心の壁

作品集: 最新 投稿日時: 2014/06/07 23:59:24 更新日時: 2014/06/07 23:59:24 評価: 7/7 POINT: 41 Rate: 1.65
 どうしてこうなったのだろう。修繕されていく居室の内壁は時間が経ってしまえば元通りで、なんの問題もないはずなのに、白い背景に走るひび割れみたいな気持ち悪さは消えてくれなかった。
 眺めているばかりの姿を「地縛霊」と謗った一輪は、残っていた小さな隙間すらも埋めてしまって、僅かに歪められた表情も見えていないだろう。
 記憶も、過ちも、お調子の跡を埋めるみたいに消せてしまえたら。
 押せば簡単に崩れてしまう柔い壁は、見た目以上に分厚く感じられてしまう。向こう側からは、ざらざらと金鏝で均す音が聞こえて、左右に動かす手の動作が透けてくるようだった。
 来るな、寄るな、来るな、寄るな。
 一定の調子をそんな風に捉えてしまう村紗は、ただ呆然と立ち尽くすしかできなかった。

 ちょっとした遊びだった。その日は降り出しそうな天気だったのに雨なんて落ちてこなくて、瓦葺きに寝そべりながら柄杓をくるくると回し、退屈していた。その日五回目の欠伸を掻いた時だ、急にそうだと思い立って、碇の弾幕を作り、遠くの山目がけて放り投げた。緑が揺れて、小鳥達が羽ばたいていったあとに、小さな地鳴りが届いた。
 面白くなってもう一回、今度はもっと飛ばせるかなと、周辺に住む生き物からしたら傍迷惑だったが、水切り感覚の遊びは三回も続いた。それを見ていたぬえが「馬鹿なことやってるねぇ」と笑うものだから、一緒にどうだなんて声をかけた。
 乗りの良い性格と言うよりは、つまるところ馬鹿の一人なのだ。やるやると上がって来たぬえに碇の弾幕を手渡して、受け取った体が大きく捻って、そおれ。
「なかなかやるね。じゃあ次は私の番」
 体を捻り、投げようとした時だ。ぬえから、ちょっと待ったがかかる。これじゃつまらない、そう言って、瓦葺きから降りたぬえは、来い来いと手招いてくる。碇を持ったまま続いた村紗は、どうするのと肩に手を置いた。
「スリルが足りない」
 ぬえは命蓮寺の屋根を指差して、瓦屋根すれすれに飛ばそうと提案した。当たったらどうするつもりだ。
「お説教のあとに直させられるね」
「ハイリスクな割には見返りなくない?」
「暇潰せるじゃん」
 怖いかい?
「冗談」
 碇で線を引き、大きく息を吸って、体を捻る。腕を回して投擲しようとした瞬間だ、「なにしてんの?」と声をかけられて、つい、碇を握っていた力が緩んでしまった。あっと叫んだ時には、碇は空に向かわず水平に飛んでいって、障子を突き破ってから内壁に激突する音が響いた。あろうことか、自分の居室だ。そして運が悪いことに、隣は不意打ちをかけてきた人物の部屋だ。
 きっと碇は貫通して、畳も破片で白く汚れている。書机や箪笥だって破壊しているかもしれない。舞っていた漆喰の灰が晴れた部屋の壁には、やっぱり穴ができていた。
「村紗ぁ」
 腰元に手を当てる一輪は、眉根を寄せたまま「あんたねぇ」と継いだ。違う、これにはわけがあるんだ、そうでしょ、ぬえ、浮かんでくるばかりの言いわけは声にならなくて、隣に視線を振った。そこには、誰もいない。
 やられた。
 騒音を聞きつけた響子が馬鹿みたいに騒いで、次に星が駆けつけたかと思えば有様を見て、溜息をこぼした。言い逃れをするつもりはなくとも、一人逃げ出したぬえに、村紗はそりゃないよと肩を落とした。
 響子は陰で穴の大きさや惨状を実況しはじめる野次馬と化して、星は、なにも言ってこない。縁側から見下ろしてくる一輪に目をやり、ごめんなさいと言い出そうとした村紗だったが、ぷいと視線を外されてしまい、あとを追うこともできなかった。
 続くように離れていく星の袖を掴みながら、響子は、「お説教〜」と口の端を緩めた。一人残された村紗の頬を、一粒の雨が打った。
 ああ、なんて湿っぽいのだろう。雨のにおいが広がりだした裏庭から上がって、後始末をするために、清掃用具を求めた。

      *

 結局聖に叱られた、なんてこったい。
 聞かされる愚痴に「あんたにも非があるんだから仕方ないだろ」と、村紗はぬえに言う。
「やる方が悪いって聖も言ってたじゃんか」
「やる方も、ね。睨まれたり無視されていないだけましだっつの」
 理由を話したところで罰が軽くわけでもなく、げんこつの重みはまだじんじん頭にと残っている。無駄口叩いていないで手ぇ動かせと言って、ぬえに絞った雑巾を放り投げた。
 受け取った雑巾をかけるでもなく、猫みたいに体を伸ばすぬえは、寺の雑用を一週間もするなんて嫌だ嫌だと漏らすばかりだ。それでも自分よりはましだろうと村紗は思う。こっちは、開けた穴の修繕もしなくてはいけないのだから。
 こぼしそうになる言葉は、廊下の陰から覗いている視線に気付いて抑えた。楽しげに眺めているのが気に入らなくて、唇をむっと尖らせたしかめっ面を、響子に向けた。掃除の番から解放されて暇なのだろう。怖ぁいと笑う顔が角の奥に引っ込んでも、村紗の口はへの字のままだ。
 水溜まりができはじめる境内に参拝客はない。塀のそばで咲いている小紫が、雨に打たれながら楽しげと葉を揺らしている。
「梅雨嫌ーい」
 髪まで湿気ってくるよとこぼすぬえに、さぼってると響子辺りがまた来るよと言って、板敷きを蹴った。雑巾がけは好きじゃなくとも、雨の日は好きだった。においも、空気も、しとしとと地面を打つ音も、そういう妖怪だから、罰を与えられているのに、知らぬ間と、鼻歌交じり。
 降れ、降れ、もっと降れ。水溜まりも大きくなればいい。そこに誰かが足を入れたら、楽しいのにな。
 角を曲がり、一間、二間と部屋を通りすぎて、やがて自分の部屋の前まで来た。折れて役割を果たせなくなった障子のない部屋の穴から、一輪の背中が見えた。
 頭巾を脱いで、筆を執っている。昼間に一度確認したことなのに、書机が壊れていなくて、よかったと、息を漏らした。私物まで破壊していたら、機嫌の悪い日は梅雨明けまで続いていたかもしれない、そんなのは、ごめんこうむりたい。
 ふぅと肩を下げる仕草に、村紗は雑巾がけを再開して、離れる。凜とした顔が振り向いて、鬼に変わるのは見たくないから。

 夜になっても降り続いている雨は強くなったり弱くなったりと繰り返していたが、寺の住人達が部屋に籠もりはじめた頃にはもう、やみかけていた。
 縁側に腰かけて遊ばせている足を、くいっと伸ばして、雨に濡れようとする。軒があるし風もないのだから、足先にすら冷たさは感じられない。つまらないと息を漏らした。雨降りを楽しめる時間は終わりに近付いてきて、となると、寝ずにいる理由がなくなってしまう。部屋に、戻らなくてはいけなくなる。
「嫌だなぁ」
 戻りづらいし、きっとまだ起きている。夜は妖怪の時間でも、寺の住人達はみな早寝早起きを努めているし、それは村紗自身も強いられていることだった。守っていないのは、ぬえだけ。
 やむな、やむな、もっと降れ。
 願ってみても、唄ってみても、雨は強くならない。いっそ寝付くまでこうしていようか。伸ばしている足をまたぶぶらと振りはじめると、なにしてんのと後ろから声をかけられる。一輪だ。
「もう就寝の時間よ」
 強引に手を引くわけでもなく、あとに続く言葉もなく、一輪は部屋に戻っていく。怒ってないのかな。うんともわかったとも言わないで、村紗はのそりと立ち上がって、追うように、部屋に戻る。
 布団はもう敷かれていた。穴の向こうに一輪の姿が見えて、頭巾はいつの間にか取られていた。法衣に手をかけたところで、目を外した。村紗は、そのままの格好で布団に入る。昔沈めた船乗りから拝借したセーラー服。
 衣擦れの音が聞こえなくなってまた目を向けると、一輪は体を布団の中に滑らせているところだった。うつ伏せになり、腕を回した枕に頬を預けて、「怒ってる?」と声を投げた。
「別に」
「嘘だ、声が怒ってる」
「怒ってた方がいいならそうするけど?」
「あ、ごめんなさい」
 息をつき、枕に頭を落とした一輪の顔が、穴の方に動く気配はない。いつもと違う空間に心が落ち着かなくて、村紗は寝付ける気分じゃなかった。
 一輪は、平気なのだろうか。壁とその向こう側にしばらく視線を漂わせていた村紗は、今度は、「ねえ」とかけた。
「寝た?」
 返事はない。「ねえ」と、またかける。
「なによ」
「寝付けない」
「知らないわよ、馬鹿」
 子供じゃないんだから。継がれた言葉に胸を刺されてから、不意に、昔のことを思い出して、そう言えばと口走る。
「前のおんぼろ寺みたいじゃない?」
 一輪の顔が薄暗い中で動き、髪と同じ菫色の両目が、村紗をとらえた。
「懐かしい通り越して、あまり思い出せないわよ」
 そりゃあ、そうだ。もう数百年も前の話だ。覚えているのは状況が似ていたからで、あの時は、一輪がまだ子供だった頃で、今とは立場が逆だったから。昔はよく自分に懐いていて、こうやって穴のできた壁を挟みながら話し込み、風が強い日などは、怖くて眠れないと部屋に這ってきた。
 天井を眺めながら思い出をこぼす村紗に、やめてよと言う一輪は、暗がりの中で頬を赤くしていた。懐かしいなぁと漏らす村紗は、よく金剛杵で殴りかかられたなと笑った。
「だって、あれは村紗がからかうから」
「脅かしてやったらその日は怖い怖い言ってしがみついてくる癖に、朝になったら仕返ししてくるもんね、退治だー、退治だーって。凶暴だったよ」
「今なら本当に退治してやれるんだけどね」
「怖い怖い。一輪の姐御には逆らえないねこりゃ」
「ねえ覚えてる? 二人して星に水を浴びせてやったの」
 体ごと向き直った一輪をみて、村紗の体も、同じようになる。さっきまでは重たくて居心地の悪かった空間なのに、穴の広さ以上に、開放感に溢れている気がした。
 ああだった、こうだった、そうだった。もう寝なくてはいけない時間なのに、二人して、声を弾ませている。
 見回りにくる奴なんかいやしない。弾ませる話は、種が尽きるまで続いた。

 いつの間にか寝ていたのだと気付くのは、部屋に伸びてきた朝日が目元まで届いてきてからだ。雨を落としていた雲は風に流されて、空は快晴だ。夏が近付きつつあるからか、日の昇りも早い。
 だから、と言うわけでもないが、それにしたって高くなるのが早すぎないかと、村紗は起き上がって頭を掻く。隔たりのなくなった隣りの部屋から髪を梳く音が聞こえてきて、一足早く起きた様子の一輪に「おはよう」と言った。
「おはよう、相変わらず朝は遅いわね」
 もう七時すぎよと続けて言われ、そうなんだ、とやる気なく返す。早起きは癖付けた方なのだがと思うも、こればっかりは性癖だし仕方がない、朝にこだわる妖怪でもないのだから、尚更だ。
 そうなんだ、とやる気なく返す。そう考えればこそ、一輪がこれほど遅い時間に起きているのも、また珍しかった。口にすると、一輪は、私はいいのよと口元を緩ませた。
「雑用の中には炊きだしも含まれているだから。あんたこそ、大丈夫?」
 寝ていた頭が飛び起きるには充分な一言だった。
「お、起こしてよぉ」
 くしゃくしゃの頭のまま部屋を飛び出しても、今からじゃ間に合わないだろう。ぬえが、せめてぬえが先に仕度を進めてくれれば。祈りながらお勝手に入るも、竈に火をつけるばかりか薪すら入れていない。
 後ろからおはようございますと声がかかり、駄目じゃないですか、早起きしないと。星は、吸い物もお願いしますねと欠伸を掻きながら離れていった。
「ああ、神様あんまりだ」
 朝食に顔を出すのなら、ぬえの分にだけ山葵でも溶かしてやろうかと、頭の中で愚痴った。
 世の中というものは上手くいかないものだから、結局ぬえが現れることはなくて、村紗は炊きだしが遅れたことを朝食の席で突かれたのに、朝の雑巾がけの時になると、ぬえは戻ってきていた。聖からの叱責が嫌なのだろう。
 こいつは上手いこと手を抜きやがるんだ、当たらなくてもいい村紗の予想は的中して、目を離すと知らぬ間にさぼっているのだ。
 一日の勤めは日が落ちるまで続くから、逃げるのに都合のつく能力がない村紗だけが損をする。
 文句を言いたくも姿を眩まされてばかりいる村紗の楽しみと言ったら、風呂だった。もちろん一番はもらえなかったが、今日みたいな散々な日に浸かる湯船は、とても気持ちがいいのだ。
 聖や星達が上がったのを確認してから脱衣所に向かい、服も適当に脱ぎ捨てて、戸を開けた。檜の浴槽から湯気が立ち上っている。
 軽く身を清めてから湯船に浸かり、縁に腕をかけて、ふうと息をついた。
「ああ、極楽ぅ」
 妖怪になっても風呂の気持ちよさだけは変わらない。寧ろ、簡単には逆上せなくなったのだから、今の方が楽しめる時間は増えている。肩に湯を注ぎかけ、鼻歌を歌っていると、急に、風呂の戸が開いた。
 驚いて、声が詰まる。
「は、入るなら声くらいかけてよ、出るのに」
「わかってて入ってるんだから、気にしないでよ、女同士なのに」
 そうは言っても、視線は体に向く。身を清める一輪の肌は、法衣に身を包まれているからか焼けておらず、とても白かった。髪を束ねているのも新鮮で、村紗は、妙な気でも起こしたみたいな胸を押さえた。
 自分と違って大人になっている体は、胸も尻も、羨ましいほどに出ている。湯船に浸かってきた体に押されて、端に寄った。別にそこまで狭くもないのに、なぜ隣りに腰を下ろすのか。恥ずかしさで逆上せ気味の頭じゃ思考など回らなくて、どういう風の吹きまわしだと、村紗は言った。
「昨日話してたら思い出しちゃったのよ。ほら、昔はよく一緒に入ってたでしょ」
「ああ、まあ」
 一輪の体が、つるぺたの時だ。今は違う。透ける湯船に沈んだ頂点は、あでっぽく桃色を膨らませている。同じ色でも、自分の物は蕾みだ。
 下半身だって、薄っすらと生えている茂みは大人としての魅力で、村紗にはない、ないからこそ、羨ましく、触れてみたいだなんて思ってしまうのだろうか、そんなことを、つい考えてしまっていた。
 ぼんやりとする意識の中「うりゃ」と聞えてきて、左の頬にお湯がかかった。呆気に取られているのをいいことに、一輪はなんども水鉄砲を食らわしてくる。
「ちょっ、いい加減にしないと水難に遭わすぞ!?」
「おー、やってみればぁ?」
 ああ、どうしてこうなったのか。静かに疲れを癒したかっただけなのに。
 あははと笑う一輪を見ている内に、そんな考えはいつの間にか吹き飛んでいて、開き直る村紗は、水鉄砲をやり返した。
 どれくらいそうしていたのか、止まらぬ応酬を制したのは聖で、二人して一喝されるはめになってしまった。
 怒られたら、普通は自省するものだ。部屋に戻っても一輪の気分は冷めておらず、布団をかけながら、昨日と同様に話しかけてきた。
 昨日の夜までは怒っていたのに、なぜ楽しそうにしているのか、わからなくて、村紗は、不思議だと一輪に投げた。
「なんだか、童心に返った気分なのよね。だからってわけじゃないんだけど、昔見たいな乗りが恋しくなっちゃったのよ」
 ああと返事はしてみたものの、村紗は逆だった。自分は死んだ時の姿のまま妖怪になっているが、一輪は大きくなっている。差が出ることに不満などはなくも、先ほどのような目に優しくない刺激は、やはり慣れない、いや、どきどきとする。
「ねえ、そっち、行っていい?」
 胸が、跳ねた。返答を待たずに四つん這いで近付いてくる一輪の体が、布団の中に、滑りこんでくる。
「わっ、なにするの」
「あは、懐かしい」
 胸元に抱きついてきた一輪は、前はよく抱っこしてもらってたねと、胸に置いている顔を軽く埋めさせた。
「村紗の抱き心地って、こんなだったんだ」
 それは一輪にとっての小さな変化なのだろう。それでいて、「変わらないなぁ」と埋めながら言う。村紗からすれば変わったことばかりだ。
 抱きついてきている体は自分より大きくなったし、お腹の辺りに柔らかい膨らみだって当たっている。羨ましいと思っていた気持ちは少し違うのだと理解して、村紗にとっての変化は、大人になった一輪の体に、興奮を覚えているかもしれないということだった。
 おかしいことかもしれない、おかしいことなのだろう、胸の高鳴りを聞かれるのが嫌で、ねえと声をかけた。
 もぞもぞと布団の中から現れた一輪の顔が、息の触れあう距離にあった。瞼が落ちて、細くなった菫色の瞳が、自分のことを見つめている。
 そっと髪に手を伸ばして触れてみる、ただそれだけのことをしたかったはずのなのに、自分勝手に動く体はやっぱり妖怪なのだなと、村紗は思う。布団の中から伸ばしていた左手は顎を掴み、唇を、奪っていた。
 瞳が見開いたかと思えば、次の瞬間には、両手で胸元を押し退けられていた。
「な、なにするのよいきなり!」
 上体を起こす一輪は、顔を少し赤くして、定まらぬ瞳を向けてくる。村紗は、なにも言えなかった。自分でも、なぜしたのかがわからないから。
 唇を歪める一輪は、涙目になっていたかもしれない。暗がりではっきりとしない表情に怒りが見えて、怒声が飛んでくるかもと恐れたがなにもなく、立ち上がって穴から部屋に戻った一輪は、背中を向けて、布団を肩にかけた。
 ようやく出てくれた「ごめん」を投げかけてみるも返事はなかった。しばらくしてからもう一度ごめんと繰り返すも、返ってきたのはうるさいの一言だった。
「話しかけないで」
 布団から出していた体を引っ込めてから、また謝ろうとして、やめた。
 明日になれば、許してくれるだろうか。障子もなく風通りがよくなった部屋は涼しいのに、寝付ける気分にはなれなかった。

      *

 翌朝に起きた時間は大体いつも通りだったが、一輪の姿は見当たらなかった。炊きだしの番がない今なら、同じくらいに起きるはずだった。
 頭を掻きながら眺める隣りの部屋に一輪はいないのに、居心地が悪くて、すぐに部屋を出た。お勝手に行っても一輪はいない。恐らく禅堂に向かったのだろう。避けられているのはつらかったが、顔を合わせたいか言われれば、合わせたくはない。
 それでも朝食の席にはお互い顔を出すのだから、気まずい、恥ずかしいなどは言えなかった。一輪は至って普通だ。村紗は時々目を向けては逸らすの繰り返しで、久しぶりに帰ってきたナズーリンが、目聡くそれを指摘してくるのだ。
 なんだい、また悪さでもしたのかい、船長。事情を知らぬ星が、風呂で怒られた件を出して、「ああやっぱり」だとか「馬鹿だね」だとか言われ、なぜか村紗一人が悪いとされ、風呂へも、一輪が入っているところを「キミが入っていったのだろう」などと笑われる始末だ。
 けれど村紗が言い返すことはできず、一輪も、これといって反応を見せなかった。苦々しい時間を終えて、だだっ広い命蓮寺の掃除を開始する。
 苦痛だった時間は顔を見なければ問題なく、会わないように雑巾がけや掃き掃除に勤めた。
 日が落ちて、夜になり、就寝の時間には部屋に戻らねばならないから、否応なく、繋がってしまった空間で一緒になる。謝ろうか、まだ期間を置いていた方がいいか、どうしよう。布団から半分だけ出した顔を少しだけ傾けて、穴の方に目を向ける。
 寝息を立てているのに、なぜか怒っているような気が感じられてしまい、ああ、やっぱりまだやめようと考えが落ち着くのだ。
 二日、三日と続く毎日に、毎晩繰り返していた堂々巡りは、五日目になって打ち破られる。
 廊下で一輪と鉢合わせた時だ。そろそろ壁直してくれないと言われた。村紗は内心で、むっとした。
 なんだよ、この間までは、楽しそうにしてた癖に。
 思っていることを出せるわけでもなく、わかったよと強めに返した。聖に断ってから、修繕に必要な物を里へ買い出しに行き、その日は掃除だけして、壁を直すのは翌日となった。
 いつもよりも早めに起きて炊きだしを済ませ、境内の掃除も済ませ、昼頃には雑巾がけも終わらせた。褒めて欲しいくらいの働きだと、村紗自身は思っていても、称えてくれる人はいない。
 修繕の準備をしていると一輪がやってきて、反対側は自分がやると申し出てきた。
 自分の不始末だから自分が直すべきなんじゃないの、そう思っているんじゃないの、浮かび上がる考えは歪曲したものばかりで、口には出せない。
 開いた穴を半分ほど塞いだ頃に、村紗は、つい、どうしてと口に出してしまう。
「なに?」
「壁に穴開けてさ、それは私が悪いけど、そのあとは一輪だって楽しんでたじゃない」
「だから、なにが言いたいのよ」
 言ったら駄目だとわかっているのに、どうしても、自分だけが悪いというのが受け入れられないでいた。
「そこまで怒ることないじゃん、冗談なのにさ」
 水を溜めてあるバケツが、鈍く響いた。金鏝で叩いたのだ。怒りを孕んだ瞳が、村紗を睨んでいる。
「冗談? 冗談であんなことしないでよ」
 ああ、やっぱり言っちゃ駄目だったんだ。また、失敗だ。どうしてこうなったのだろう。自分と一輪の関係が拗れる時は、決まって、要らぬ一言が引き金だった。
「地縛霊」
 残っていた隙間もなくなって、聞えてくる音は左右に均す音だけだった。

 夜になって、ついでに直してしまおうと買って来た障子を取りつけて、部屋は、元通りになった。なのに、心は穴が開く前よりも落ち着かない。
 小さく「ねえ」と語りかけてみても、壁に吸収されてしまった音を、一輪が拾うことはなかった。寂しさから、布団被った。
 翌朝は大雨に起こされて、風も強いものだから、縁側にまで飛沫が飛んで来ていた。罰である寺の雑用も最後だったが、やることは半減して、暇を潰したいと思っていたことは叶わなくなった。
 雨は好きだし、こんな日に出かけられたら、川で喜んでいる河童相手に水難でも起こしてやれるはずだったが、抜け出せる機会があっても、どうにも気が乗らない。
 縁側に腰かけて足をぶらぶらとさせているのも飽きてきた。いっそ、昼寝でもしてしまおうか、そう思っていたところに、一輪が現れた。それもずぶ濡れの姿でだ。
 目が合って、口は自然に「どうしたの」と開いていて、倉が雨漏りしていたから直してきたところだと返ってきた。着替えるために部屋へ消えていった一輪の姿が、なぜか目に焼きついてしまう。
 濡れた法衣が肌に張りついて、体の線を浮かび上がらせていた。
 なにを思ったのか、なぜそうしたかったのか、村紗自身にもわからない衝動に駆られて、着替え中で閉めていた障子を開けた。
 驚き見る一輪は、一拍置いてから、なに、と言った。法衣を脱ぎかけている白い肌に、雫が浮かんでいる。村紗は障子を閉め、ゆっくりと近付いた。
「来ないで」
 叫ぶわよ。制止する言葉を無視して、また一歩と歩み寄る。
「なによ、この間の続きでもしたくなったの? 変態」
 違う、そうじゃない。本当は、ただ聞きたいだけだ。なのに、村紗の体は勝手に動いていて、一輪の唇を強引に奪っていた。
 硬直した体から拳が打ち出されても、水を吸って重くなった法衣はまだ脱ぎかけで、本来の速度も出せないでいる拳を避けることなど、造作もなかった。
 押し倒し、乳房に吸いついた。体が跳ね、声も上がる。
「やめっ、なにするのよ、やめなさいよ」
 そうだ、なぜ自分はこんなことをしているのだ、嫌がっているのに、なぜ。頂点を吸う口は、膨らみを掴む手は、覆い被さった体は、止まらない。
 茂みに手を伸ばして秘所をまさぐって、濡れている理由を変えていく。初夏の、雨の日のようなじめっとした空気みたいに、そこは段々と湿り気を帯びはじめていた。
「嫌なんじゃ、ないの?」
 どうして濡れてるの、どうして色っぽい声を上げてるの、どうして顔を赤くしているの。どうして。
 違う、聞きたいどうしてはそうじゃない。
 硬くなりだした頂点に歯を立てて、舌で押したり転がしたりを繰り返す。
「嫌、お願い、やめてよ、村紗……」
 開いた口に無理やり舌を滑り込ませて、唾液を送りこむ。嫌なら、噛んでよ。
 思いは伝わらなくて、一輪は、最後まで舌を拒みはしなかった。絶頂に達した様子の体が弓なりにしなり、甘く叫んだ声は雨音に掻き消されたあと、断続的な熱い吐息に変わっていた。
 水で濡れて冷たくなっていた体は火照っていて、髪も体も水で濡れているのか汗で濡れているのかがわからない感じだった。
 村紗自身の呼吸が落ち着きだした頃に、本当に聞きたかったどうしてを口にした。
「ねえ、怒っていたのに、どうして、あの日から楽しそうにしてたの」
 微かに聞えた言葉を聞き直して、「なによ」と、震える声で一輪は言った。
「昔みたいな関係が、懐かしかっただけなのに……」
 こぼれる涙を、拭ってやることはできなかった。

 それから一輪の態度が変わることはなく、怒りも羞恥も、見えなかった。
 ごめんと謝ってみても、「そう」だとか「気にしてないから」だとか、そんな言葉ばかり。
 梅雨も明けた夏は日差しが強いから、部屋に籠ることが多くなった。寝転びながら、ひびが残る壁に目を向ける。壁は塞がっているから、部屋の中から向こう側に語りかけることはない。
 壁は直って、表面的には変わらぬ一輪や生活が続いていても、村紗の心には、穴が開いたままだ。直った壁の向こう側には歩いて行けるけど、心に近道なんてものはない。もう触れることは叶わないのだと知って、熱い雫が、頬を伝った。
やべぇ! バッドエンド思いついたけど三日しかねぇ!
間に合うか!? し、締切なんかに絶対負けない!

締切には勝てなかったよ……
作品情報
作品集:
最新
投稿日時:
2014/06/07 23:59:24
更新日時:
2014/06/07 23:59:24
評価:
7/7
POINT:
41
Rate:
1.65
1. 4 名無しの変態紳士 ■2014/06/08 21:53:05
もっとネチョが欲しかった。
でも、お話の内容は良かったです。
2. 10 ななし ■2014/06/20 05:33:43
面白かった
よかったら続きの投稿をお願いします
3. 3 tokumei ■2014/06/22 17:15:34
基本点:1点
テーマ:2点(0〜3点)
エロさ:0点(0〜3点)
面白さ:0点(0〜3点)
一言感想:エロも物語も中途半端で物足りない。もっと時間があれば、なかなか深い物語に仕上がったのではないかと思うと実に惜しい。
4. 3 ぱ。 ■2014/06/22 19:28:37
お題から着想したお話といった様子で、テーマとして消化して話を作っています。
日頃からよく書かれる方なのでしょうか、丁寧で読みやすい文章、辿りやすい会話で気持ちよく読むことができます。
しかし、締切の問題か、話の収拾がついておらず、ねちょSSとしての体裁も怪しくなってしまっているのが残念です。

できれば完成した状態でお会いしたかった作品。
5. 5 グランドトライン ■2014/06/23 22:21:36
「昔みたいな関係を、壊したかっただけなのに……」
そんな台詞に見えたのは、私の錯覚だろうか?

なんともやるせない気分にさせる物語が、心に響きました。
二人の心理描写のすれ違いがなんとも言えない気分にさせてくれます。

しかし、ネチョシーンが駆け足気味で、力不足に感じてしまいます。
それと気になる表現が一か所。

昔見たいな
>昔みたいな

後書きに書いてあるように未完成さが隠せませんが、逆にそれが物語の切なさを盛り上げてくれます。
日常描写もなかなか詳しく描かれております。

果たしてこのまま二人は壁沿いに進み続けるのだろうか……
6. 6 toroiya ■2014/06/27 20:40:54
救われない話ですね……
壁に穴が開かなければ気づくことはなかったかと思うと、特に村紗が可哀想に思えます。
7. 10 通りすがりのGさん ■2014/06/27 23:31:36
まあ遅刻しなかったので十分勝ったと言えるんじゃないですかね

なんというか、一瞬近づいた勢いのまますれ違っていく切なさがグッときました
名前 メール
評価 パスワード
<< 作品集に戻る
作品の編集 コメントの削除
番号 パスワード