魚を掬えるとは思えない。
 雷鼓さんは道具を右手に持ち、水面を見たまま固まっている。目だけは魚を追っていて、簡単に掬い上げられそうな獲物を探しているのだろう。水面から水中、再び水面へと上がってくる魚の動きに規則性は無く、仕留めるのは至難の業、な筈。
 そんな時、彼女の右手が素早く動いた。
 その道具は空中から水面をなぞり、再び空中に戻って器へと向かった。
 器の中には一匹、水槽にいた筈の赤い魚が優雅に泳ぎ回っている。

「す、すごい……」

 汎用的な感想しか頭に生まれてこなかったけれど、雷鼓さんはそれでも目を丸くする私を見て満足してくれたようだ。
 調子に乗る雷鼓さんは二匹、三匹と逃げ遅れる魚を次々に器へと取っていく。そして四匹目を掬い上げた時に、紙は破れてしまった。
 驚いているのは私だけではないようだ。

「お姉ちゃん、上手いねぇ」
「コツさえ掴めば誰でもできる。そうでしょ?」
「誰でもコツが掴めれたら、こちとら商売にならねぇよ」

 器から指に引っ掛けられる容器に移し替えられた四匹の金魚が、雷鼓さんへと渡される。
 狭い水の中で泳ぎ回る金魚達は、まだまだ元気があり余っている。
 そんな袋が私へと差し出される。

「はい、私からのプレゼント」
「えっ?」
「女の子からの差し入れくらい、はいの一つ返事で貰っておくこと。私からのアドバイス」
「あ、はい」

 受け取ったのはいいものの、私の中にはこの夜店を見てからずっと頭に残っていた疑問が一つあった。
 聞く機会が与えられたことだし、今聞いてみるのが良いだろう。

「ところでこの魚、どうやって食べるのですか?」















 かき氷なる氷を一気食いして、頭痛に苛まれる蓬莱人二人組。
 射的の腕をドヤ顔で披露する吸血鬼。
 おみくじを用意して地味に布教を行う尼僧。
 古くから伝わる乱舞を見せる道士。
 その皆の表情が柔らかいものであった。
 だからこそ、祭りというものは楽しいのだろう。



 公言通りにあんず飴を四人分買い、残った二本を舐めながら歩いていると、見覚えのある顔、というよりも今や私の師匠でもあるわかさぎが歩いていた。
 人魚は普段、上半身人間下半身魚の姿をしているが、勿論下半身の姿を変えて二足歩行することもできる。水を浴びると足が魚の姿に戻ってしまうらしいが、祭りの途中ならそんなトラブルも無いだろう。
 隣にいるのはこれまた草の根妖怪ネットワークに名目上所属しているろくろ首、赤蛮奇である。彼女はあまり誰かと一緒にいるようなタイプではないと認識していたので、わかさぎと仲が良い事を私は知らなかった。
 先に気が付いたのは私だが、先に話しかけたのは雷鼓さんである。
 そういえば、私のせいで二人は面識があったんだ。
 勿論、私が話しかけなかったのにも理由はある。ここまで隠してきたんだから、言わずに終わりたいところだ

「雷鼓さんに影狼ちゃん、こんにちわ」
「ふふ、こんにちわ」
「ずいぶんと楽しんでいるみたいね」

 若干いやみに聞こえるような言葉が自分の中から出てきたのは、きっとこれから(自分にとっては)大役をこなす必要があり、彼女達のように身軽に楽しめないからである。
 私の気分を二人は察していないだろうから、これくらいの言葉は許してもらいたいところだ。
 ほら、蛮奇も全く見当違いな返答を……。

「そっちこそ練習しなくていいのかい?」

 …………。
 何故に知っている?
 ニヤニヤしながら毒を吐いてくるあたり、私が本番前にして芳しい状態でないことすら踏まえているように見える。
 わかさぎに目を向けるとアハハと苦笑い、更に隣に目を向けるとわかさぎとほぼ同じリアクションをしている雷鼓さん。
 何となく状況を把握した。雷鼓さんがわかさぎと会った時に、隠していた情報が漏れたのだろう。そして、私が隠そうとしていたから、わかさぎは練習中にも言及はしてこなかった、というわけだ。
 生真面目というかなんというか。気が付かないところで世話を掛けていたようである。
 そして、わかさぎの隣にいるやつは性格が悪い。曲がっている。
 申し訳なさそうな顔は、いわゆるわかさぎのデフォルトである。

「ごめん影狼ちゃん。不幸な事故だったの」
「そう、まさか影狼ちゃんがわかさぎちゃんにヴォーカルであること隠しているなんて知らなくてさ。というより、何で隠していたの! せっかく見に来てくれるかもしれないのに勿体無いじゃん!」

 途中まで一緒に謝る気だった雷鼓さんは、何故か私にキレている。これが逆ギレというやつであろう。
 まあ確かにこっちはただで教えてもらっている身。自分が何のために教わっているのかちゃんと示すのが、親しき仲でも必要な礼というものだったかも。
 反省すべき点は反省しつつ、返答しなければ。

「何故か今日歌うことになってしまいました。できれば歌う前にさっさと帰ってくれると嬉しいです」

 全然反省していません、すいません。
 いや、だって恥ずかしいじゃん。加えて知り合い、しかも教えてくれているわかさぎが聞きに来るんだよ。
 そんなわかさぎに情けない姿を見せたくないじゃん。

「影狼ちゃん。今、私は猛烈に怒っているんだけど。本調子ならリアル雷落としているよ」
「……自分でも失礼かつ情けないこと言っているのは分かります。すいません」
「謝る相手が違うでしょ」
「ううっ」

 叱られている姿を見て笑う蛮奇は極めてどうでもいいにして、わかさぎは私達の微笑ましいやり取りを見ても尚、心配そうな顔のままである。
 非常に気弱で優しい彼女のことだ。私の言葉を真に受けてしまっているのだろう。

「……本当に来て欲しくなかったら、行かないけど。残念だけどさ、影狼ちゃんの為だし」

 汚名返上の好機である。ここでビシッ、と決められなかったら、本番でも上手くいくわけもない。
 雷鼓さんも同じことを考えているのか、私にだけ感じ取れる信号を送っている。
 その方法は原始的且つ暴力的、後ろから抓られているせいで、背中が痛い!

「……不肖な弟子のためにも来て下さい」
「本当にいいの?」
「えっと、上手いかどうかは保障できませんが、最高のパフォーマンスができるように死ぬ気で頑張るんで」

 わかさぎに笑顔が戻ったのだから、口にした意味はある、そう思っておこう。
 本当に引けなくなった。そんな気がした。
 もうとっく前から、引けない場所にいたというのに、今更気が付くなんて間抜けな話である。













 私には気晴らしにならなかった散策だけど、少なくとも雷鼓さんは終始ご機嫌だった。
 空元気かどうかの判断は私にできないけど、彼女が楽しそうにしているのを見るのは好きである。
 好きという言葉、歌詞の中でしか見ない言葉だったのに、ポツリと頭の中に浮かぶことがある。
 合宿の夜に八橋が口にした言葉が切っ掛けになっているんだろう。
 そんな事を考えてしまうと、雷鼓さんの隣にいることさえ恥ずかしくなったりする。
 まあ、でも、そんな時間も終わりだ。
 ステージのある会場に戻ってくると、私達以外の演奏者も集まり始めていて、幾分騒がしくなっていた。
 時間というものは意識しなくてもきっちりと進んでいるのである。

「あーあ、楽しい時間も終わりかぁ」
「雷鼓さんにとっては、これからもっと楽しい時間が控えていますけどね」
「おっ、言うねぇ。緊張は少し解れたかな?」
「全然駄目なので諦めました」

 飴を渡すべき相手がどこにもいない。一通りの準備が終わったから、私達と同じように夜店周りを巡回しているのかも。
 邪魔しないように移動しつつ、お客さんの位置からステージを見上げていると、私の身長分くらいの高さがある。別に凄く高いわけではないけれど、その場所に立つということは私からしてみれば特別なことなのだ。
 自分がこれから上がる場所を下から見上げているだけで萎縮してしまうそうになる。

「ど素人に何かアドバイスとか無いですか?」
「どんな?」
「実際に演奏している時にどうとか……」

 自分で口にしていて抽象的だなぁと思ってしまう、そもそものライブという積み立ての知識が無いから、言葉にするのも難しい。
 そんな足りていない表現から回答を捜す雷鼓さんは、ステージをただじっと見つめたまま、独り言のように呟いた。

「ドラムをこうやって人前で演奏するのは初めて。今まではずっと和太鼓だった」
「意外ですね」
「あの異変からそんなに日も経ってないし」
「つまり、あんまり練習せずにドラムを叩けたってことですよね」
「初めてドラムスティックを持ったとき、手に吸い付くような感覚があったのを覚えてる。もう太鼓より慣れているかもね」

 笑ってみせる簡単に言って雷鼓さんであるが、私には羨ましさくらいしか沸いてこない。
 これが付喪神とその他の感性の違いというやつなのだろうか?
 そんな演奏のスペシャリストが口にした言葉は、私が求めていたものから程遠いものであった。

「最高に気持ちが良い演奏をしている時ってさ、脳みそが追い付かないみたいで、私の記憶って飛んじゃうんだ。だから、ライブの時の記憶も殆ど無かったりするの……全くアドバイスにならなくてごめんね」
「いえ、質問に無理があっただけだと思います。こっちこそ変なこと聞いてすいません」
「自分が悪くない時は謝らなくていいんだよ」
「すいま……」
「こら」
「……はい」

 弱気になってもいい事なんてない。私は知っているはずである。
 知っているとできるは違うということだろう。
 自分の役割を果たせないんじゃないか? そんな不安を払拭すべく、雷鼓さんは優しく声を掛けてくれる。

「大丈夫だよ。影狼ちゃんにはあの時に私に言ってくれた熱い気持ちがある。だから、絶対に大丈夫」
「それ根拠にも何もなっていない気が」
「本番に必要なのは熱意と自分が楽しむ心、音楽が好きな自分を忘れないで」

 誰かのためにする訳じゃない、自分の為に演奏する。
 確かに忘れちゃいけないことで、本番の緊張で忘れかけていたかも。
 もし誰かの為だとしたら、それはきっと仲間のため。
 忘れてはいけない。私はセカンドビートのヴォーカル。一人ではないんだ。

「影狼ちゃん、ちょっと凛々しい顔してる」
「むっ、馬鹿にしないで……下さいよ」
「格好良いぞ。流石は我等がメンバーのヴォーカルにして、プリティーフェイス」
「いや、可愛いのは雷鼓さんのほうが……」
「……えっ?」

 あ、あれ? 何を言っているんだ、私?
 いつもは冗談を笑い飛ばしてくれる雷鼓さんも、今は顔を赤くして私を見ている。
 ただでさえ演奏が近づいてきていて緊張しているのに、更に変な緊張を覚えるのは御免だ。
 不可思議な沈黙を無理やりに破った。

「ちょっと、飲み物買ってきますね! 喉乾かしたくないですし」
「あっ、うっ……うん」

 返事を聞き終わる前に手に持っていたあんず飴を渡して、この場所、雷鼓さんから逃げ出す私。
 これだけ鼓動が激しい状態が続くと、今日一日心臓がもたなそうである。
 私は生きて今日を乗り越えられるのか?










 話に聞くに、どうやらこのステージでの演奏は里の祭りの中でも大きなイベントらしい。
 その話が嘘でないというのが、ステージの裏から客席を覗けば嫌でも分かる。
 人、人、人が大量に集まっている。里にこんなにも人がいたとは。
 怖いわー、人間怖いわー。
 人だけでなく、妖怪らしき姿も疎らに見える。特に人間有効度の高い妖怪達は、祭りにも精力的に参加していた為、この場所にいても人から何か言われたりはしない。
 昔に比べて人間と妖怪の有効度は上がった。元来の捕食者、非捕食者の関係ではないのだろう。
 目下、自称:歌姫が人間の演奏者を引き連れて、ステージ上で話をしている。
 ヴォーカルである夜雀の馴れ馴れしい挨拶がスピーカー越しに聞こえてくる。私はそんな愛嬌のある挨拶などできないし、自分には向いていないだろう。そもそもステージの上でニコニコできる気がしない。

「流石は場慣れしているだけあって、パフォーマンスも上手いわね」
「でも、演奏が彼女の魅力を生かしきれていない。勿体無いわ」

 裏から様子を見ながら、他者の寸評会をずっとしている雷鼓さんと弁々さん、二人は普段着からステージ用の和服に着替えているので、見ているとなんだか違和感がある。
 違和感と言えば、私が来ているこの振袖も違和感バリバリだ。布地が多いから毛の心配をする必要性は無いけれど、粗暴を示した狼がこんな服を着ていると思うと不思議と嫌悪感が沸いてくる、布の色とか模様は綺麗だけどさ。
 更に言うと、獣耳を隠すフードは振袖とミスマッチしている。必需品だから仕方ない。
 前半は落ち着いた雰囲気で入る曲だから、そのイメージに沿った衣装なのだろう。
 曲がテンポアップする境目、前半と後半の間にスモークが炊かれるらしく、その間に服を脱がなければならない。私も着物の下にロングドレスを着ているので、正直熱いし、非常に動きにくい。まるで今にも暴れだしそうな身体を無理やり締め付けて抑えているようである。
 それに対して、皆さんの後半の衣装は私のように暑苦しいものではない。獣の血、いや毛さえ無ければこんな苦労は無いというのに。ヒラヒラに憧れているわけじゃないけどさ。
 そんな様子をいつも通りぼーっとして見ているかと思われた八橋であるが、彼女の様子は明らかにおかしい。
 八橋も緊張を抑えられないのか、頻りにお腹を押さえている。
 演奏に支障が出ないだろうか?
 少しばかり親近感を覚えながら、一声掛けてみた。

「お腹痛いの?」
「ちょっとね。本番前にこんな事になるなんて……」
「大丈夫。私もそうだから、八橋だけじゃないよ」
「えっ? 影狼ちゃんもかき氷を二杯食べたの?」
「…………」

 私はまだまだ甘かった。
 八橋のマイペースっぷりについて、私は認識を改めなければならないだろう。







 夜雀達のパフォーマンスが終わり、いよいよ私達の番である。楽器を前半と後半で変更するというギミックを控えているので、準備に時間が掛かる。一度ステージを断幕しつつ準備中だ。
 いそいそと舞台に向かう私達の横を通り過ぎたのは、汗だくの夜雀である。

「だいぶステージ温まってたよ」
「お疲れ様」

 雷鼓さんとは面識があるようで、主に口調が軽い。
 充実した表情のまま裏へと下がっていく彼女は、グットラックの意味を込めたコメントを残した。
 そして、それは私にとって新情報でもあった。

「トリなんだから、最後に最高に盛り上げてよね」

 トリ? いわゆる最後のことである。
 私達がラストの演奏? そんなの知らないんだけど?
 隣にいた八橋と弁々さんに聞いてみると、“言わなかったっけ?”、“聞かれてもいない”とあまりにそっけない回答が返ってきた。
 驚くよりも溜息が先に出た。今更だし、何言われても驚いていられない。
 まあそれはそうなんだけど、このメンバーいつも大切な事を口にしないというか、隠すというか。いや、重要な情報が何であるのか、その部分が私とメンバーで致命的にズレている気がする。
 文句を言ったところで改善の見込みも無さそうだけど。
 流石に舞台に上がると、今まで私よりも幾分余裕を持っていた三人にも、緊張の表情が見て取れる。雷鼓さんに至っては、身体がリズムを刻みたくて仕方がない様子で、撥をこすり合わせつつ身体もむずむずしている。
 私はここに上ってから、意外と落ち着いているかもしれない。膝のガクガクや声の震えも収まっている。マイクを持つ手は汗ばんでいるけど、力はしっかり入る。
 ドコドコと内から外を叩き続ける心臓の音だけは、ずっと変わらないまま。いや、待ちきれずに先にビートを刻んでいるだけなのかもしれない。
 演奏前に声をかけるのは雷鼓さんの役目、練習と同じ。

「さぁ、私はいつでもいけるよ。マイペースベーシスト、八橋ちゃん、調子はどう?」
「楽しくて仕方がないです」
「バランスギタリスト、弁々ちゃんは?」
「いつもと変わらないよ」
「我等が歌姫、影狼ちゃんは?」
「覚悟は決めました!」
「よしっ、それじゃあセカンドビート、始動といきますか!」

 準備は完了。雷鼓さんは手を挙げて、裏方へと合図を送る、いつ幕を開けてもいいと。
 そして静寂は外部者によって破られる、進行役の紹介は簡素なものでしかない。
 セカンドビートのレトロスペクティブ京都。
 その声に導かれて、幕は開かれた。






 幕が空いても音は無いまま。
 私もその合図を受け取るまで下を向いたまま。
 一体そこにはどれだけの人々がいるのだろうか? どれだけの目が私を捉えれいるのだろうか?
 人を意識せず誰にも見られていない、そう思い込むのは成功する上で重要かもしれない。
 けど、それは私や雷鼓さんが思う音楽のスタンスとは違うと思う。
 最高のリズムを刻んでもらい、音楽から何かを感じて欲しい。
 いや、そんな堅苦しいものでもないか。とにかく楽しんでほしい。
 そして……、私も楽しみたい!
 筝の前奏によって、私達のステージは始まった。







 ステージの先には人、人、妖怪。その中には私の知る者も多い。
 わかさぎの心配そうな顔が見える。彼女もきっと応援してくれていて、そして期待してくれている。
 慧音さんと阿求さん、忙しい身なのにわざわざ来てくれているんだから、情けない姿を見せられない。
 巫女は壁にもたれ掛かりながら私達を傍目で見ている。それはきっと彼女の仕事なのだろう。
 最初のフレーズ。声は震えていない。いつも歌っていた時と同じ声だ。
 歌は決して上手いものじゃないかもしれないけど、それでも練習してきた自分にだけは負けたくなかった。
 ゆっくりゆっくりと進んでいく時間と音楽、その空間は箏と琵琶によって創り出されている。
 走り出したい、そんな心臓の思いを押さえつけているのも二人の旋律だった。
 テンポアップまでをどうやって歌えばいいのか、私の中の一つの課題ではあったけれど、苦手な場所を無理する必要はない。皆の演奏、呼吸、鼓動に合わせて歌うのが今の私の中の最善。
 心が宙に浮かんでいた昔とは違う、ちゃんと周りは見えている。誰がどうやって引きたいか、どう思っているのか、音を通して理解できるのだ。まるで神経を共有しているようだ。
 だったら、私が気持ちよく歌えているのも皆に伝わっているのだろう。



 歌は優雅なままに終わりを告げ、ステージは霧に包まれていく。
 太鼓、琵琶、筝の音は消え、私はまだ歌い続ける。ゆっくりと扉を閉じるように。
 この曲は一度終わる。そして、新しい楽器により新しい鼓動を得て、生まれ変わる。
 最初は私もこの変調に驚き、興奮したんだ。そんな驚く顔が私は見たかった。
 背後から聞こえていた和太鼓の心地良い音は消え、準備運動でしかないドラムからの忙しない音へと変わっている。
 予定に反して、私はフードごと着物を脱ぎ捨てた。
 私はウェアウルフ。狼の気高き誇りなんか持ち合わせてはいないけれど、それでも自分を隠したりはしない。第二の鼓動を手に入れた今泉影狼として、そして信頼できるみんながいるセカンドビートのヴォーカルとして、ステージの上に立っている。
 雷鼓さんは体調不良なんてなんのその、最初から飛ばしている。和太鼓の時の静かな演奏はどこへ、霧を吹き飛ばすような音の洪水。
 続いて八橋のベースの音、そして弁々さんの……ギターは?
 聞こえない? どうして?
 ギターの音が入力されていない!?
 近くにいるから私には微かに聞こえているけど、これでは演奏にならない。
 霧は晴れつつあり、私も曲へと入らなければいけない。その前になんとかしないと!
 弁々さんもやっと気が付いたのか、その顔は青白いものへと変わりつつある。
 私の脳は問題の原因なんかをすっ飛ばし、自分が取れる対処法を即座に叩き出していた。
 ステージの上で動けるのは私だけ、マイクを持っているのも私だけ。だったら答えは一つだ。
 そもそも、私にマイクなんて最初から必要ないんだから。
 霧が晴れ、様変わりしたステージに驚愕の声。
 そして、ギターの音はスピーカーから出力されている。私のマイクのスピーカーからだ。
 弁々さんの背中に背中を預けて、私はいつも口ずさんでいたフレーズを歌に乗せる。歌詞は勝手にアウトプットされ、今までの記憶と練習が確かに今の私を支えている。
 マイクは使っていない、右手にマイクを持って、隠しながら弁々さんの弦の近くに添えている。
 いつもよりも迫力が足りないけど、何とかギターの音を拾っている。
 自分の唯一の道具を失っても、私にとっては全く問題は無かった。いつもはマイクがあったから抑えて歌っていた時も多い。それに比べたら今の方がいいんじゃないかとすら思えてくる。
 空気が足りていない、もっともっと吸い込んで、私色の音に変えたい。
 エネルギーが全部喉に使われちゃっていて、脳が今という処理に追いついていない。これが雷鼓さんの言っていたライブの時の感覚というものなのだろう。
 やっと音響系が復旧したようで、ギターの音に本来の勢いが戻ってきた。思わぬアクシデントに見舞われた弁々さんも落ち着きを取り戻して、本来の音が出始めている。いつもはバランスを合わせようとする演奏に徹していた弁々さんではあるけど、トラブルがあった故に挽回しようと思っているのか、いつもよりも我が強く出ている。
 弁々さんの背中から離れて中央へ向かうと、音の入り方がいつもの具合へと戻っていく。ステージの中央、ヴォーカルは一番演奏が楽しめる位置だと思っている。
 八橋のマイペースな演奏っぷりは本番になっても変化はなく、元の音楽のバランスを取っているのは間違いなく彼女だ。お腹の痛みも癒えたらしく、八橋らしさに溢れた笑顔での演奏は眩しく感じる。
 弁々さんはバランスを取りに行くというよりも、時々アレンジを入れながら主旋律を刻んでいる。調和を重視していた弁々さんの演奏スタイルは鳴りを潜め、代わりに怒りや焦り、やるせなさやふがいなさ、弁々さんが今持っている感情をそのまま楽器へと乗せている。
 それでも激しさというより、静かに燃える、弁々さんらしい音がギターから刻まれていた。弁々さんなりの最大限の表現であり、曲を崩さない最大限の譲歩が今の演奏なのかもしれない。
 雷鼓さんは大舞台という緊張感をエネルギーへと変えているのか、火のついた乱打は止まることなく、曲に同調し、演奏から更なる力を得て曲を支配している。もはや暴走と言うべきドラムの猛り、でもそれが雷鼓さんの演奏なのだ。
 演奏はステージ上だけではなかった。手拍子、歓声そのビートは空間の全ての音を纏い、新たな脈動としてステージを駆け回る。その脈動が演奏者を更なる高みへと導くのだ。
 私もただその世界から生まれた感情をそのまま歌詞へとのせて、綺麗ではない声を絞り出した。この場所に私がいると証明する為、音楽が楽しいものと伝える為、そして何よりも私が楽しいと思えるから歌っているんだ。
 自分が今泉影狼であることなんて、もはやどうでもよかった。壁を作り孤独だった事、人狼である事、演奏に不安があった事、すべてがどこかへと消去されて、ただこの場所で歌っている自分という存在だけにスポットが当たっている。ここに音楽があるから歌う、シンプルだけど絶大なる説得力が私を動かしている。
 歌うだけでは表現できず、縦横無尽にステージの上を駆け回った。時には八橋の近くで跳ねてみたり、雷鼓さんとお互いに指を刺してみたり、その行動全てが私達の奏でる演奏、それに伴う聞き手達の反応から自然とアクションが生まれていた。
 最初は広く感じていたステージがこんなにも狭いものであると知る。今、私の観測する世界はただただ小さく、この音楽が支配する世界の中で全てが収束している。
 サビに入って、テンポは最高速に加速していく。最初の穏やかな演奏が聞き手の頭に残っているから、このスピード感に驚き、心を奪われるのだ。最初に聞いた私もそうだったから。
 曲さえも一番から二番に移ってから再誕している、いわばセカンドビートであった。





 歌いきった私は顔を下げたまま、歌い終えた終りへと向かう演奏を楽しんでいた。
 消えるギターの音、旋律がテンポへと変わる。
 最高速のまま駆け抜けた私達の“レトロスペクティブ京都”は、ドラムとベースの余韻を残して終わった。
 顔を上げるのが若干怖い。楽しすぎて、自分が上手く……どころかまともに歌えていたのかさえ分からない。でも、みんなが最高の演奏をして、お客さんも含めて最高に歌いやすい場所を作ってくれたのは確かだった。
 そんな不安を消した、手を叩く音一つ。一瞬の静寂の後に発生した拍手は、見る見るうちにステージを包み込んだ。
 顔を上げた私は間違いなく笑っていただろう。
 今更になって、心臓のあの騒がしいビートが蘇る。歌っている時には聞こえすらしなかったのに、忘れられて不機嫌なのか、それとも単純に血が足りないのか、私に何かを訴えかけている。
 空気が燃えているのか、喉が焦げているのか、思うように呼吸ができていない。一度止まってしまうと、こんなにも疲労感に襲われるものなのだろうか?
 そもそも汗だくだった。長めのドレスを身につけてあんだけ動き回ったんだから、汗の一つくらい掻かないと逆におかしいけど。
 脳みそが追いつかないという雷鼓さんの言葉と似て非なるものであった。自分が歌っていた時の最高の光景が脳へとこんがりと焼けてしまっているんだ。その光景を思い返す度に、心臓が鳴り響くのだ。もっと刺激が欲しいと。
 その心臓の要求に、お客さん達が答えてくれた。
 拍手は消え、代わりに自然と発生した「アンコール」の声。
 司会の全題目終了の言葉は見事に遮られ、終了を諦める始末。
 まだ、音楽を楽しみきれていない、もっともっと楽しみたいんだ。そして、それは私と全く同じ。きっと私の鼓動はみんなと共鳴している。この場所が一つの心臓となっている。
 視線は雷鼓さんでも八橋でも弁々さんでもなく、見事に私へと集中している。ステージの中央にいるのは私で、先程まで歌っていたのも私である。
 助け舟が欲しいと振り向いてみるけど、「決めちゃいな!」というサムズアップを伴う雷鼓さんの声、無茶ぶりもいいところである。こんな練習は当然していない。
 さて、自分の手にはマイクがない。演奏時にずっと使っていなかったんだから当然だ。どこに置いたんだっけ?
 キョロキョロと情けなく辺りを見渡していると、苦笑いで弁々さんが私にマイクを渡してくれた。
 客席から笑い声一つ。
 演奏が無い状態で声を出すのは、曲の入りよりも緊張するんだけど。
 視線が一段と集まる中で、生唾を飲み込んでから、マイクを口元へと持ってきた。

「えっと……、皆さん! こんばんわ! セカンドビートです!」

 なんか驚かれる。おそらく、歌っていた時と声が違うからだろう。
 雷鼓さん達にも言われているので、まあそうなんだろう。実感が湧かないのは常に私だけである。
 所謂自由時間であるが、別に面白い話を持っているわけでもないので、当たり障りの無い内容になってしまうのは、普通の流れであるといえる。

「ちょっとお時間を貰ったので、メンバーの紹介をしたいと思います」

 さて、私から一番近くにいるのは弁々さんである。
 露骨に目線を逸らされている気がするので、なんとなく気まずい。でも、めげない。

「彼女は九十九弁々さんです。音のバランスを取るのがとても上手くて、楽器のメンテナンスもしてくれています。琵琶に似た楽器を持っていますが、これはギターと言います。琵琶よりも大きいし、弦の数も多く、繊細さよりも音の強さが出せる楽器となっています」

 少し顔を赤らめながら軽くギターの音を出してみせる弁々さん、どうやら彼女も私と同じで多くの方に見られるのが苦手なようである。

「彼女が九十九八橋さん、名前の通り弁々さんの妹さんで、いつも笑顔で真面目だけどマイペースが玉に瑕。八橋さんが持っている楽器はベースといいます。ギターに似ていますけど、ギターよりももっと低い音が出ます。曲の根底を担う縁の下の力持ちさんです」

 ギュイイーン、と高い音を鳴らしてみせる八橋、音出しをした時から事ある度にやっているテクニック(?)なので、本人は気に入っているのだろう。ちなみに演奏中に使用する機会は今のところないらしい。
 あと私の説明が嘘みたいに聞こえるので、ベース本来の低い音をちゃんと出してください。

「最後にセカンドビートのまとめ役である堀川雷鼓さん。彼女がいなかったら私はこの場所には立てなかったので、本当に感謝しています。この叩ける場所が沢山ある楽器はドラムと言って、こんなふうに叩くんです」

 雷鼓さんが普段のウォームアップと同じように叩いてみせると、どよめきが聞こえた。軽く叩いていてもそのスピードは段違いであり、いつ何を叩いたのかがわからないのだ。
 今私が見てもすごいと思う。
 さて、紹介が終わったので、上手くまとめよう。

「演奏の際には、是非ともその技術も見てもらって、多くの人に楽器に興味を持ってもらえればと思います!」

 自分で言うのもアレだけど、アドリブとしては合格点、なんじゃないだろうか? というより、これ以上上手くできる気がしない。
 なんて思っていたら、背後からツッコミが。
 それは実に的確であり、致命的なミスだった。

「あっ、自分を忘れていました。すいません」

 客席から笑い声二つ。
 笑われてはいるけど、悪い気はしなかった。

「私は今泉影狼と申します。見ての通り、ニホンオオカミ女です。歌い手としてはまだ駆け出しですが、一生懸命歌いますので、よろしくお願い致します!」

 頭を下げつつ、背中に回した指で雷鼓さんへとサインを送る。彼女がスティックを合わせる音は私の鼓動、いやこの場所にいる全ての者の鼓動を刺激する。
 歌え、歌え、声が枯れるまで歌え。脳は既にフライングを希望している。
 その感情を私はマイクへとぶつけていた。

「ではもう一曲、私達にお付き合いください!」



 アンコールがあるかもしれない、練習中に雷鼓さんはそんなことを言っていた。
 でも、正規の曲さえ練習が足りていない私には、二曲目を覚える時間などない。
 だから、雷鼓さんの提案した曲は私にとっては最善だった。
 私が最初に歌わされた曲、私にとって全ての始まりの曲である。
 練習なんて殆どしていなかったけど、今ならばなるようになる気がしていた。
 自信を持って言い切れる。今日は自分の意思でこの曲を歌っているのだと。
 十分に温まっていた会場が再びオーバーヒートするまでに時間はいらなかった。雷鼓さんの音が火を付けて、八橋が支え、弁々さんがバランスを取って進める。そしてその中に確かに私がいた。
 汗で首やおでこに付着する髪の毛を何度もかき分け、それでも体全体でリズムを取って、私は言葉を全ての者へと伝える。時に激しく、時に優しく、感情が剥き出しにされた言葉をこの世界へと残すのだ。
 その意味は伝わっていないかもしれない、別の意味で解釈されているかもしれない。でもそれでいいんだ、音楽の楽しみ方に順序も方法も無いんだから。
 最高に盛り上がっていたステージに我慢できず、演奏を終えていた妖怪達が次々と乱入してくる。ヴァイオリンにトランペット、キーボードにダブルヴォーカル、やりたい放題なのに場の一体感は全く崩れない。
 みんな、きっと音楽が好きで、楽しいのが好きなんだ。とてもシンプルで簡単な回答が、自身の眼前に広がっていた。
 音楽は人と人、それだけではなく、人と妖怪をも繋げてくれる。しがらみという壁を取り払う音こそが音楽なのだ。
 身体がぶつかり合うのにも躊躇いは無く、音に任せてリズムを取って聞いているその姿は、人も妖怪も全く同じだった。
 最高速で音楽は駆け抜ける、それに誰も遅れることもなく。
 いや……違う。ステージ上にいて、いつも演奏を聴いていた。そして何よりも、私は彼女が心配だったんだ。だから、完成された空気に紛れている異変にふと気がついてしまったんだ。
 その異変は、音と光景としてステージ上に現れる。
 ドラムの音が……また消えた。
 私はその全てが壊れる音を一回聞いていたから、歌う事よりも優先すべき行動が何であるか、即座に理解した。
 続いて観客の悲鳴、言われなくても知っている。振り返らなくても分かっている。
 木板で出来た床に倒れ込む赤い髪、体躯。全身を込み上げてくる焦燥感を喉へと押し込み、私はマイクを切って床へと置いた。
 言葉は出てこない。今は発する必要が無いから。
 倒れている雷鼓さんの身体は、私が思っている以上に小さく感じる。
 雷鼓さんは誰かに弱々しい姿を見せたりはしない。彼女の行動限界は既に超えていたのだろう。
 びっしょりと汗を掻いているのに、ずっと見ているのが怖いくらいにその顔は青白く変わってしまっている。
 抱え上げるのに力は要らない。膝と肩を抱えて持ち上げる。いわゆる、お姫様だっこと呼ばれる形になってしまったが、周囲を気にできるほど私の心には余裕が無かった。唖然としていようが、驚かれようが、雷鼓さん以外の反応など今の私には些細な出来事でしかない。

「お疲れ様です」

 その言葉に雷鼓さんが笑った……気がした。
 高揚感は拭えないままの行動は正しい判断基準を揺るがすものだ。だからこそ私は思う、今は自分がしたいと思う事をただしているだけなのだと。
 正しかったかどうかは、後で決めればいいんじゃないかな。
 演奏が蜻蛉切りとなったことで静寂を取り戻した場所から、私達は離れていく。


























(6)

 雷鼓さんが自宅でいいと一言、飛翔中の私に伝えなければ、病院にそのまま直行するつもりだった。病院の治療なるものが彼女の症状を緩和できるかどうかは未知数でしかないけど、永遠亭の者達が私よりも優秀なのは間違いないだろう。
 ドラムの機材よりも全然軽いから、雷鼓さんを運んで飛ぶのに支障は無い。しいて言うならば、身体が急激に冷えているのか、時折悪寒が走るのか、ブルリと震える雷鼓さんの容態が心配である。
 ネクタイを取って、第二ボタンまで外し、しっかりと着こなされていたワイシャツを緩めると、彼女の苦しそうな呼吸音が少しだけ収まった。それと共に、彼女の纏っている香りが私の嗅覚を刺激する。
 どうやら着やせしているタイプのようで、そのワイシャツの間から事故で見えてしまう下着と谷間は、(別に想像していた訳じゃないけど)思っていたよりも大きかった。
 行き慣れた彼女の家、里から最短ルートで帰ってきた為、風に当たりながら飛翔していても、私自身はライブ後の興奮やら熱が冷めていなかった。
 そういえばライブを途中で打ち切り、しかも曲の途中でぶった切って、終わらせてしまったんだよね。後で弁々さんから大目玉を食らうかもしれない。
 今日のライブが成功したのかどうか、客観的な観点からは評価できない。未だに身体は熱を過剰に発していて、脳が真っ当な判断基準を設けられていない。一つだけ確かな事は、あの沢山の視線が私に向いている中で歌うのは恐怖などではなく、やみつきになるくらいに気持ちが良いことであった。
 私はいつからこんなエムになってしまったのだろう?
 家に着いたので、鍵を使って雷鼓さんの家に帰宅。ただいまという言葉が頭に浮かんでしまうほどに、私はこの風景に慣れ、空気を気に入っている。
 階段を上がって、ノック無しで彼女の部屋へと入ると、目を閉じたままだった雷鼓さんの口がやっと開いた。

「やっぱ……倒れちゃったかー。途中から記憶無かったし……、はしゃぎ過ぎたかな……」

 お姫様だっこの状態のままベッドに降ろし、布団を掛けてあげても、雷鼓さんは喋るのをやめない。
 呼吸は荒いけれど、呼吸をしている事自体が現状が最悪ではないと示している。

「影狼ちゃんの後姿、最高に格好良い姿だったよ……。歌も最高でさ……パフォーマンスだって、いつもの自信の無さなんて欠片も無くてさ……」
「今は話さなくていいです。後でいくらでも聞いますから」
「……いいじゃん……今、喋ったって」
「そんな弱々しい顔で言われても説得力ないですよ」

 濡れタオルをおでこへと掛けてあげると、やっと静かになった。
 掛け布団の保温効果で少し血の気が戻ったのか、再び彼女の顔は赤くなっている
 近くの椅子に座り、窓の外を見る。夕方を迎え、空は赤橙に染まり、部屋も段々と暗くなっていく。
 ただ、カチッカチッ、と秒針が進む音だけが私の耳を支配する。つい前まで、音の暴風雨の中にいたと思うと、不思議な気分である。
 静寂は嫌いだった、孤独を知ることになるから。
 でも、今はそう悪いものではないと言える。私は独りじゃないから。



 冷えたタオルを用意した後、私は思考を閉ざしたまま、雷鼓さんの顔をずっと見ていた。
 照明を付けず日も暮れているが、狼の目にとってそれはあまり関係なかった。
 安らかな寝顔は、何か安心しているように見える。
 自分よりも大人でお姉さんのような存在、それが私の抱いている雷鼓さんという存在。しかし、こう寝顔を見ていると、意外と近い存在なんじゃないかなって思える。
 違う、ただ自分がそうあって欲しいと思っているだけ。
 どうして? その問いの回答は既に出ている。
 でも、それを口にすべきかどうかは別の問題である。
 私は確かに彼女に惹かれていた。私が持っていない綺麗なものを持っていたから。今でも私は彼女に惹かれている、その理由は大きく変わっていったけど。
 歌詞だったらきっと口にできる。歌詞じゃないから口にできない?
 単純に勇気がないだけ、たったそれだけだ。
 思考に耽っていると、その雑念に邪魔でもされたのか、雷鼓さんの目が突然開いた。
 ビクッ、と反応してしまったのは考え事の影響半分。

「あれ……、寝ちゃってた?」
「……まだ家について20分くらいしか経っていないです」

 時計を確認し、自分で言ってみて驚く。今までの時が加速されていたツケか、私には時間の経過が遅く感じた。
 そして雷鼓さんも私と同じ感覚を共有していたみたいだ。

「なんか、一日分眠った気分なんだけど」
「時間が時間だけに、肉体的な疲れは取れていないと思います」

 背伸びをしてみせる雷鼓さんの顔にはまだ疲れが残っているように見受けられる。
 不確定な魔力に頼っているのだから、急激な回復など考えられない。
 だから彼女の言葉には説得力が致命的に足りていない。

「ちょっと元気にはなったかな」
「もうゆっくりしていていいんです。ライブは終わったんですから」
「……道具あがりだからさ、大切に扱われるのには弱いんだよ」
「別に見返りを要求したりなんてしませんよ。勿論、迷惑でしたら帰りますが」
「話し相手がいないと退屈しちゃうから、それだけはご勘弁」

 濡れタオルを定位置のおでこへと戻した雷鼓さんは、横になったまま話しているのが嫌なのか、寝返りを打ったり、掛け布団の中で動いたり、落ち着きが感じられない。体調が芳しくないんだから、こちらとしては少し落ち着いてもらいたいところだ。
 先程の演奏のことについて話したがっている雷鼓さんではあるが、彼女が演奏について振り返ると、きっと熱がこもるだろう。そして、私も同様の症状をきっと患う。
 音楽以外の話となると、どうしても無難な所へと行き着くものだ。

「具合はどうですか?」
「ちょっと熱っぽくて身体が重いけど……、悪くない気分」

 照れ笑いが眩しく感じる。私はいつからか、雷鼓さんの“そういう顔”に弱くなっていたんだ。
 鼓動が再び早くなったのは、偶然ではなかった。
 そんな気持ちを把握してはいないどろうけど、雷鼓さんの表情は柔らかいままだ。

「たまには誰かに甘えるのも、いいかなぁ……なんてね」

 大切に扱われるのには弱い、そんなことを雷鼓さんは言っていたけど、それは私も同じ。優しい言葉を雷鼓さんに並べられると、私の思考は全て真っ白になってしまうのだ。
 何も考えられなくなるこの感覚が、私には心地良かった。
 横になっている雷鼓さんは何が面白いのか、私の顔をじっと見ている。明かりはないけれど距離は遠くない。私の仕草一つ一つを汲み取られていると思うと、どうしても恥ずかしさを伴う。
 私の今の気持ちさえも、雷鼓さんは手に取っているのではないかと錯覚するくらいに。
 耐えられなくなったのは勿論私であり、静けさが包み込む空気を打破すべく、行動へと移る。

「何かしてほしいこととかありますか? りんごでも買ってきて剥きましょうか?」
「水が飲みたいな」
「了解です」

 部屋からそそくさと出て行った私。やっとまともに呼吸ができた気がした。
 台所に置いてあった無機質なコップに水を注ぐ。透明に透明が満たされて行く光景、満たされているのに決して満たされない、今の私と同じ、なのだろうか?
 考えても意味がない、知っている、コップを片手に階段を登っている間に雑念を切り離す。切り離せていないけど。
 部屋の扉を再び開けると、雷鼓さんは身体を起こしていた。横になったままでは水は飲めない。
 時折目を擦っている為、まだ眠気は覚めていないように見える。魔力不足からくる耐えがたい倦怠感があるのでは、と無い頭で想像してみる。

「はい、水ですよ」

 水を飲んでも具合は変わらないだろうけど、彼女の要望は私ができる事ならば満たしてあげたい。
 私が注いできたコップを受け取る、そこまでは良かった。
 コップを手に持つ雷鼓さんはそれをじっと見たまま、聞き覚えある言葉を再び呟いた。

「水が飲みたいな」
「だから、用意しました」
「飲みたいな」

 コップを持って、中身をじっと見たまま固まっている雷鼓さんの意図が私には全く見えない。
 中身は水である。何か細工をした覚えはないし、細工をするような者として見られている認識もない。無いつもりではいる。
 その意思表示の意味が理解できない以上、私はそれが何の変哲の無い水であると証明するくらいしかできる事が無かった。

「どこからどう見ても、正真正銘の水ですって!」
「本当に? じゃあ飲んでみてよ」

 再び私の手元へと返ってきた水、コップを凝視してみるが異物が入っているようには見えない。まあ、部屋は暗いままだからアレだけど。
 なんだかこうも雷鼓さんが警戒していると、私もこの普通の水を飲むのに若干の勇気が必要な気がしてきた。
 いや、自分で注いできたんだから大丈夫。私が普通に飲んだら雷鼓さんだって納得してくれる筈。

「えっと、いただきます……」

 凝視されていたので、とりあえず一声いれてからコップへと口を付けた。
 ゆっくりとその液体を口から喉へと流し込んでいくと、疲労を覚えていた喉に清涼感が走った。
 ただの水なのにこんなにも美味しい。
 喉が渇いている事実を今になって認識した。緊張状態が続くライブで全力を行使していたのだから、喉だけでなく身体が水分を求めているのは当たり前。
 それだけ私は、あのステージの上で何かを消費したんだ。渇きは充実の証拠として扱えるのではないだろうか?
 中身が半分に減ったコップを置いたその時、私は無防備だった。
 無防備だったからこそ、不意打ちをこうやって食らっているんだ。
 飲み込んで「ほら大丈夫です」、そう喋るつもりだった。でも、それは物理的にできなかった。
 言葉を吐くどころか、そもそも息ができない。それは当たり前だ、私の口は彼女の口によって塞がれてしまっているから。
 彼女? この部屋には私と彼女しかいない。
 強引かつ予測外の接吻、私の口から水が漏れても、雷鼓さんは気にも留めず、私の口の中へ舌を入れて、唾液混じりの水分を啜っている。
 なんで、そう思ったまま固まっていたから、抵抗もできなかった。
 いや、単純に私の身体は抵抗したいと思っていなかったのかもしれない。
 彼女が私の目を見たまま唇を離すと、私のしまりのない口から首へと水が漏れ出てしまった。

「ふふっ……ごちそうさま」
「っ!」

 こ、こっ、このお方はな、なっ、なんてことを!
 やっと感情が戻ってきて、恥ずかしさで頭がおかしくなってしまっている。
 いや、そもそも何で雷鼓さんはこんな悪戯を……。

「冷たくはなかったけど、影狼ちゃんの味がしました」
「ななっ、なななっ!」

 私の味ってなんだ!
 とりあえず、そんな味を水を通してあじあわないで欲しい。こっちが猛烈に恥ずかしくなるから。
 雷鼓さんの顔は相変わらず赤いけど、それが体調不良から来ているのかそうでないのか判断がつかなくなっていた。

「ばっ、馬鹿みたいなこと言わないで下さい!」
「……頭が熱くて、ちょっと馬鹿になっちゃっているみたい。でもこういう感覚、嫌いじゃないよ」

 てへっ、と舌を出せば済ませられるような行為ではない。
 でも、私には怒るとか叱るとか、そんな感情は全く浮かんでいなかった。
 むしろ……。

「……嫌、だった?」
「え、えと、いや、別にそうではなくて……」
「そうではなくて?」
「うっ……、意地悪な質問、です……」

 自分にはいつも嘘を付いてきたのに、雷鼓さんがこうやって私の目を見ていると、どうしても都合の良い嘘が付けなかった。
 私の脳、身体は期待している。だから、ライブが終わったというのにこんなにも身体が火照っている。
 でも、自分からは言えないまま。ここまでお膳立てされているというのに。
 ただの仲間同士の悪戯、それを真剣に勘違いしていたら格好悪いじゃないか。
 こんな時、歌に背中を後押ししてもらえたら、足りていない勇気が芽生えるかもしれないのに。
 でも、不用意に誰かが私の背中を強く押す事もある。
 雷鼓さんはそんな振る舞いをいつもしていたから。
 まあ、今の錯乱した私にはその言葉の意味を知るまでに、少しの時間が必要になったけど。

「お風呂、いかない?」

















 ライブを終えた故、私も雷鼓さんも汗だくである。水を浴びて身体をすっきりとさせたいと思うのは、ごく普通の事。ただ一つ間違っているとするならば、一緒にお風呂に入るという事実だけである。
 雷鼓さんは仲間同士だし裸の付き合いくらい当たり前、くらいに考えているのかもしれないけど、私は先程の出来事も含めて頭がパンクしそうだった。
 自分で言い出しただけあって、雷鼓さんの脱ぐ速度は速く、私の目には既に形の良い小尻が目に入っている。ウエストも引き締まっているし、女の人として憧れるスタイルである。
 見たい、凄く見たいのだけれど、ずっと見ているとおかしい奴だと認識されるだろうから、時折ちらりと視線を送る程度。もうこの時点で十分おかしい奴ではあるんだけど、勘弁してもらいたい。
 タオルで身体を隠そうとしていない以上、私も衣類を全て脱ぎ捨てる以外に選択肢は消えてしまっている。今付けている下着も全てだ。そもそも、下着をつけてお風呂に入る種族などいないだろう。

「先入っているね。バスルームは結構広いから期待していていいよ」

 中々行動に移れずにいた私に配慮してくれたのか、洗面所から先にバスルームへと入っていく雷鼓さん。曇りガラスはぼやけながらも、彼女の整った身体を正確に表している。
 私も目線が無くなったのでスムーズに下着を脱ぐことができた。
 自分の身体に自信があるか、そんな自問をしてみたけど、比較対象が思い浮かばなかったから回答が出てこなかった。少なくとも身体に自信を持たなきゃいけない機会なんて無かったし、そういうことを意識してこなかった。
 今更後悔しても遅いけど。

「し、失礼します……」

 ゆっくりと開けて顔のみで覗き込む。雷鼓さんは私を気にせずに鼻歌一つで身体を洗っている。泡越しにその身体が露わになっているので、思わず鼻から何かが込み上げてきそうになった。
 丹念に洗っている腕はあのドラムの音を掻き鳴らしているとは思えないくらい細いし、その指も細くて長い。パーツ一つ見ても、女の人らしい身体をしていて、素直に羨ましく思う。

「あっ、影狼ちゃん。丁度良い所に」

 誘ったのは雷鼓さんなので、丁度良い所も何もない。手招きされたので、取り敢えず近くに屈む。
 渡されたのは泡付きのスポンジ、どうやら背中を洗って欲しいという意図のようである。
 雷鼓さんの体調が悪いからお風呂に付き合っている、そう思い込もうとするのには流石に無理がある。先程の水の件といい、私が妙な勘違い、妙な期待を抱いても仕方が無いのだ。
 スポンジ越しの背中、直に触ってみたいと思うのは、雷鼓さんが特別な存在だから。
 ただ一度だけ間違えればいいんだ。スポンジを落っことして、この掌で触って、すいませんと謝ればいい。
 そんなシミュレーションを頭の中で浮かべている私は卑しい存在でしかない。真正面から秘める思いを伝えるという手段が取ろうとしないのだから。
 作業に没頭していたわけでもないのに、あっという間に洗い終えていた。雷鼓さんの背中はそんなに大きいものではない。
 お湯で全てを洗い流しておしまい。私の欲望も満たされないままおしまい。
 一仕事終えたというのに、息付く暇を与えずに雷鼓さんはお礼の後にこう呟く。

「じゃあ、私もお返しに洗ってあげるね」

 こうしたらそうなるよなぁ、極めて単純な流れではあったけど、いつにも増して馬鹿になっていた私には、先を予測するという行為自体が不可であった。
 雷鼓さんがこちらを向いたので逃げるように私は背中を向ける。
 バクバクと鳴り続ける心臓が煩わしい。過度の血の供給、循環は吐き気しか生み出さない。
 この鼓動は良くない。私をヴォーカルにさせてしまうから。
 今は臆病な狼のままでいいんだ。感情を暴走させる必要なんてない。
 そういえば、もうスポンジは渡している筈なのに、背中に何かが接触する感覚は一向にない。服を着ていない以上、振り向く事ができないので、ただ待つしかないけど。
 その時、私の身体へと敏感な反応が走った。

「えいっ」
「なっ!」

 気の抜けた声と共に、雷鼓さんは私の肌へと直に触っていた。いや、触るという表現は正確ではない。私の胸を両手で揉んでいる、というのがダイレクトながら正しい表現だ。
 何故こうなっている? そんなの逆に私が聞きたい。
 彼女の指がこねくり回す度に、身体がゾクゾクと反応する。その反応を受け取って、雷鼓さんは再び私へと悪戯を行うのだ。
 更には背中。私に凭れかかるように体重を預けている為に、背中に彼女のふくよかな胸、乳首が当たっている。その感覚がリアルな妄想を不可抗力ながら導くのだ。

「うわぁ。両手では収まりきらない程度ってことは、もしかして私よりも大きい?」
「し、知りませんよ!」

 私の背中に当たっているものの大きさなんて知らない。

「ていうか、何やっているんですか!」
「洗っている?」
「それは洗っているって言いま……ひゃん!」

 先を優しく抓られて、言葉が途絶える。雷鼓さんは早くも私の身体を把握したのか、私の弱い場所を優しく愛撫していく。
 それは確かに洗っているような触り方だった。一つ一つを確かめるように、肌へと吸いつく肌を撫でる。その度に私は言いようのない快楽に脳髄が焼き切れていく。
 呼吸が苦しく、肩をも使って酸素を仕入れている。でも、雷鼓さんはそれを許さなかった。
 開いた口へと入ってくる細くて長い指、それは雷鼓さんにとって道具を扱う上で一番重要なパーツでもある。
 空気を欲するように、私はそれを舐めていた。一本ずつ洗い流すように、指を唾液で汚していた。
 背後から犯され、彼女の一部を犯す。興奮しないわけがない。
 噛み千切ってしまったらどうなるのだろう? ありもしない選択肢を想像し、頭の中が更なる熱を帯びてくる。
 身体の力は抜け、精神が洗い流されている。そんな中、彼女の吐息だけが耳元から聞こえる。
 恥ずかしいという感情が僅かに残存はしているが、自分の身体の動かし方が良く分からない。
 雷鼓さんが次に定めた獲物は足だった。

「綺麗な足、筋肉質なのに女の子らしいなんて、やっぱり種族レベルで違っているんだろうね」

 スポンジはもう持っていない、最初から“そういうこと”をするつもりだったのだろう。
 どうして私なのだろうか? 九十九姉妹ともしている?
 考えたい事があるのに、目に映る水蒸気まみれの光景に捉われれ、脳内メモリーが足りていない。
 指先が肌に触れるか触れないか、ゆっくりと指はふくらはぎからふとももへと登っていく。

「お肌もすべすべ、別に毛深くもないと思うけど」
「ライブなので……、ちゃんと手入れしたんです」
「プロの鏡だね」

 無駄口を叩きながらも雷鼓さんは手を止めない。その指は少しずつ少しずつ進んでいき、もうふとももとは呼べない場所へと迫っている。
 そこだけは駄目、知っているのに金縛りにあっているのか身体は未だ動かず。
 いや、私は心のどこかでそれを望んでいる? そうされたいと願っているだけ?
 自由に動く口だけが、本心とは懸け離れた言葉を常識に基づいて呟いている。

「ら、雷鼓さん! そ、そこは……」
「そこ? どこかしら?」

 声を聞いているだけで分かる、彼女が楽しんでいる事を。
 私の身体で雷鼓さんが楽しめている。その事実が更に私を興奮させるのだ。
 きっと今の私の思考は完全にオカシクなっている。でも、分かっていてもブレーキは踏まない。
 嘘でもお遊びでもいい。私は幸せでいたいんだ。

「ここのこと?」
「あっ……、んはっ!」

 身体に鋭く走った快感に喜びを覚え、思わず甘ったるい声が漏れ出た。
 自分の口からこんな声が出るなんて思ってもいなかった。無意識に演技でもしているのだろうか?
 私の身体はもはや快感を受け取るだけの肉の塊、そして雷鼓さんの愛玩道具。
 手は完全にふとももを登りきって、今度は生えている毛を上から撫でている。

「わぁ、本当に綺麗に手入れしているんだね。ほら、毛が全部揃ってる」

 私のそこの毛をゆっくりと引っ張ってみせる雷鼓さん、見られている恥ずかしさに刺激と快感が混ざっていき、頭の中が熱せられていく。
 されるがままになっている。抵抗もできずにだらしなく開いている脚が何よりの証拠。

「やぁ……引っ張っちゃ、だめっ」
「少し毛の質感が固いね。やっぱり狼だから、かな?」
「変な評論を……しないで下さい」
「私に舐められてもいいように整えていたの?」
「雷鼓さん、いつもよりも……意地が悪いです」
「可愛い子を見ているとつい苛めたくなっちゃうんだ。あと、頭がボーっとしているせいかも、なんて体調不良に責任転嫁してみたり」

 水っぽい音、くちゅくちゅとぐちゃぐちゃが混じって夢見心地。
 時折、我慢できない私の嬌声とどこからかの水がポタリと滴る音。
 寒くて熱い身体は得体の知れない何かを求めるようにびくんびくんと反応している。与えられた刺激という餌を食い尽し、足りない足りないと求める。
 もっと欲しい、もっと欲しい。
 私の要望は口から出ているのかさえ認知できていない。それでも、雷鼓さんは私を理解してくれている。

「もう一回、キス、しよっか」

 ぐるぐると脳が回っていて何も考えていないのに、欲望が私の首を縦に振らせる。それが自分にとって気持ちの良い事であると知っているから。
 唇を合わせ、舌を啄み、口内を犯し、唾液を啜る。お互いの行動はシンクロする、私がそうすれば雷鼓さんも同じことをするし、雷鼓さんが変えれば私も真似をする。
 彼女の吐き出す息が頬を通り過ぎる。雷鼓さんの体内にあった空気はいい香りがする、それを吸えないのが悔しいから、尚彼女の口の中へ無理矢理舌をこじ入れた。
 絡み合った舌から雷鼓さんを受け取る。美味しい、そんな変態しか思いつかないような感想が、私が抱いていた感情であった。
 傾けたままの顔をゆっくりと離すと、二人の唇を最後まで繋いでいた下賤な架橋が中央から糸のように切れる。特に意味もなく勿体無いと思った私は、やっぱりどうかしているんだろう。
 互い熱を舌越しに伝え合った後は、やっぱり雷鼓さんが私を責め続けていた。
 もう指は自重する事も無く、私のワレメの中を行き来している。その度に水と区別がつかない雌の分泌液が床へと滴り落ちていく。座っているのに身体は弛緩状態に至り、脚のガクガクが止まらない。

「ステージの上での張りのあるハスキーボイスとは違うね。やっぱり、影狼ちゃんも女の子ってことかな」
「私は……元々、女、く……はっ、です!」
「そうだね。うん、可愛いよ」
「ぅあ、可愛く……っあぅ、無い……くぁっ!」

 私の持つ要領を超えた快感を与えられ、声を上げて悶え苦しむ。そんな私にに差し出されたのは彼女の左腕だった。湯気を上げるピンク色の肉に生唾を飲み込み、私は思わず歯を立てていた。
 歯は皮膚を引き裂いたりはしなかったけど、私の歯型がそこにうっすらと残っている。私が彼女へと残した証として。
 ずっと私の後ろにいた雷鼓さんは顔の見えない場所から犯すのでは我慢できなくなったのか、立ち上がって私と向かい合う。隠す布は最初から無いし、雷鼓さんは隠そうともしていない。頬や目じりに手を当てて、直に見られる恥ずかしさに耐えるので精一杯な私とは対照的だ。

「影狼ちゃん、最高に可愛いわ。もう食べちゃって……いいよね?」

 雷鼓さんは私の返事なんて待ってはくれなかった。そして、私も返事ができる状態ではなかった。口を開けても、気持ち良いという言語以下の音しか出なかった。
 脚を手でこじ開けて、雷鼓さんは私のそこを凝視している。恥ずかしいという感情は既に溶けきり、もう言葉は生まれない。自分が何をしたいのかすら分からない。
 だから、私の身体に起こっていた異変にも、雷鼓さんの突然の停止にも気がつけなかった。
 私を捉えている雷鼓の目はまん丸だ。まるで、心の中でも覗き込もうとしているみたいに。

「……影狼ちゃん?」
「……はい?」

 我に返ると明らかに狼狽している雷鼓さん。
 理由は不明。彼女の直前の行動を振り返ってみると……その、私のを、見ていた筈。もしかして……形が……?
 私の思考の迷走も露知らず、雷鼓さんは言葉を切らさない。
 そして、私へと更なる困惑を与える。

「泣いている……、の?」
「えっ?」
「涙……」
「えっ、あれっ? なんで……?」

 目尻に指を当てると、指の上に大粒の雫が乗っかっていた。
 頬を伝わっていった湿り気にも、今になって気がつく。
 なんで? 私は心の中でもう一度、自分へと問いかけてみた。
 答えが分かっていないのは私の中の頭だけ、今になって理解した。
 私はずっと孤独だった。人狼という立場から、自分から勝手に壁を作って、他者とのふれあいを極力避けて生きてきた。
 そんな下らない私の拒絶の壁をぶっ壊してくれたのが雷鼓さんだった。
 音は壁さえ乗り越えて伝わる。演奏をするようになって私は思い知ったのだ。
 手を伸ばしてくれて、引っ込めても離してくれなくて、そんな彼女の強さに私は甘え、憧れを抱いてしまった。
 確かにライブを終えて、役割を全うできたのかもしない。
 でも、それだけで良かったのだろうか? 私は未だ雷鼓さんに何もしてあげられていないじゃないか?
 いや、違う。そんなのは身勝手な論理だ。
 私は今まで、与えられるだけだった。それだけでは、身体の中を渦巻く感情が満足できなくなっていただけ。
 もっと、もっと雷鼓さんを知りたい。彼女が私を知ろうとしたように。

「ご、ごめん! 私ってさ、つい調子に乗っちゃって……」
「……わ、私はっ!」

 雷鼓さんの身体がびくんと震えたのが分かった。それくらい、私は二人しかいない狭い場所で、大きな声を出していたらしい。
 気持ちの制御が未だ足りていないようだ。でも、音量を少し落とすくらいの配慮は私の心にもどうやら残っていた。

「……私は、以前にも言った通り人狼、自分は嫌われ者以外にはなれないと思い込み、ずっと孤独に暮らしてきました。誰かに対しても疑いを持ちながら、深く関わらないように努めてきましたし、そうするのが相手の為にもなると信じてきました。いや、私はただの怖がりだったのかもしれません、失敗するのが、嫌われるのが怖くて、安全だけど孤独な壁の中でひとりうずくまっていました。ずっと、ずっと……」

 雷鼓さんは私を見つめている。その二つの瞳で私の何も隠さない姿を捕捉している。そして、私は今、自分の心さえも、この場所へとさらけ出そうとしている。
 それさえ気持ち良く感じるのは、私の頭がオカシくなってしまっているから?

「そんな私に一声掛けてくれて、演奏の楽しさを教えてくれたのは雷鼓さんでした」
「前も言ったけど、私は私の為に声を掛けただけ。動機は褒められるようなものじゃなかった」
「それでも、それでも私は嬉しかったんです。今までの私が持っていなかったものを沢山得られました。それは今の私、セカンドビートの私にとって、全てかけがいのないものなのです」

 歌うことの楽しさ。
 仲間と過ごすことの素晴らしさ。
 他者から見た人狼としての立場。
 誰かの為に何かをする喜び。
 そして……、

「雷鼓さんのおかげで、音楽だけでなく、閉ざしていた世界の明るさを知ることができました。そして、私はその中心にいつもいた雷鼓さんの事が……いつしか好きになっていました」

 誰かを大切と思う気持ち。
 すべてが本物で綺麗であり、私にとって大切なものだった。
 それを与えてくれたのが雷鼓さんという事実は絶対に変わらない、誰にも変えられない。

「私は……、私はっ! 雷鼓さんが、好きなんです。私の中の特別だけでは足りない、貴方にとっての特別に、なりたいんです」
「…………」

 言ってしまった。でも、恥ずかしさより爽快さが勝る、突っかかっていたものを全て吐き出して、勝手に満足していた。
 満足? いや、そうではない。
 言葉だけでは肉体の満足は得られない。
 私は満たされていないし、彼女を私で満たしたい。
 愛されたい欲望に餓えていた私は、愛したい欲望にもっと、もっと飢えていたんだ。

「雷鼓さんの気持ちは、正直よくわかりません。でも、私も雷鼓さんがしたように、私がしたいことをしようと思います」
「えっ?」

 背後を取るのは容易かった。
 彼女が本調子ではない、最初からスピード等の身体能力は私のほうが上、不意打ち、これだけの要素が揃えば失敗するわけもない。
 雷鼓さんには抵抗の意思が見られた。それが私に対する拒絶なのか、単純な猜疑心から来るものなのかは分からない。でもその意思を手首を掴むことで刈り取るのも、私には容易だった。

「ちょっ、影狼ちゃ……」

 振り返ってきたので、そのまま彼女の唇を奪う。雷鼓さんの不必要な言葉ごと、私は彼女を喰らっていた。
 口の中に残った僅かな空気さえ貪り、微かに感じ取れる雷鼓さんの匂いを味わう。
 唇を離した時、思わず美味しいと同じ感想を持ってしまったあたり、どうやら私の脳内はいつも以上におかしくなっているようだ。
 それもこれも、雷鼓さんがいけないんだ。雷鼓さんが悪い。
 体調不良のせいかキスのせいか、雷鼓さんは身体に力が入らない様子。脱力を隠しきれず、私へと体重を預けてきた。
 空いた手を胸へと這わせて、私は彼女の豊満な胸を楽しむ。
 私と同じくらいの大きさ、なんて雷鼓さんは言っていたけど、私よりも幾分大きく感じる。どうやら着やせしているらしく、ドラムを叩いている時には意識しなかったその胸の大きさ、柔らかさに私はのめり込んでいた。

「だ、駄目だって……」
「駄目? 何が、ですか?」
「だって、その……」
「こうされるのが駄目、つまり気持ちいいんですか?」

 艶かしく私を誘惑するその先端を摘むと、私が欲しかった彼女の嬌声が得られた。その声が自重を削ぎ落としていく、私の行動全てを急かさせる。
 私がしてもらったことを順を追ってお返しすることもできたけれど、残念ながら今の私はそれができるほど我慢強くはなかった。
 もう準備はできている、私も雷鼓さんも。
 身体を支える力を失っている雷鼓さんは壁へともたれ掛かっている。目の前には曇った鏡、お湯をかけてやると、本来の機能を取り戻し、顔を赤くしている雷鼓さんの全景を映し出した。

「見えますか? 鏡越しの自分が。雷鼓さんのいたる所が全て丸見えですよ」
「……目を背けたくなる」
「私だけじゃない、雷鼓さんにもこれからの光景を目に刻んでもらいたいんです」

 悪態を付くその余裕すら奪いたい、そして本当の雷鼓さんを見たい。
 私は無抵抗な彼女の股へと潜り込んだ。
 石鹸の匂いで鼻が満たされる。湿気混じりであっても、清潔感を思い起こさせるこの香りが私を支配している。
 そして、見える彼女のそこ。風呂場故に最初から濡れている、それが水なのか体内から生成されたものなのかは判断できない。できないから、私は舌でその雫を舐め取っていた。何粒もあるそれを一つずつ、一つずつ舐めて、拭き取っていく。
 舐めても舐めても出てくる雫、水とは異なる味、それは確かに雷鼓さんの一部であった。

「いやっ、き、汚いって! はっ、んあっ!」

 一粒じゃ足りなくなり、舌を直接突っ込むと、クチュクチュといういやらしい音と雷鼓さんの熱の篭った可愛らしい声だけが聞こえてくる。
 目、鼻、口、耳、感触、すべてが彼女の反応に機敏になり、今という幸福の瞬間を味わっている。全ての神経に集中力をつぎ込んでいるためか、大したことをしていないのに、疲れも覚えている。演奏後の疲れが重なっているだけかもしれないけど。
 それでもやめられないし、止まれなかった。襞の奥の肉の中に口の中の肉を突っ込み、汁を掻き出して味わう。そんな単純な行為に、私は没頭しきっていた。
 時々ピクピクと震える体、もどかしそうな脚、水蒸気混じりの匂い、得られるものは多く、その全てが感覚として私へと訴えかけている。
 時折雷鼓さんは意味のある言葉を吐く。先程の私よりも余裕がまだあるようだ。

「ギブ……、ギブッ! ライブ上がりで病み上がりだから持たないって……」
「もっと……、うむっ、じゅる……、欲しいんですよね?」
「ちがっ、んはっ! かげろう、ちゃん……、んっああっ、イジワル……」

 でも聞く耳は持たない。口を開ける時間すら勿体無い。
 私が話している相手は上の唇ではなかった。下の方が近いし、何よりも正直だった。
 私の刺激に正直に反応を示してくれる、これほど愛らしいものはない。
 ましてや、雷鼓さんの一部なのだ。その一部を私が完全に支配している、そう思うだけで絶頂の身震いを覚える。
 手で頭を掴まれた程度では私は止まらない。中途半端な素振りを見せられると、もっともっと雷鼓さんの可愛い姿を見たくなってしまう。
 私だけが見られる、私だけに見せる、彼女の艶かしい女の姿。

「だめぇっ……きゅんっ、ってする……。おかしく、なるぅ……」

 もっとおかしくしてあげますよ。回答は私の舌を通して伝える。
 伝わったかはわからないが、その肉の壁が強く、また強く私を遮ろうとする。
 この秘所に対しては、まだお仕置きが必要なようだ。
 肉襞の上部にあるその場所は、外部にあるものを全て敵と見なすように、閉ざされている。可愛い、なんて感想を持ってしまった私は、一体いつからエスへと変貌したのだろうか。
 指では刺激が強すぎるかもしれない。雷鼓さんを傷つけることだけはしたくない。

「影狼ちゃん、一体何を……」

 刺激が一旦消えて困惑している雷鼓さん、私の舌がそこに微かに触れると、彼女の脊髄に電撃が走り、意味すら持たない言葉が口から漏れた。

「ひゃっ! ああっ、んあっ!」

 首と背中が仰け反り、声の甘さは耐え難い快楽により驚愕さえ含んでいる。
 デリケートな部分であるとは知っていたけれど、こんなにも大きな反応が返ってくるとは思ってもいなかった。
 雷鼓さんはあらゆる箇所が性感帯にでもなっているのだろうか?
 舌を上手く使いながら、被っていた皮を剥がしてあげると、赤みを帯びた芽が露出した。
 今の雷鼓さんの顔と同じ色をしている。
 躊躇無く私はそこへと舌を当てて、敏感な場所を舐め回した。外周を沿うように舌を動かす度に、雷鼓さんはくぐもった声を上げている。

「いやっ、そこは……本当に、だめぇ! っはぁ!」

 懇願するようななで声の静止を聞いても肉体は止められない。可愛い、もっとその声が聞きたい、逆効果にしかならないのだ。
 淫らな汁をだらしなく垂れ流してヒクヒクと疼いている下の口に、余っていた指を突っ込んだ。

「ひぁっ!」

 一際大きな声と反応で、雷鼓さんの身体がビクンと跳ね上がる。でも逃さない、余った腕は彼女の肉体をきっちりと拘束している。
 もがくように体を捩らせて、動けない分は声を上げる。雷鼓さんは込み上げてくるものを耐えているのだろうか? ならば、私は彼女の身体へと問いかけて、それを解放しなければならない。我慢比べならば、責め続けられる私のほうが有利。
 もう彼女の弱い場所は把握している。雷鼓さんの気持ちさえも、把握している気分になっている。畜生の汚らわしい交尾に喜びを感じてくれて何よりだ。

「も……う、壊れ……んっくぅ! た、い……」
「雷鼓さん、途切れ途切れじゃよくわからないです。もっと、はっきり言ってください。私の耳に聞こえるように」

 勝手に動こうとする手をなんとか抑制しつつ、私はその言葉を待つ。
 彼女の身体を愛するのは確かに楽しいけれど、それ以上の期待があったから犯したいという欲望を秒単位ではあるが我慢できた。
 肌へとへばりつく蒸気で視界は良くはない。でも、私は次の雷鼓さんの妖美な表情はきっと忘れられないだろう。

「私を……、壊して……」
「了解です」

 愛しい人の口を口で塞ぎ、呼吸さえも喰い尽くす。
 歯を立てて肉を喰らうように、口内を私色に犯し尽くす。
 左手は楽しみ足りない胸に、もう一方は彼女の要求を満たすために肉壺へ。
 こねる前から乳房は柔らかく、下から乱暴に持ち上げてみると、その重さを感じ取れる。
 彼女を気持ちよくするという目的を忘れてしまえば、ずっと彼女の胸で楽しんでいたかもしれない。
 垂れ流し続けた汁のおかげで、中でも円滑に指を動かすことができる。
 突き上げるよう乱暴に動かしても、彼女の口からは苦痛でなく快感の声が漏れる。
 指が熱い、溶けているんじゃないか? この熱さを雷鼓さんも感じてくれているのだろうか?
 首筋に舌を沿わせて甘噛みしても、反応は変わらない。何をしても気持ちいいほどに、彼女の感覚は完全に麻痺している。

「いいっ、ィ、あっ! アッ、もう、ぁあ!」

 自重の無い喘ぎと甘い吐息が狭い空間内に残響する。私をもっと意地悪に、もっと狂わせるその声。
 絶頂の瀬戸際の中に雷鼓さんを閉じ込めておきたい。私を支配していた一時前の雷鼓さんもきっとそう思ったのではないだろうか?
 終わらない螺旋の爛れた快楽、そんなものに身を投じれば戻れなくなる。
 私は終わりのスイッチを押すように、名残惜しく彼女に最後の刺激を与えた。

「はっ、んっ、ああっ! ああああアアっ―――――…………」













「はぁ〜。影狼ちゃんの魔力を貰った筈なのに、なんか身体がスッカラカンな気分なんだけど」
「えっ? 魔力のこと、知っていたんですか?」
「……まあね。自分の身体のことはよく知っているし、影狼ちゃんは真面目で優しいからさ。余計な心配かけさせちゃったね」

 浴槽は意外と広い。二人入っても窮屈はしないくらいに。
 とはいっても、雷鼓さんの顔がいつもより二倍増しで近い。そしてことの後だけに、こう近くで見られると恥ずかしいわけで。
 むしろ冷静になって先程の出来事を振り返られる脳の容量が戻ったから、恥ずかしく感じているのかも。まあ、さっきまで比較に為らないくらいに恥ずかしいことしてたけど。
 残念ながら浴槽のお湯は身体を隠してはくれないし、心さえも隠せていないのかも。
 膝の前で手で腕を押さえ、前かがみ。いわゆる体育座りというやつで、わずかながら肌色を隠している私とは対照的に、雷鼓さんは腕やら足やらを伸ばして、お風呂を楽しんでいる。

「でも、影狼ちゃんはやっぱり獰猛な肉食獣だね。今更だけどそう感じた」
「えと……、すいません」
「新しい影狼ちゃんの一面を発見。私は嬉しいんだよ」

 こっちは恥ずかしさで気がおかしくなりそうなのに、恥ずかしいことを平気で言っている雷鼓さん。その顔は赤くなっているけど、彼女に関してはのぼせてきているだけな気がする。
 そんな中での不意打ち。言葉は壁を通り越えて心に問いかけるのを、私は歌を通して知っている。

「影狼ちゃんの温かさ、私の身体の中で感じるよ」

 えへへと照れ笑いを浮かべながら話しかける彼女はやはり、可愛かった。

「あと、股がヒリヒリする」

 それは魔力のせいではないと思います。私のせいではあるけれど。



 暫しの沈黙。時折どこかからか落ちる水滴の音が、風呂場全体に響き渡る。
 別に気まずいわけでもないし、この落ち着いた空気は嫌いじゃない。
 再びの水滴、その音を待ち構えていたように雷鼓さんは沈黙を破った。

「出会いってさ、すごいよね」

 急に口にした言葉の真意が測りかねている私。自然と相手の言葉を待つ。

「最初に出会った時の事、覚えている?」
「道具屋の時ですね。たかだか二週間しか経っていないのに、とても昔のことのように感じます」
「私ね、あの時に“この子優しそうだから、無理すれば了承してくれるかも”って思っていたんだ。ごめんね。でもさ、影狼ちゃんがこんな必死になってやってくれるなんて全く思っていなかったし、私にとって影狼ちゃんがこんなに近くて、特別な存在になるとも思っていなかった」
「それはお互い様です。私もこんなのめり込めるとは思っていませんでしたし、音楽に触れられた切っ掛けを作ってくれた雷鼓さんには感謝しきれません」

 嘘でもお世辞でもない。
 孤独と拒絶の壁を破ってくれたのは音楽、そして雷鼓さんだ。

「改めて思うんだけど、やっぱりさ、私はただの道具には戻りたくはないよ。鬼からも干渉を受けない堀川雷鼓という存在がこの世界に生まれて、誰かに対して特別な感情を覚え、誰かが私に本物の感情をぶつけてくれる。道具だった時には私からは何も言えない。出会いがあっても、ずっと一方通行だったから」
「…………」
「だから、憑代を捨ててドラムを始めて良かった! 絶対に消えたくないし、私は堀川雷鼓でいたいよ。私が道具じゃなく、堀川雷鼓だから……はっきりと言える、うん」
「私も雷鼓さんが雷鼓さんでなくなるのは嫌です。魔力のことは私も一緒に考えますし、全力でサポートします」
「うん」

 手を伸ばせば触れられる距離、耳を澄ませば鼓動が聞こえる距離。
 私の目を捉えて離さない雷鼓さんの目は、いつも以上に深い赤みを帯びている。
 その目で見られているだけで、ドキドキが抑えられなかった。
 見ている雷鼓さんもなぜか緊張しているらしく、ゆっくりと吐く息使いが聞き取れた。

「さっきの影狼ちゃんの告白への回答、答えるね」

 そういえば、雰囲気に乗せられて私はあの時に爆弾発言をしていたんだ。
 刺激的な行為に隠れてしまいがちだったけど、あの言葉は簡単には口にしてはいけない重いものであった。
 心臓が締め付けられ、脈拍が急発進する。いきなり短剣の刃を首にでも突きつけられた気分だ。
 準備とか考える時間とか、全てが省略された雷鼓さんの突然の回答。
 雷鼓さんは止まってはくれなかった。

「私、影狼の事好きだよ」

 いつも笑顔だった雷鼓さん、今は笑っていなかった。
 でも、今までに聞いたどんな声よりも、その声は優しく温かいものであったし、そしれ何よりも綺麗だった。
 身体も温かい、自分の芯から生まれているのか、お湯のせいで芯から温まっているのか分からないけど、私は前者であると思い込んでいる。
 特別な好意を受けている、自分がここにいてもいいと許されている。
 幾許の孤独を過ごした私が、隠してきながらも心から欲した言葉なのかもしれない。加えて自分が好きと言った相手、白い霧の中で夢でも見ているのだろうか?
 肩と肩が触れた。雷鼓さんが少し擦り寄ってきたからだ。夢、なんかじゃない。
 嬉しかった。涙が出てもおかしくないくらいに。

「さて、告白タイムも終わったことだし、まずさ……私への敬語、やめよっか」

 いつもの口調に戻った雷鼓さんがずずいと駄目出しをしてくる。
 私自身があまり気にはしていなかったので、内容についてはしっくりとこなかった。
 それを顔から察したのか、雷鼓はんは指摘理由を私へと説明する。ピンと立てた右手の人差し指を時折左右に揺らしながら。

「敬語ってさ、相手に尊敬を表す場合と、相手との距離を保つ為に振る舞う場合があるじゃない? 影狼の場合、後者だと思うんだよね」

 うっ、言われてみればそうかもしれない。
 普段から深い関わりを持たないように意識した故の自己防衛手段、それが敬語になっていた可能性は高い。
 成程、雷鼓さんによく観察されているんだなぁと、問題を放置して少し嬉しくなってくる。
 ニヤニヤしていたのが別の意味で捉えられたのか、少し怒っている気が。
 素直に謝ろう。

「はい、以後気をつけます」
「言っている傍から。距離がぎゅっと縮まったと私は思っていたけど、もしかして勘違い? 一度エッチしたくらいで勘違いも甚だしいんじゃないんですか? とかそういうやつ?」

 近い近い近い! 主に顔が!
 不機嫌そうには見えないのに直で威圧されている私には、解答は一つしか存在しない。

「……分かった、分かったよ。敬語はもうやめる」

 わかさぎには敬語を使っていないし、八橋も同様。
 そのスタンスで望めば、雷鼓さん、雷鼓も同じ。
 同じ……筈、なんだけどなぁ。

「雷鼓……さん」
「はぁ〜。こりゃ重症だね」

 苦笑いが私には眩しい。
 残念ながら私が顔を合わせて雷鼓さんの名前を呼べる日は、まだまだ先になりそうである。






























(7)

 あの日、私達は第二の鼓動を手に入れたのだと思う。



 私と雷鼓さんが颯爽と消え去ったあとの会場について、少なからず私は懸念を持っていたので、八橋にその後の状況について聞いてみた。
 八橋曰く、大したことは無かった、だとか。
 どこらへんが大したことがないのか私には理解できなかったので、詳しく聞いてみると、成程、本当に大したことないらしい。
 演奏者二人が急に消えたことによって、当然演奏もぶつ切りで終わってしまった。
 慌てて降りる幕、その際には大きな拍手があっただとか。
 気まずい雰囲気のままいそしそと撤退する際にも、音楽に魅了された人達に九十九姉妹はもみくちゃにされた。
 ブーイングやらトラブルやらは起こることもなく、突然の終了を聞き手は受け入れてくれた。確かに一言で言えば「大したことは無かった」になるだろう。
 でも、聞き手側の盛り上がりっぷりは、そんな言葉では済まされないだろう。
 巷では「伝説のゲリラライブ」と称されているらしい。大袈裟にも程がある。
 私達の演奏以来、セカンドビートは有名になり、ドラムやベース、ギターも同じように認知されるようになった。これは付喪神の憑代替えにとっても朗報である。
 悲報としては、私達の顔が里の人々に覚えられてしまい、無闇に顔を出して歩くと悲惨になること。
 フードを装着して村を歩く理由は前々と異なり変化した、素顔のまま歩いていると指を刺されるのだ「セカンドビートの今泉影狼だ」と。生まれて初めてサインを求められる機会もあった。
 取り敢えず「可愛い」と言ってくるのだけは勘弁して欲しい。未だに慣れないし、その言葉を聴くと悪寒が身体を走り回るから。ブルッ、と来るんだよね、ほんと。
 人の集まりは更に人を呼び、挙句の果てには自衛団が出てきて仲裁する始末になり、なぜか私が慧音さんに怒られたこともある。その時の慧音さん曰く、「これだけ有名になれば、悪さもできないだろう」。事実、その通りである。
 そんなこともあり、最近バンドをやりたい子供が増え、需要急増によって職人達は楽器の製造を始めている。簡素な作りであるドラムはまあそれなりのものが店頭へと並び始めているが、ギター、そしてベースはそうもいかない。
 仕組み自体は琵琶に近いんだけど、特にアンプなりを通して使う場合は開発すべき点が多い。河童なりの知識人が入りつつ、開発が続いているだとか。
 欲しい時に楽器が手に入らない子が多いので、私達が里に下りて公開レッスンをすることもしばしば。表向きはレッスンではあるけど、付喪神としての強大な使役者を作るのが本当の目的である。演奏する人間が多く、激しさを増す度に、魔力供給の安定度は増していく。
 最初は妖怪に手を貸す行為であると、慧音さんが渋っていたのだけれど、需要の過多には結局勝てず、対案もないから白旗である。
 まあ、雷鼓さんや九十九姉妹が演奏の仕方や音の出し方、音楽の楽しさを教えるのは目的故に理には適っているんだけど、私の所に集まってくる子供もいるのが困りものである。
 ヴォーカル希望の子供も多く、そういう子達は楽器の物珍しさに負けることなく、私に練習なりアドバイスを乞う。時には私の中でも出ていない解答がすぐ必要になる事もあったりする。わかさぎから教わった知識を流用しつつ、難を凌いではいるつもりなのだけど、いつボロが出てしまってはおかしくはない。
 「どうやったら上手くなれるか?」。そんな私も誰かに聞きたくなるような質問をされることがある。正解ではないのかもしれないけれど、その時はこう答えている、「歌が好きになることかな」と。



 自分の立場というものが大いに変転した私ではあるけど、セカンドビートの中での立ち位置というものはあまり変わっていない。
 というよりも、メンバーも含めて音楽以外の部分は相変わらずである。
 本番前に私以外に緊張感が無いのも、いつもの風景であり、私もその空気を受け入れつつある。

「セカンドビートのヴォーカル今泉影狼、某道具屋店主M.Rと熱愛発覚!? だってさ」
「M.Rって卸屋の森近霖之助さんでしょ? そうなの?」

 分野のエセ新聞のトピックを読んでいる雷鼓さんのガセ報道に食いついてくるのは八橋。彼女は全ての情報を鵜呑みにしそうで怖い。
 記事内容は私が数年前から定期的に道具屋に通い、店主に会っているとのこと。返金目的で定期的に足を運んでいたのは事実ではあるが、そこから熱愛になった根拠は書かれていなかった。事実、存在しないんだから当たり前である。
 新聞に載る者など、博麗巫女や主勢力妖怪ばかりである。雑多妖怪である私の写真が乗っているのを見ると、不思議な気分になるというか……いや、苛立ちしかない。

「ねえねえ、いつから付き合っているの? 切っ掛けは?」

 主に八橋がうるさい。
 ライブについての心配でもしたらどうなのかと思う。思うだけで口にはしない。
 しない……つもりだったのだけど。

「八橋、うるさい」
「そんなこと言って姉さんも気になるんでしょ?」
「他者の付き合いに干渉したりはしないわ。思うところがあって付き合っているんでしょうし」

 いや……、そうじゃなくてですね。
 何故か飛び火し、ガセが事実のように語られている。
 こうなると当事者が言い訳しなければならなくなるわけで。

「先に断っておきますけど付き合っていませんからね。九十九さん達は知らないかもしれないですけど、天狗という妖怪は嘘の記事をそれっぽく書くのが得意なんです」
「別に隠さなくたっていいと思うわ」
「お似合いだと思うし。不愛想だけど格好いいと私も思うよ」

 聞く耳を持とうとしてくれない。そのほうが楽しいから、だろうか?
 いや、これは引いてはいけないパターンのやつだ。
 そして、私がどんな説得力ある言葉を並べても、物事が良い方向に傾かないやつである。
 厄介事を解決できるのは、火種を作った第三者である。雷鼓さんは真実を知っているのだ。

「雷鼓さん、フォローを」
「メンバーに隠し事は良くないと思うわ」

 嗚呼、これは状況を楽しまれているパターンである。
 雷鼓さんの性格から解析するに、素直に説明してくれるとも思っていなかったが、こう現実として突きつけられると、ダメージが嵩んでいくわけで。

「あっ、ちょっとドキドキしてきたかも!」

 いや、演奏の本番直前なんだからそっちで緊張してよ。
 妙にズレている八橋はいつも通りだからまあいいとしよう。

「さあさあ、素直に吐いちゃいなさいよ。そのほうがお互いに楽でしょ?」

 雷鼓さんの言葉に賛同すべく、期待する目が六つ。最初は不快感を示していた弁々さんも所詮はごく普通の女だったということだ。
 味方なんて最初から誰もいなかったんだ。信じていたのは私だけ。
 釈明するだけ無駄、それでも抵抗せずにはいられなかった。
 しかしながら、どう抵抗するのか、その方法すら深く考えていなかった私は愚かであった。

「そもそも私はら……!」
「……私は?」

 出かかった言葉を咄嗟に飲み込んだせいか、顔は上へと傾き、喉はゴクリと空気を飲み干し、クウィっという良く分からない空気の音が代わりに漏れ出た。
 私の次の言葉を促す視線。赤くなった顔はもはや誰にも隠せない。
 九十九姉妹は疑問符を浮かべているだけであるが、一人だけ楽しくて仕方がないといった具合の顔。
 腹が立つというか、他人事ではないのに気楽というか。
 ニヤニヤ感が増している雷鼓さんを見て、緊張から怒りが上書きされた。

「いえ、何でもないです」

 脳に血流が行き渡った二次的な作用か、冷静さを取り戻す。
 乗せられても私が損をするだけなのだ。ならば、相手にしないのが自分にとってのベストであった。
 叩いてももうホコリが出なさそうと雷鼓さんは悟ったのか、新聞を閉じて立ち上がる。
 私も喉の渇きを消すために水を飲んでおこう。

「さて、時間も迫ってきたことだし、そろそろ準備しないとね。二人とも体調はどう?」
「普通」
「悪くないよ」

 雷鼓さんが最近、よく二人の体調を気にするのは、彼女達が雷鼓さん側の付喪神になったからである。
 他の解決策が見つからなかった為、結局二人共に、タイムオーバーになる前に憑代を捨てて、新しい楽器に乗り換えている。雷鼓さんと違い、拒否反応が現れていないのは、幻想郷にギタリストとベーシストが存在し始めているからかもしれない。
 当然、雷鼓さんの病状もかなり良くなった。
 体調が良ければライブができて、ライブをすれば知名度も上がり、新しい魔力が満ちる。セカンドビートは良いスパイラルの中で活動できていると言えるだろう。
 それもこれも始まりの日があったからこそ。あのライブは新しい付喪神のスタートとしても大成功だったのだ。

「具合が悪くなったらすぐに言ってね。ライブよりも身体が大事。特に二人は変えたばっかりだから尚の事」
「でも、体調が悪くなったからといっても、誰にも止められるものじゃないと思うけど。演奏を止めたって体調が良くなるわけじゃないし」

 弁々さんの言い分は真っ当である。
 誰だって始まったライブを止めたくないし、聞きに来ているお客さん達も同じ思いだろう。
 実際に倒れるまで無理して演奏していた前例があるのだから、正直雷鼓さんが言っても説得力は皆無である。
 なのに、雷鼓さんは自信満々に言ってみせる。

「大丈夫。もし何か起こったら、我等がヴォーカル、今泉影狼がふたりに直接魔力を注入してくれるから。これで元気間違いなし」
「ぶぅっ!!!?」

 喉を潤す為の水を思わず全て口から宙へと吐き出してしまった。前方に誰もいなかったのが不幸中の幸いである。
 水とはいえ、衣装に付いてしまえば箇所によっては目立つかもしれないわけで。
 それは置いといて、雷鼓さんである。この方は脈絡もなくとんでもないこと口にする。
 いや、シたのは事実なんだけど……仲間の為とはいえ、うん……。考えるのをやめよう。
 この場で動揺しているのは私だけのようである。される側は呑気なものだ。

「流石は影ちゃん。私の友達だもん」
「これで妹への心配も無用ね」

 ふたりは魔力を注入するの意味を知っているのだろうか? 聞いてみたいけど、返答が怖くて聞けなかった。

「さあ、名残惜しいけどそろそろおふざけの時間も終わりね」
「ふざけていたのは主に雷鼓さんだと思います」

 軽口が出る程度の緊張で済んでいるのは、緊張に耐性ができつつあるからなのだろう。
 最近、振る舞いや歌にも余裕が出てきた私であるが、更に調子に乗って管楽器に手を出している。
 メンバーの中には誰も師匠になれる誰かはいないんだけど、自分の肺活量という武器を利かすにはこの楽器が一番向いているかなと。
 外ではサックスと呼ばれているらしい。ちなみに仕入先はおなじみ、香霖堂である。
 最初手に取った時、すごく嬉しかったのは記憶に新しい。顔が赤くなるだけで音すら出ず、その姿を見てあの弁々さんも笑っていたのも、これまた記憶に新しい。
 メルランさんの指導を経て、やっと間奏に演奏まがいを入れられるくらいには弾けるようにはなったけど、まだまだ成長過程。自信を持って弾けるようになるまでには時間が掛かりそうである。
 その取り組み、成長も楽しく感じられるのだから、音楽は本当に凄いと思うこの頃。
 さて、雷鼓さんのいつもの点呼が始まった。返ってくる答えは分かりきっているけど、今や儀式的に演奏前に行われる。気合を入れる一種のおまじないなのだろう。

「八橋ちゃん、調子は?」
「影ちゃんのせいでドキドキしてます!」
「弁々ちゃん」
「答えるまでもないわ」
「影狼! 準備できてる?」
「歌いたくて仕方ありません」

 この日のために練習もしてきたし、この日を楽しみにしてきた。
 その思いを聞きに来てくれた全ての人と共有したい。
 私の鼓動は鎖で雁字搦め、開放の時をただただ待っている。
 我慢はしなくていい、マイクは私の思いを音へと変えてくれる。

「じゃあ一曲ぶちかましてきますか」

 私はフードを外して、ステージへと向かった。
 新しい鼓動を手に入れた、セカンドビートの今泉影狼として。
その壁をぶっ壊せ
作品情報
作品集:
最新
投稿日時:
2014/06/07 23:02:49
更新日時:
2014/06/07 23:02:49
評価:
9/9
POINT:
76
Rate:
2.02
1. 10 リラクシ ■2014/06/08 13:27:24
ほあああぁ……面白かったです、これは、やばい。
落ち込んだり持ち直したりする影狼の心境は響くといいますか、どこか他人事に思えないほど親近感が湧き、殻を破っていく姿に胸を打たれました。
笑いを挟みながら進む丁寧なお話に、どう落ち着くのだろうとドキドキさせられました。
雷鼓が倒れてからの流れもすんなりと受け入れられる展開と氏の実力に感嘆と息が漏れるばかりでした。
期間内にこれほどの大作を書ききるのはとても大変だったと思います、故に、この場所で読めて幸せでした。
本当に素晴らしい作品でした、ありがとうございます。
2. 10 名無しの変態紳士 ■2014/06/11 22:35:52
輝針城のキャラだと!
キャラ自体は少ししか知らないがとても良かったです。
3. 8 グランドトライン ■2014/06/15 21:41:53
彼女達は壁にぶつかり砕かれた。だけどこうして鼓動を蘇らせた。

バンド活動を通して、友情を育んでいく様子はまさに王道で、詳しい描写もあってワクワクさせてくれます。
キャラクターの個性もしっかり表現されており、なにより主人公の影狼が悩みながらも成長していく心理描写はいい物語を作っております。

問題としては物語がしっかりしている分、ネチョ描写が薄く感じてしまうところです。
描写自体は細かくエロく書かれており、中盤でそれらしき展開も匂わせておりますが、やはりどうにもインパクトに欠けます。
それとテーマの壁に関しても、時々忘れてしまうぐらい印象が薄く感じます。
とはいえ、ところどころでキーワードをしっかりと使う点は見事と感心します。
そしていくつか誤字らしき表現も見られました。

音楽に対してはだけは妥協したくないの。
>音楽に対してだけは妥協したくないの。

新しいとはいても、
>新しいとはいっても、

見覚えのある姿のが現れた。
>見覚えのある姿が現れた。

もっと好きになっていまいた
>もっと好きになっていました

しかし、雷鼓達にからかわれる影狼は可愛く、時折挿入されるギャグシーンにもクスリと笑わせてもらいました。
物語全体としてはかなりレベルが高いと思います。読んでる自分も勉強になります。

しかし、型抜きで賽銭稼ぎする霊夢には笑わざるを得ない!
4. 10 名無しん ■2014/06/18 22:25:54
これはいいな。
5. 6 匿名 ■2014/06/22 17:00:25
基本点:1点
テーマ:1点(0〜3点)
エロさ:1点(0〜3点)
面白さ:3点(0〜3点)
一言感想:超大作お疲れさまでした! ライトノベル一冊丸々読んだような気分でした。文書量が多すぎて、壁と言うテーマやネチョの印象が薄まってしまったせいか、ネチョこんぺの作品としての採点はそこまで高く付けるわけにはいきませんでしたが、物語としては今回一番作りこまれていて面白く、完成度が高いと思いました。
6. 5 ぱ。 ■2014/06/22 20:02:35
超大作。なんじゃこの容量! びっくらこきました。
影狼と雷鼓が中心人物として話が動いていくものの、九十九姉妹のキャラ付けは難しかった感じ。
埋まってない楽器を担当するバンド内の先輩キャラが必要で、そこにはめる形になったためと見ます。

文量が凄まじいのにそれを苦にさせない、読みやすい文章が大変魅力的。一気に読むことができました。
難点はエロの薄さとお題の薄さ。こんぺ作としては評価が難しいところです。
話の筋にも取り立てて意外なところはなく、「バンドものをやりたい」という気持ちが形になった作品なのかなあ、と思いました。
7. 9 toroiya ■2014/06/27 21:06:33
影狼がとてもかわいく見えました。こわいわー。
バンドを組んだ理由もしっかりストーリーがあり、よく考えられたシナリオだと思いました。
ただ、音楽の描写がもう少し軽ければ更にすんなり読めたかと思います。
8. 8 tukai ■2014/06/27 23:18:47
そんなエロで大丈夫か。

バンド部分が気合い入ってるだけに、エロが魔力供給という古典芸能なのが残念に思います。
9. 10 通りすがりのGさん ■2014/06/27 23:38:30
濃密な青春ドラマ、ごちそうさまでした
ちょこっとシリアスが入ってるのも良いスパイスでした
10. フリーレス 名無し ■2014/09/17 01:45:23
他の方が挙げられているように青春部分が強かっただけに、エロの部分は薄かったように感じました。
いやぁ面白かったです熱かった
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